6話 旅館「森さと」異世界でリスタート
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※今回は若女将、葵の視点です
「森さと」が異世界に転移してしまった時、すべての従業員がパニックになった。
もちろん、若女将の葵だって例外ではなかった。
若女将を名乗ってはいるものの、正直、能力面ではまだまだ女将であり母親の息吹に届かないことを葵も自覚してもいた。
息吹は目が後ろにもついているんじゃないかというぐらい気が利く。
掃除が行き届いてないところもすぐに気が付く。葵はいまだに注意をされる。
もちろん、葵も一生懸命にやってはいるのだが、どこかまだ抜けるところがある。
――お客さんの気持ちになって考えなさい。
息吹のその言葉はいつも胸に刻んではいるのだが……。
やっぱりミスはある。
そのミスはたいてい息吹や、社長であり支配人の父親、一成その他の面々にフォローされていた。
その理由の第一は若さである。
若いからどうしたって経験が足りない。
これは葵にはどうしようもないことだ。
しかし、その若さが武器になることもあった。
ずばり、適応力だ。
ファンタジー世界に来た直後はオークの軍団などが襲ってきたらどうするのかとあわてていたが――
割合平和な山越えの街道だと気付いてからは、そこに一番早く順応していった。
葵はある程度、小説なども読んでいた。
ここが自分が本で読んだことのあるようなファンタジー世界であることも、「森さと」の人間の中で最初に受け入れた。
ならば、異世界でどういう対策をとっていけばいいかも、ある程度わかる。
そして、次元の乱れなのか、冷蔵庫や倉庫の一部が日本と奇妙なつながり方をしていることもわかってきた。
それは個々の担当の従業員たちが自然と発見していったことだ。
「あれ、食材が復活してる」
「お手ふきが復活してる!」
「布団もきれいになってる」
「お土産コーナーに置く漬物も新品が届いてる!」
そう、日本と隔絶された世界に来てしまったはずなのに、日本のものが潤沢に使用できるのだ。
布団も業者が交換に来る場所に置いていると、きれいなものにちゃんとなっている。
しかも、電気やガス、水道なども使えるし、庭の池をうるおしている湧水も出ている。
「お父さん、お母さん、これなら旅館業ができるよ! むしろ食べ物も布団も無限に出てくるんだから、チートと言っていいぐらいだよ!」
これからどうしようかと落ち込む従業員たちを励まして、異世界で旅館を経営する流れを作っていった。
ただ、異世界のルールがわからなければ旅館の経営も立ち行かないので、王都アレンシアやほかの街に行って、いくつもの宿に泊まった。
そして、相場やサービスも調べあげた。
その過程でわかったことは――
1 宿は食事付きと食事なしのタイプに分かれる。
2 食事付きの店はレストランや酒場も経営していることが多い。
3 宿は旅人に部屋を貸す場所、という程度の意識しか経営側も客も持ってない。
――といったことだった。
そんなたいしたことではないが、葵はとあることに気付いた。
「異世界の宿はサービスという概念がない!」
別に店主が無愛想なことも愛想がいいこともあるだろうけど、ゆっくり客人をもてなすという前提はないのだ。客が帰る時に外まで見送りに出る宿屋の店主なんてまず皆無のはずだ。
一階が食堂になっている宿もあるが、それは飲食店と合体しているというだけで、やはりサービスという概念とはちょっと違う。
考えてみれば、そうおかしなことではない。旅館というスタイル自体が日本特有の、ガラパゴス的進化を遂げたものであるはずなのだ。
まして、「森さと」は温泉旅館だった。
露天風呂も、卓球台も、お土産コーナーも、それなりに特別なものである可能性は高い。
ならば、この特性を生かして、異世界でも最高の宿にしてやるべきじゃないか。
「皆さん、ここでおもてなし精神を生かして宿をやりましょう! きっと異世界の皆さんに喜んでいただけるはずです!」
葵はそう考えた。
そして、すぐさま行動に移した。
従業員にもお願いして、様々なことを調査しだした。
人種。
食習慣。
国際情勢。
この「森さと」があるセルフィリア王国はそれなりに平和で、西洋系に見えるセルフィリア人を中心にエルフや獣人、国に従っているオークやゴブリンなどが住んでいた。
モンスターなどは存在するが、別にそれを率いる魔王のようなものは現状いない。
食習慣はおそらく中世ヨーロッパに近いもので、卵や魚の生食は基本的にない。
このアリマー山脈を通る街道は主要な道なので、利用者の数はそれなりに多い。
商売をするのは十二分に可能だという結論に至った。
営業許可も得られた。
王国に対して、「街道利用者の便宜をはかる施設です」と奏上したところ、許可されたのだ。
王国としても自分たちで一円も出さずに街道の促進になるなら悪くはないという判断をしてくれたようだ。
実際、宿を作るとなると、そこに定住する人間が必要になる。不便な山の中にわざわざ住みたがる人間は少ないし、水の確保など問題も多かった。
その点、なぜか「森さと」はそういう問題を自動的にクリアできていたのだ。
こうして、「森さと」は異世界の地で、新しい歴史を刻むことになったのである。
・看板や案内はセルフィリア語を中心としたものにする(幸い、ここに転移してきた時点で、みんな文字は読めた)。
・食事はある程度、この土地の人に受け入れられるように刺身などはあまり出さないようにする。
・大浴場に入るのに慣れてない相手のために、部屋ごとに借りられる個室風呂を増やす。
・「森さと」の裏の土地などで、この地の野菜を植えたり、アリマー山脈でとれる山菜や果物を使うなど、この地域のポテンシャルを新たに生かす。
課題は多かった。
それでも、旅館「森さと」は新しい価値創出のために戦う。
場所は山の中腹だが、これは明らかに船出である。
なんとか寝る前にもう一度更新できればと思います! 次回からは貴族のお嬢様が旅館に泊まりにきます。