夜明け
意識を取り戻すと、僕は椅子に座らされていた。
しばし呆けていると、次第に頭がはっきりしてきて、前後の記憶が繋がり出す。
そうだ、僕はあの部屋に閉じ込められたあと、煙を吸って意識を失ったのだった。
首を動かし、ここが解体室であることを把握する。隣にはもう一つ椅子が置かれ、シャロ姉さんが座っている。まだ意識が戻らないようで、ダラリと首を俯かせていた。
僕らをここに運んだのはゾンビたちだろう。でもどうして。その場で貪ればいいのに。
その答えはすぐに出た。主への献上品なのだ。
僕は解体室へ入ってきたデロリスリッチの方を見る。前回と同じく二体のエリートゾンビを従えている。
「具合はどう? 君が眠ってから三十分ほど経過したけど。気分が悪かったら言って」
「目の前にリッチがいて、いい気分なわけがないだろ」
それは精一杯の抵抗だった。もはや逃げられない。手足は自由だけれど、シャロ姉さんが眠ったままだ。彼女を担いで逃げれるほど甘くはないだろう。
「君は大きな勘違いをしている。私はリッチじゃないわ。ほら」
そう言って彼女は、自分の顔から皮膚を剥ぎ取った。
「ふうっ、ようやくすっきりしたわ。このメイク蒸れるわね」
皮膚と思われたものは、ゴム製のマスクで、土色の肌も、赤く爛れた頬も、白骨化した左部分も、全てフェイクだった。
「私はれっきとした人間よ」
リッチじゃない。デロリスリッチではなく、彼女は普通のデロリスだった。
「……そうだったんですか。カニバリズムに傾倒した変人だったんですね」
「人聞きが悪いわね。ほら、あなたも食べてみなさいよ」
デロリスさんはフックから足を一つ取り、僕の口に近づける。
「マシュマロとパンの組み合わせが意外にしっくりくるわよ」
目の前の足を間近で見ると、パン生地で作られていることがわかる。切断面から覗く骨はマシュマロで、爪の部分は飴のようだ。
試しに齧ってみると、なかなか美味しい。よく考えると昨晩はろくなものを食べてなかったし、朝食もまだだ。僕はデロリスさんから渡された足パンをモグモグ頬張った。
「君の朝食はそれね。ついでに生き血もサービスしてあげる」
デロリスさんは赤い液体が注がれたカップも差し出してきた。口に含むとミルクの味がした。赤い食紅で色をつけているらしかった。
「そろそろ説明してくれてもいいんじゃないですか」
僕の言葉を受け、デロリスさんは脇にいた二体のエリートゾンビに向かって頷いた。二体のエリートゾンビも顔のマスクを剥し始める。出てきたのは……。
「この特殊メイク、顔が痒くなるわ。エリー、私の顔とか赤くなってない?」
「大丈夫ですぅ。いつもの可愛らしいアイちゃんですよぅ」
「アイじゃないか、それにエリーも! どういうことだよ!」
エリートゾンビの正体はアイとエリーの二人だった。ちなみに、ダクトで襲ってきた貧乳の方がアイで、僕の首筋に噛みついてきた方がエリーだ。
「さて、どこから話すべきかしらね。なにから知りたい?」
そう言ってデロリスさんは背伸びをしたのち、眠そうに目を擦った。
「まず僕とシャロ姉さんになにが起きたんです。急に意識を失うなんて、余りいい現象じゃないですよ」
「ああ、あれか。問題ない、一時的に軽い麻酔状態になっていただけだ。チュラの種子を燃やした煙を吸ってね。健康を損なうようなことはない」
チュラの種子。チュラ花の種で、それが昔、麻酔薬の原料として使われていたのは雑学として知っている。
「トモ君とシャロ姉さまは、像の動かし方を間違ってしまったのですぅ」
エリーは楽しげに両手の人差し指を振るう。ナゾナゾの種明かしをする子供みたいだ。
「あの四体の石膏像は、正しく動かさなきゃならないのよ。ドアの模様がヒントになっているんだけど、あんなの言われなきゃ気づかないわよ。あの部屋の謎解きは初見では絶対にわからない!」
「そうかねえ? じゃあヒントはもっとわかりやすい形で提示することにするわ」
アイに言われ、デロリスさんは懐から取り出したメモ用紙にペンを走らせた。
「ちなみに四体の像を正しく動かすと、壁がパカッと開いて、エンブレムの一部が手に入るのですぅ」
エンブレム? 一部? 僕は解体室にある棚の方を向く。
「そう、あれもその一つだ。エンブレムは三つに分かれている。そこの棚と像がある部屋、あと一つも教会内に隠されている。全て見つけてエンブレムを完成させたのち、聖堂の祭壇にセットすれば、地下カタコンベへの入口が開かれる」
