死者の追跡
「トモ君起きて、時間よ」
心地よい夢の中にいた僕は、シャロ姉さんに起こされた。
顔を動かすと、すぐ目の前にシャロ姉さんの顔があり、ドキッとする。
「おはようございます」
「おはよう」
互いに挨拶をすませてから、僕らは上体を起こした。
「なんだか、男女の営みのあと朝を迎えたみたいね。俗に言う朝チュンってやつ」
シャロ姉さんは毛布で口元を隠しながら語る。今になって恥ずかしくなってきたのだろうか。
「スズメの鳴き声にはまだ早いですよ」
窓の外はまだ暗く、雨もやんでいない。遠くに目を凝らすと、空が明るくなってきていることがわかる。
「時間的にはちょうどいいわ。司祭の尻尾を掴みに行きましょ」
僕らは着替えをすませ、廊下に出る。
抜き足差し足で聖堂へ侵入し、デロリスさんのプライベートスペースの扉に手をかける。鍵はかかっておらず、ノブを回すと抵抗なく扉が開いた。
扉の向こうには廊下が伸びており、左側の壁に三つ部屋がある。その部屋は施錠されており、扉は開きそうにない。
廊下は突き当りから左に折れるL字型をしており、向こうから微かな物音がしている。デロリスさんはあっちにいるようだ。僕らは足音を立てないよう注意して廊下を進んだ。
まがり角からそっと顔を出し、向こう側を覗くと、微かに開いている扉からランプの灯りが漏れている。僕らはそっと部屋の中を覗く。
シャロ姉さんは咄嗟に自分の口を押さえた。掌で覆われた彼女の口から、小さな悲鳴が発せられる。
それだけ内部は刺激の強い光景だったのだ。
まず目につくのが壁に吊るされた人体の一部だ。手や足、頭部や胴体、人を構成していたものが肉屋よろしくフックにかけられていた。中央にはテーブルが置かれ、その上には肉片が散乱し、脇にある鉈とノコギリからは血が滴り落ち、真っ赤に染まった床のあちこちに人骨が転がっている。
――なんてこった。死霊術の証拠を探していて、とんでもないものを見つけてしまった。人体の解体ショーが開催されているとは思いもしなかった。
グロテスクな光景に呆然としていると、部屋の隅からショーの主催者が姿を現す。
僕は鳩尾に一撃を食らったような心地だった。
主催者はデロリスさんで間違いなかった。ただ、昼間とはだいぶ様相がことなっているのはどうしてだ。顔は生気が感じられない土色で、頬は化膿しているかのように赤く爛れている。顔の左側は白骨化し、眼窩にぽっかりと黒い穴が空いていた。逆に右の目は赤く光り、禍々しい限りだった。
「嘘でしょ、リッチだわ……」
シャロ姉さんが咽から声を絞り出す。
リッチ。小説やフィクションで度々扱われる存在で、確かアンデットの王という話だ。
「人間に化けて、ここの司祭を演じていたんだわ」
冗談じゃない。ホラー小説そのまんまじゃないか。
「じゃあこの教会の本当の司祭さんは……」
疑問はすぐに解消された。デロリスリッチは吊るされていた足の一つをフックから外すと、ムシャムシャと貪り始めた。きっと司祭さんはやつのお腹の中だ。
「早くここから逃げましょう。みんなに知らせるのよ」
シャロ姉さんは僕の手を引っ張る。急に動いたため、キュッと靴底が床と擦れ合う音が響いてしまった。僕らはゾッとして動きを止める。
恐る恐る後ろを振り返ると、小さく開いた扉の隙間を隔て、デロリスリッチと視線が交差する。
「撤収っ! 撤収よ!」
「りょっ、了解です!」
僕らは脱兎のごとく聖堂へと戻り、外へと続く扉へと走った。とにかく逃げるんだ。
大急ぎで扉を開けると、外ではゾンビの大群が出迎えてくれた。ゾンビたちは呻き声を上げながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
僕らはすぐに扉を閉め、聖堂から逃げた。
「ホームセンター! ホームセンターに逃げるのよ! 逃げ込んだら材木で入口と窓にバリケード作るのよ! 飼っていた犬がやってきても助けに行っちゃダメ。やつらは些細な隙も見逃さないわ。もし噛みつかれたなら正直に名乗り出るのよ。これがこの砦のルールなんだから!」
恐怖に呑まれたシャロ姉さんは、逃げながら意味不明なことを叫び続けていた。
食堂を抜け、階段を駆け上がり二階の事務室に飛び込む。壁にかけられていた剣を手に取り、愕然とする。
「これ模造品じゃないですか!」
素材はゴムらしく、手で握るとグニャリとまがった。
シャロ姉さんは絶望の表情でその場に崩れる。「もう、終わりだわ」。
「なに諦めてるんですか。まだです。まだ終わりません」
シャロ姉さんを立たせたとき、廊下の方からゾンビの呻き声が聞こえてきた。もう二階に上がってきたのか。
僕は中央のテーブルをドアの横に寄せ、開かないようロックをかける。デーモンから逃げたときもこんなことをしていた。あのときは一瞬で破られたけれど、今度はどうだろう。ゾンビの大群相手にどの程度持ち堪えてくれるかは不明だ。
やがて壁一枚隔てた廊下側から、たくさんの呻き声が聞こえ始め、ドアがドンドン叩かれる。
卒倒しそうになるシャロ姉さんの肩を揺すり、なんとか意識を保たせていると、不意にドアを叩く音が止んだ。
「そんなところに隠れていないで出ていらっしゃい。一緒に楽しみましょうよ」
