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序章

 名も無き都市の

 名も無きこえ



     *     *     *



 眼下に現れた光景を砂丘の頂上から私は眺めた。

 平地を忽然と切り取って、砂漠の上に都市が見えた。

 「都市」と呼ばれてはいたが、それは墓所だった。

 広大な砂漠の真ん中を四角く区切って砂色の無数の墓石が並び立つ様子が、小さなタイルを敷き詰めた床のように見えていた。

 居住区の全てを墓地に変え、はるか古代に滅び去った都市に住む者は、もういない。

 墓の下に死者だけが住む街だった。

 都市には名は無い。

 無数の死者にも、名前はなかった。

 並び立つおびただしい数の墓石に墓碑銘が刻まれたものが一つも無いことを、私はいくつかの文献で読んで知っていた。

 名前を持たないその都市から、私はずっと目を離せずにいた。

 死者たちは自分たちの名すら墓に残すことなく消えていったのだ。

 日暮れの近い砂漠に無数の墓石が長々と影を引いている。

 横目で視界の端にその姿を捉えたまま、ラクダの手綱を引いてあてもなく歩き続けた。

 何かから逃れるように。


ーーなぜ、こうなってしまったのか。


 荒涼とした都市の景観から視線を引き剥がすようにして、目をそらす。

 重く引きずる足を止める。

 もう何度目かもわからない溜め息をついて振り返った。

 引き綱の先には一頭のラクダがこれも力なく、とぼとぼとついて来ている。

 その背にぐったりともたれかかるように一人の若い娘がラクダに乗っていた。

 長く赤い髪は乾燥した砂漠の風にもつれ、輝きはせている。

 ひび割れた唇はもう何日も言葉を発していない。

 見開かれた瞳も、何も映さない。

 砂塵にまみれてもまばたきひとつせず、それでも、彼女は息をしていた。

 時折、ラクダの背の上で身じろぎをする。

 どこへ行こうと言うのだろう。

 もう自分の意思ではどこへも行かれはしないというのに。

 自分自身の身体と心から逃れることなどできはしないというのに。

 自分が何を求め、何を夢見たのか。

 自分が、いったい何だったのか。

 おそらく、彼女自身がわかってなどいなかっただろうし、誰も教えてなどくれなかった。

 契機きっかけはあった。

 見向きもしなかったけれど。

 だが、それを彼女に言うのは酷だろうか。

 今の状況がその代償と呼ぶには大き過ぎたのか。

 私には解らない。

 私に、それを断じる権利があるはずもない。

 彼女は私を利用したが、私もまた彼女を利用していたのだから。

 いずれにせよ、いま一度砂嵐に巻き込まれてしまえば、衰弱しきった彼女の体が持ちこたえられるとは思えなかった。

 それで構わない、と、突き放す気力もなかった。

 いや。

 そんな覇気があったなら、そもそも最初から巻き込まれることもなかったのだ。

 なのにーー。


 振り返った目線の先、砂漠の向こうに暗く煙る影がひとつ現れた。

 夕闇迫る砂丘の上からそちらを見る。

 最初はぼんやりとした黒いもやのようだった影は砂塵を巻き上げながらだんだんと大きくなってきている。

 こちらへ近づいてくる。

 その砂嵐の影が私たちの背後にのしかかってきたかのように、私の胸を重く塞いだ。


 砂塵を巻きあげる暗雲は、低く傾いた太陽を覆い隠す勢いで迫っている。

 うなる風の声も耳に届いている。


 砂嵐は迫り、日暮れは近い。

 再び背後に迫った砂塵の猛威から身を隠すには、もうそこへ向かう以外にはなかった。 


ーー無名都市だ。




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