デロリスさんは得意げに語る。なにやら話がおかしくなってきた。
「地下カタコンベを捜索し、ゾンビ事件の真相を究明できれば、アトラクションクリアだ」
アトラクション……。おいおい、ひょっとして……。
「今度の夏祭りに開催する、謎解きホラーハウス。商店街と我が教会との合同企画さ」
……かくして、デロリスさんは真相を語り始めた。
まずデロリスさんと前司祭が親子というのは本当だ。父が持病の腰痛悪化に伴い司祭を引退したため、彼女がその後を継いだ。この教会の司祭になってはみたものの、毎日が退屈でしかたがない。そんな折、たまたま読んだホラー小説から着想を得て、教会を舞台にした大がかりなアトラクションの構想を始めたのだそうだ。
そしてこの街で毎年大きな夏祭りが行われていることを知った彼女は、商店街長のガストンさんに企画を持ち込み、首尾よく商店街の協力を取りつけることに成功する。ここにある人体を模したパンは、商店街のベーカリーで作られ、ゾンビの特殊メイクは商店街の美容院が担当した。ゾンビを演じていたのは有志やアルバイト学生、市内の劇団にもオファーを入れるなどしたらしい。石膏像の部屋に侵入してこなかったのは、挑戦者を謎解きに専念させるためだそうだ。つけ加えると、ダクトの底が抜けたのも演出の一貫だったらしい。
「わざわざ業者に頼んで、教会内を大改造してもらったんだから。そんで先週めでたく完成し、あとは本番を想定した予行演習を残すのみとなったわけ」
「それでベケットに相談したというわけですね」
「御明察」と、デロリスさんは両手で僕を指差す。
「当初は通常通り体験してもらう予定だったんだけど、ベケットの社長さんが一つサービスしてくれたのよ」
「当人たちにはなにも知らせず、予告なくゾンビの襲撃に遭わせ、アトラクションの恐怖度も同時に調べる、だったわよね……。私が知らされたのはトモルとシャロ姉さんが教会に向かったあとよ」
僕とシャロ姉さんはセシールさんに一杯食わされたらしい。
「オレとシャロ姉さんがターゲットに選ばれたのはなぜだ?」
「アヤムちゃんは契約の場にいたのでネタバレしていますしぃ、わたしは魔法が使えますので、ゾンビ役のみなさんに怪我を負わせてしまいますぅ。アイちゃんは性格上、素手でもゾンビに立ち向かう可能性がありますぅ。その点シャロ姉さまなら、ゾンビが相手なら立ち向かうより逃走を選択するだろうと踏みましたぁ」
僕はきょとんとする。
「あー、ちょっといいか。もしかしてシャロ姉さんの……、その……なんだ。アンデットに対する険悪というか、苦手というか……」
言いよどむ僕に、エリーがクスッと微笑む。
「シャロ姉さまが怖がりなことくらい、みんな知っていますって。本人は必死に隠していますが、モロバレしてますぅ」
アイもウンウン頷く。
「人間誰しも苦手なものの一つや二つあるわよ。怖がりだからってシャロ姉さんを軽く見たりなんかしないわ。オープンにしてくれて構わないのにね」
僕はシャロ姉さんの方を向く。
(しっかりバレてますよ、シャロ姉さん)
心の中で語りかけると、彼女はモゾモゾと体を動かし始める。意識が戻りかけているようだ。
「そうそう、トモ君が選ばれた理由なんですがぁ。トモ君なら、パニックになったシャロ姉さまのフォローができるだろうと、セシールさんが指名しましたぁ」
そこまで評価されているとは光栄だ。
「陰ながら見ていたが、少年のアシストぶりは徹底していたぞ。お風呂や寝床も共にするほどな」
僕は凍りつく。アイの顔からは表情が消え、エリーは朱色に染まった頬を押さえる。
「なっ、なに言ってるんですか。のっ、覗いていたんですね! 犯罪じゃないですか!」
「失礼な、私は覗きなどしていない。ただ君が入浴しているにもかかわらず、シャロンさんが風呂場に向かったのを目撃してね。更に入浴後、パジャマ姿の彼女が君の部屋に入って行ったじゃないか。その後出てくる気配がないから、今晩はお楽しみなんだなって思っただけよ。その反応からするに正解のようね」
デロリスさんは勝ち誇った笑みを浮かべる。やってくれたな、この生臭司祭め。
「あんた、本当にシャロ姉さんと添い遂げたわけ! どうなのよ!」
アイがガッチリ僕の肩を掴む。その形相はゾンビやリッチなんかより遙かに怖かった。