デロリスリッチの声がしてきた。僕らがこの部屋に隠れたことは筒抜けのようだ。
「誰が出て行くもんですか。ゾンビなんかと戯れる気は更々ないわ。乱痴気騒ぎがしたいなら内輪だけですませてちょうだい!」
意識を持ちなおしたシャロ姉さんが声をあげる。
「うふふ。やぐらを囲んでダンスをするのも面白そうね。でもその前に腹ごしらえしておかないと。私の子供たちはみんなお腹ペコペコで、新鮮なお肉がほしくて堪らないの。だからあなたたちの協力がいるわ。お願い」
十六年の人生で聞いた中で、もっとも無茶なお願いだ。アイですらこんなお願いはしてこないだろう。
「五分だけ待つわ。五分以内に出てきてくれるなら、怖くないように一旦眠らせてからモグモグしてあげる。けれどもし時間がすぎたなら、意識があるままいただくわ! こちらからは以上。私がその気になればこんなドアはすぐに破れることを踏まえたうえ、そちらの賢い選択に期待するわ」
デロリスリッチは無慈悲に最後通告を終えた。
賢い選択ときたか。賢いかどうかはわからないものの、この部屋からは脱出可能だ。上部に排気ダクトの穴が空いており、あそこからなんとか出れそうだ。椅子を足場にすればじゅうぶん届く。
ダクトには格子状の蓋がしてあり、剣の置物を固定していた金具を使って取り外す。
「シャロ姉さん早く。もうすぐ五分ですよ! やつがきます」
部屋の隅で頭を抱えていたシャロ姉さんをダクトへ促す。彼女が入ったのち、僕もダクトに侵入する。
入口と比べ、中はやや広い。なんとか自由に移動できる。僕らは四つん這いになり、ダクトの中を進んだ。
「ううっ、今日は人生最悪の日よ」
シャロ姉さんは半泣きだ。無理もない。ゾンビに追いかけ回されたうえ、こんな狭苦しい場所を這いずるハメになったのだ。涙の一つも流したくなる。
視線を正面に向けると、ショートパンツに包まれたシャロ姉さんのお尻が眼前に望める。
……景観は悪くないな、などと不謹慎なことを考えたとき、急にシャロ姉さんが動きを止め、僕は彼女のお尻に顔面をぶつけた。
「ああゴメン。大丈夫、トモ君」
「平気です。むしろありがとうございま――じゃなくて、どうかしましたか?」
「分かれ道よ。右と左、どちらに行こうかしら」
言われて確認すると、前方のダクトが左右に分かれていた。
片方は別の部屋に伸び、もう片方は外に向かって伸びていると思われる。僕は教会の部屋割りを思い浮かべ、ダクトの構造を大まかに予想する。
不意に後ろからカツンと音が響き、僕とシャロ姉さんはビクッと肩を竦ませる。
次の瞬間、カツンカツンと断続的に鳴り始め、なにかがこちらに向かってくるのは明白だった。やつらしかいない。
「居場所がバレたんです。前進してください!」
「でもどっちに行けば!」
シャロ姉さんが迷っていると、背後からゾンビが一匹迫ってきた。女ゾンビのようだ。苔が生えたような緑色の髪をダラリと垂らしている。
こいつはかなり敏捷なようで、狭いダクトの中をスイスイ這ってくる。
「左に行ってください!」
僕の言葉に従い、シャロ姉さんは左のダクトへ進んだ。
「よしよし、こっちだ。こっちにきやがれ。このドブス!」
僕は背後から迫る女ゾンビをある程度引きつけたのち、右のダクトへと進んだ。
思惑どおり、女ゾンビは僕を狙ってきた。これでも一応男だ。女の人を逃がすのは当然の義務だ。
「豚みたいな鼻しやがって、この貧乳め」
女ゾンビの顔に怒りが宿ったのがわかった。移動速度を上げ、こちらに迫ってくる。
どういうことだ。生前のコンプレックスはゾンビになっても消えないのか。
僕はとにかく逃げた。女ゾンビを振り切るため、ダクトの中を犬みたいに四つん這いで駆けた。
こちらの方が速度は上なようで、徐々にその差は広がり始める。
よし逃げ切れる。そう油断したときだった。僕が乗ったダクトの底が抜けた。
なんとかダクトの端にしがみつき転落を免れる。そこはゴミの収集スペースなようで、ダストボックスが置かれていた。
問題はここにいる先客たちだ。四メートル四方の空間にはゾンビが犇めき、ぶら下がる僕にいっせいに手を伸ばしてきた。やつらのドス黒い指先が靴底を掠め、僕は掴まれないよう膝をまげて足を縮めた。
とにかく上に戻らなくては。腕に精一杯の力を込め、ダクトの中に這い上がる。なんとか胸元まで昇り、ダクトに肘をかけたとき、女ゾンビが迫ってきていることに気づく。
ちくしょう、なにか手はないのか。パニックに陥りそうな頭をフル回転させているとき、ふと、ダクトの連結部が目につく。
ダクトはアルミ製の板を何枚も連結して構成されている。先程底が抜けたのは、その板の一枚が外れたためだ。連結に使われているのは小さなボルトで、強めの衝撃を加えれば破断してしまいそうだ。
――これしかない! 僕は女ゾンビを目前まで引きつけたのち、ダクトの連結部を蹴り上げた。次の瞬間、哀れな女ゾンビはダクトの板ごと下に転落し、置かれていたダストボックスの中に落ちて行った。
重力は絶対だ。聖剣アスラームですら、この自然法則には抗えなかったのだ。
「へーんだ。ざまあみやがれ、マヌケな貧乳!」
ダクトに這い上がったのち悪口を残し、僕は先に進んだ。




