7話 伯爵の娘、旅館に泊まる(1)
※今回は貴族の少女ナタリアの視点です
馬に乗れないナタリアは山越えの際、輿に乗せられて移動する。
四方は覆いがかかっているし、実質は小さな部屋が動いているようなものだ。
それを合計6人の男が駆り出されて運んでいる。
「あ~あ、山道は揺れるから嫌いですの」
輿の中でナタリアの機嫌は悪くなっている。
彼女はアリマー山脈南部のカラコニア伯の娘で、今年で十三歳になる。
わかりやすい令嬢の身分で、カラコニア伯も目に入れても痛くないほどにかわいがっている。
ただ、そのかわいがり方のせいでナタリアは迷惑をこうむっている。
カラコニア伯が仕事で王都アレンシアに上洛する際、必ず一緒に連れていかれるのだ。
悪い虫がつかないようにするため――という理由は与えられているが、単純にカラコニア伯が娘と離ればなれになりたくないのである。
というのも、ナタリアは伯爵が50歳になってはじめて手にした娘である。
前妻との間に生まれたもういい大人の息子は政務も担当しているが、年がいって生まれた娘はやはりかわいいものである。むしろ、とことん愛を注げる分、かわいがり方も過剰になる。
はっきりとはナタリアも聞いていないが、縁談の話などもどうやらこの父親が断り続けているらしい。
貴族同士ならこの年ならありえないことではない。すぐに嫁がないにしても婚約者を決めるぐらいはありうることだ。
そんなわけで、ナタリアは王都に向かっているのだった。
王都はにぎやかで華やかだし、田舎町のカラコニアよりは楽しい、そうナタリアも思っている。
「この山道はどうにかならないものかしら」
とはいえ、必ずアリマー山脈を越えないといけないのがつらい。
山というのはナタリアにとって未開の象徴であった。
近くから金を払って雇う地元民はみんな訛っていて、粗野で、とても我慢ならない。
それはまさしく上流階級出身のナタリアにとって許せるものではなかった。
しかも、向こうもナタリアを物珍しそうにじろじろ見てきたりするのだ。
それを理由に今回の王都行きは断ろうかと思ったぐらいだった。
しかし、父親はこう言って、ナタリアをなだめたのだ。
「近頃、山脈に実に感じのよい宿ができて、貴族もひいきにしていると言うよ。ナタリアちゃんもきっと気に入るはずだ」
どうせ田舎に最近できた、こぎれいなだけがとりえのつまらない宿だろう、そう思ったが、一応行くだけ行ってみることにした。
父親に押し切られたのだ。
なにせ、断ったら父親はもう老人だという年なのに本当に泣きそうになるのだから。
この調子では自分がどこかの貴族の妻になった日に、父親は憤死するのではないだろうか。
「あ~あ、本当に揺れますわね……」
ぶつぶつ輿の中で愚痴を言っていると、急に動きが止まった。
ちょっと御簾をあげて景色を見ると、目の前にこれまでまったく見たことのない様式の建物が建っていた。
しかも、相当な高層建築だ。
五階? いや、六階まであるか?
「何ですの、この建物……?」
こんな山にこれだけのものを作るってどういうことだ?
どこかの大商人が金を積んで爵位でも得て、山を領地にもらったのか?
「ナタリアちゃん、着いたよ」
馬に乗っている父親があやすような声を出した。
「これが、その宿ですの……?」
「そうだよ、大臣が激賞したと都でも評判になっているらしい」
「ふん、どうせ、珍しいというだけのことですわ……」
愚痴を言いつつ、ナタリアも宿の中に入る。
ドアは自動で開いた。
なるほど、貴族の邸宅の一部は魔法で扉が自動に開くようにしているというが、それに合わせているのだろう。
「「ようこそ、おいでくださいました!」」
従業員らしき者たちがずらりと並んで頭を下げた。
(なるほど、こういう礼儀はわきまえているようですわね)
もっとも、ちやほやされることに慣れているナタリアはその程度ではいい気にならない。
「お父様、ノドが渇きましたわ。お茶はありませんの?」
どうせ山の中だから、たいした料理も出せないだろう。
そうタカをくくって、こんなことを言った。
王都での暮らしもそれなりに長いから、ナタリアは一流のものに慣れている。
奇妙な服を着ている中年の女が前に出てきた。
「わたくし、女将の息吹と申します。あちらにお庭が見えるラウンジがございますので、そちらでお茶というのはいかがでしょうか?」
「そうですわね。それじゃ、ご案内いたしてくれませんこと?」
フロントの奥を進んでいくと、たしかにソファーが並んでいるところに出た。
透明な窓の先では大きな池を配した庭が見える。
「ほう、面白いね、ナタリアちゃん。これは異国風のお庭なんだよ!」
「まあ、手入れは行き届いているみたいですわね。でも、お茶がおいしくなければ意味がありませんわ」
ソファーに座ると、メニュー表をナタリアは見る。
お茶の銘柄のほかにケーキと書いたページがある。
(シフォンケーキがここで食べられるとしたら悪くはありませんわね)
少しナタリアの機嫌がよくなった。甘いものには目がないのだ。
だが、あまり聞きなれない名前と絵が並んでいる。
・栃木苺のショートケーキ
・宇治抹茶ロールケーキ
・丹波栗と丹波黒豆を使ったモンブラン
「もんぶらん? よくわからない名前ですわね……」
クリームを使ったお菓子もなくはないが、こんなに大量に使っていそうなものはほぼ聞いたことがない。
ナタリアが食べるお菓子というとクッキーのような焼き菓子が中心だったのだ。
「そのモンブランはとくにおすすめでございます。クリームのおいしさと栗と黒豆の自然な甘さがよく調和していまして、一番人気となっております」
「それでは、このもんぶらんとハーブティーのセットをいただこうかしら」
やがてお茶とモンブランが運ばれてきた。
たしかにモンブランというお菓子は実においしそうに見える。
ナタリアの本能がこれはおいしいぞと訴えている。
でも、すぐにフォークを伸ばすような無粋なまねはしない。
ナタリアは本能を押し殺す。
(まずはお茶から。まあ、田舎の割には努力しているといった程度のものでしょう)
あまり期待をせずに、ハーブティーを口にする。
(えっ!?)
思わず、目を見張った。
(なんて、心地よい香りですの……。まさか、まさか……)
こんな山の中でこれまでで最高のハーブティーに出会うなんて!
「森さと」は喫茶コーナーのレベルも格別です!
次回は朝に更新する予定です!