「ちっ、違う。あれは双方の安全のため、やむをえない行動だったんだ! 単独での行動は危険だろ。お風呂はただ一緒に入っただけで背中の流し合いとかはしていないし、寝るときも同じベッドに横になっただけで、お前が考えているような淫らなことはなにもない!」
釈明するも、アイの顔の青筋は消えない。
「そういえば、ダクトの中ではよくもゴミの中に落としてくれたわね」
「仕方ないだろが。あのときは本気で命の危険を感じてたんだから!」
命の危険なら今も感じている。むしろ今の方が危機感が強いくらいだ。
「少しは柔軟な発想をしてくれ。オレたちは事情を知らなかったんだ。本気で食われると思っていたんだからな!」
次の瞬間、アイは脇にあった内蔵を僕の顔に投げつけてきた。
この内蔵はゼリーと赤く着色された生クリームで作られていた。奥の方にはスポンジ部分があり、ケーキだということがわかる。
「帰ろうエリー。社長に任務完了を伝えるわよ」
「了解ですぅ。それでは私たちはこれで失礼しますぅ」
「色々とありがとね。依頼料は明日にでも持って行くから」
足音が二つ出て行くと、僕は顔についた内蔵ケーキを剥す。
「これら人体食品は、祭り当日、露店で売り出す計画だ。見かけはグロイけど美味しいでしょ」
「ゼリーはプルンと弾力があり、生クリームもふんわりクリーミーで、スポンジ部の焼き加減も申し分ないです」
商店街の人気スイーツ店の作品だろう。あの店の生クリームには特徴があるのだ。
「酷い顔だよ。まるでゾンビみたいじゃない」
差し出された鏡を覗くと、赤い生クリームとゼリー塗れになった僕の顔があった。
「帰る前に風呂場を使うといい。散々走り回ったから汗も掻いただろう」
「そうさせてもらいます。ゆっくりお湯に浸かりたい気分です」
「二十分ほどしたら風呂場にきて」と、デロリスさんは出て行く。
ちょうどシャロ姉さんも覚醒したようで、項垂れていた頭を上げる。
「あれ? ここは? 私たちどうなったの?」
「おはようございます」
「ああ、トモ君。私たちいったい……」
僕と目を合わせた途端、シャロ姉さんはビクッ言葉を止めた。顔を歪め、引き攣ったように咽をヒクヒクさせる。
「トッ、トモ君、その顔は! ゾンビになっちゃったのね……」
そうだった。今僕の顔は内蔵ケーキ塗れで、ゾンビみたいな容姿になっているのだった。
「やっぱり噛みつかれたせいね。そんなあの優しいトモ君が……」
「違いますって! これはですね――」
咄嗟に彼女に手を伸ばしてしまったのがいけなかった。僕に食いつかれると勘違いしたのか、シャロ姉さんは悲鳴を上げて解体室から飛び出して行く。
僕は慌てて彼女のあとを追った。
走りながら誤解であることを訴えるも、こちらの声は死に物狂いで逃げるシャロ姉さんには届かず、彼女は教会の建物を出る。
ゾンビ役の人たちは解散しているらしく、外に人影はない。このまま外に出られたらどうしようかと思ったけれど、シャロ姉さんは街に逃げるより、敷地内の小屋に逃げ込むことを選択したようだ。
一時はどうなることかと思ったけれど、これで追いかけっこは終了だ。あとは事情を説明すればわかってもらえるだろう。
安堵しながら小屋に入った僕が目にしたものは、スコップを握り締めたシャロ姉さんの姿だった。どうやら撤去し忘れたらしい。
彼女はスコップをレイピアのように構えると、切っ先でこちらを突いてきた。
咄嗟に飛び退くと、スコップは僕の背後にあった樽を捉える。
樽がバラバラに吹き飛ぶさまに唖然としていると、シャロ姉さんはスコップを引き戻し、再度攻撃を仕かけ、今度は壁に風穴が開ける。
「せめて私の手で苦しみから解放してあげるから。だから安らかに眠って、トモ君」
そう言ってシャロ姉さんの頬を一筋の涙が流れる。
どうやら事態は更に混迷を極めてしまったらしい。
砕ける柱、粉々になるバケツ、真っ二つになる工具箱。シャロ姉さんの逆襲はすさまじかった。
彼女が持っているのがスコップだからまだいい、得意のレイピアを持たせた日には、一瞬で首が落とされる。ゾンビなんかより人間の方が遙かに恐ろしい。
僕は納屋内を逃げ続けた。怒涛の攻撃により、声を出す暇すらありゃしない。そうこうしているうち、徐々に息が切れ、ついに足が動かなくなる。
この機を逃さず、シャロ姉さんはスコップを振り上げる。
