アイVSヤックハルス?
結果だけ述べるなら、結局アイを思い留まらせることはできず、僕が彼女に押し切られるという形で、再度クロドさんの家を尋ねることになってしまった。僕自身、図書館での作業に無理なものを感じていたのも事実だ。
「わかってるとは思うが、手荒な真似はするなよな」
「あっちの態度次第ね。すなおに話してくれるなら手間がなくて助かるんだけどね」
激しい不安を覚えつつ、僕はクロドさんの家の前に自転車を止める。
玄関前に立ったとき、中からガタンガタンと、立て続けに物音が聞こえてきた。どうやら在宅のようだ。
昨日は追い出されたのに、はたして歓迎してくれるだろうか。門前払いがいいところの気がする。
なるようになれ。破れかぶれな気持ちでドアをノックするも、一向に応対に出てこない。
試しにもう一度ノックするも、やはり反応はない。
「居留守を使っているのかしら」
「それはないんじゃないか。オレたちがやってきた方向には窓がない。クロドさんは訪問客がオレたちあることを知るすべがないだろ」
本当に留守の可能性を考えるも、家の中から音がしたのは確実だ。それも二回。昨日きたときはペットを飼っているふうでもなかった。
「鍵がかかってないわ」
アイがノブに手をかけると、ドアはギイッと小さな音を立てて開いた。
ゆっくりとドアを開いて家内を確認したところ、とくに変わったようすはない。
「ごめんくださーい! キャリコ急便の者ですが、どなたかいらっしゃいますか!」
宅配業者を装って呼びかけてみるも、中から返事はない。
さてどうしたものかと頭を巡らせているとき、
「誰か!」
クロドさんの差し迫った声が響き、異変を察知したアイは素早く家の中に飛び込んで行く。こういうとき迷いなく行動できるのはさすがだ。
僕は一歩遅れて家内に踏み込み、アイに続いてリビングへと入り、そして息を呑む。
――そこには予期せぬ人物が立っていた。全身を包むレインコートと、握られた黒水晶のナイフ。フードの奥に覗く顔は包帯で覆われ、目元は日除け用のゴーグルで隠されている。
「ヤックハルス……」
僕は咽から声を絞り出した。なぜこいつがクロドさんの家にいるのだ!
慌てふためく僕とは違い、アイは冷静だった。持っていた登山ナイフを取り出すと、切っ先をヤックハルスに向けた。
「こいつは私が引き受けた。トモルは爺さんをお願い」
僕は部屋の隅に倒れているクロドさんに駆け寄った。
「大丈夫ですか」
呼びかけると、彼は小さく呻き声を上げた。意識が朦朧としているのか、その眼は焦点が定まっていない。
アイの方ではバトルが始まったようだ。家内に響き渡る刃物同士がぶつかる音に寒気を感じながら、僕はクロドさんの肩を揺すった。
「……なっ、君は……」
僕らの登場に驚いた素振りを見せたあと、クロドさんは左頬を押さえ、顔を顰めた。
「気にするな、殴られただけだ。忠告を無視して声を上げたのがやつの気に障ったらしい」
クロドさんは憎々しい目を前方に向ける。
驚いたことに、ヤックハルスはアイと互角に渡り合っている。アイが繰り出す怒涛の攻撃を全て、手に持った黒水晶のナイフで捌いている。シャロ姉さんが言ったとおり、ただの殺人鬼ではない。
埒が開かないと察したのか、アイが思い切った行動に出た。
持っていた登山ナイフをヤックハルス目がけて投げつけ、相手が怯んだ隙に飛びついたのだ。
「大人しく素顔を見せなさい!」
アイは両手でフードを剥そうとする。
無茶だ。このままでは脇からブスリとやられる。
しかしヤックハルスは刃を突き立てることはしなかった。代わりにナイフの柄をアイの右腕に捻じり込んだ。ちょうど包帯が巻かれた部分だ。
痛みに怯んだアイを引き剥し、ヤックハルスは窓の方を振り向く。逃げる気だ。
僕は反射的にポケットから銃を取り出し、銃口を向けた。
ヤックハルスは慌てて脇に飛び退き、身を低く保ちながらリビングから出て行った。
ほどなく廊下でガラスが割れる音がし、僕は肩の力を抜いた。
「大丈夫かアイ」
「この程度なんでもないわ」
痛みが引いたようで、アイは脂汗を拭ってフッと息を吐いた。
「まったく、とんだ災難にあったものだ」
クロドさんは倒れていた椅子を起こし、その上に腰を下ろした。
「礼を言うよ。ありがとう、おかげで助かった」
「当然説明してくれるわね」
アイがクロドさんの前に立つ。
「いったいこれはなんなの! どうやったら家の中がこんな有様になるわけ!」
クロドさんの奥さんが帰ってきた。
「ああ、その説明はあとにしてもらえるか。それより昨日言っていたハーブティーを入れてはくれないか。この二人と少々長話をしなくてはならない。それがすんだら警察だ」
クロドさんは倒れていたテーブルと椅子をなおした。