脳裏に走馬灯が見え始めたとき、振り上げられたスコップが中央からポッキリ折れる。どうやら無茶な扱いをしたせいで破損したらしい。
武器を失ったことに愕然としたシャロ姉さんは、ズリズリと後退してゆき、やがて壁際でへたり込む。
なにはともあれ助かった。これで誤解を解くことができる。
『怖がらなくて大丈夫ですよ』
そう発したつもりだったけれど、息が切れているせいで上手く発声できず、意味不明な呻き声にしかならなかった。なら近くでゆっくり話そうと歩み寄るも、疲労のせいで思うように足が上がらず、床を引き摺るような歩き方なってしまう。誤解を解くどころか、ますます彼女を怖がらせる結果となってしまった。
泣き出すシャロ姉さんを前に、僕はすっかり途方に暮れてしまった。
僕はTシャツの裾で顔についた生クリームを拭い、その場にしゃがみ、深呼吸して静かに声をかける。
「トモ……君?」
シャロ姉さんが顔を上げる。
「そうです。トモ君ですよ」
僕は優しく、笑顔で答える。
「ゾンビになってないの?」
「ゾンビになんかなってません。人間のままですよ」
シャロ姉さんの手を取り、自分の頬を触らせる。
「ほら、腐ってないでしょ」
「うん……、腐ってない」
もう少しだ。あと一押しで決着がつく。
「シャロ姉さん、危機は去りました。オレたちは生き残れたんです。生きて太陽の下に出ることができたんです」
「――よかった!」
シャロ姉さんと僕はガシッと抱き合い、互いの無事を確かめた。
ようやく終わった。納屋の中に射す太陽光は、いつにも増して眩しかった。
※ ※ ※ ※ ※
「人が悪いですよ社長。あれがアトラクションなら、そうだと最初から教えてくれていればよかったのに」
ベケット本部に戻るや、開口一番、シャロ姉さんはセシールさんに食ってかかった。
「ううっ、シャロちゃん怖い。騙したことは謝るから、そんなに怒らないでちょうだいよ」
セシールさんはデスクに立てた本の陰に顔を隠す。
「私とトモ君はメッチャクチャ大変な目に遭ったんですからね。今回のことは労働組合を通じ、会社側に正式なクレームを入れます」
シャロ姉さんは厳しい口調でセシールさんに詰め寄った。
「うちに組合なんてありませんよ?」
隣のアヤムが疑問を口にする。
「今日設立しました。組合員は私とトモ君です。もしまた今回のようなことがあれば、労働基準監督局への通達も辞さない構えですので、覚悟してください」
なにやら組合員にされてしまったけれど、いいのか? 僕はバイトだぞ。
「そっ、そんなことされたら、うちがブラック認定されちゃうじゃない! 『ベケット総合ライフサービス・ブラック』になっちゃうわ。組合長、どうかそれだけはご勘弁ください」
セシールさんはデスクの上に両手をついて平伏する。
「そのようすだと、あのアトラクションは相当恐ろしかったのですね。さすがのシャロ姉さんも今回の依頼には心が折れたと予想しますが?」
アヤムの言葉に、シャロ姉さんがドキッとする。
「まっ、まさか。ぜっ、全然怖くありませんでしたよ~。ゾンビなんかで私がピイピイ泣くとでも思ってるの。あんなやつらなんでもないわよ。私が怒っているのは、トモ君を巻き込んだことよ。彼は非戦闘員なのよ。あんな怖い目に遭って可哀そうだったわ。私が守ってあげたからいいようなものを!」
「ええ、シャロ姉さんがいてくれなかったらどうなっていたことか」
「ほらほら、トモ君もこう言ってるわよ。社長はしっかり反省してください」
シャロ姉さんは極めて勇敢に行動し、ゾンビたちの襲撃から僕を守った。そう口裏を合わせる約束になっている。悲鳴を上げて逃げたことや、号泣したことは他言無余。穿いていたショートパンツがぐっしょり濡れていたことには気づかないふりをした。全て彼女のイメージのためだ。
とはいえ、嘘であることはバレバレで、セシールさんとアヤムは笑いを堪えている。
「わかったわ。お詫びとして二人に特別ボーナスを支給してあげる」
特別ボーナス? 僕とシャロ姉さんは顔を見合わせる。
セシールさんはデスクの引き出しから一切れの紙を取り出し、シャロ姉さんに手渡す。
「夏祭り当日、ホラーアトラクションのペア入場チケットよ。タダでくれたデロリスさんへの心遣いを無駄にしないためにも、絶対入場してあげてね」
僕は立ったまま意識を失ったシャロ姉さんを休憩室のベッドに運んだのち、業務を開始した。




