3話 二人の商人、旅館に泊まる(3)
なんとか日が変わる前に間に合いました!
「森さと」の庭は池泉回遊式庭園という。
池が配置されて、その周囲を歩いて散策することができるようになっている庭だ。
バルスとケイリーの二人もゆったりと庭園を歩いた。
「俺はあのきついアリマー山脈なんて見るのも嫌だと思っていた。しかし、こうして宿から見ると、全然違ったものに感じるな」
「心持ちの問題かもしれませんよ、バルスさん。この山にぶつかった時は早く通り過ぎることしか考えられませんから」
「そうかもな。とにかく、こんないい宿があってよかったよ」
庭を一周すると少し汗ばんでいた。
「お風呂もありますので、よろしければどうぞ」
「ここは葵さんの勧めに従ったほうがいいよな、ケイリー」
にやにやとバルスはケイリーの顔を見た。
葵に気があることがなんとなくわかるのだ。
「そ、そうですね……。じゃあ、お風呂にしましょうか」
「あっ、そうだ!」
葵がぽんと手を合わせた。
「あの、お風呂は大浴場となっています。ほかのお客様が入っていることもありますが、大丈夫ですか?」
大浴場はたしかに王都など大都市にはあるが、不特定多数が裸になるというスタイルはこの世界ではそう一般的ではない。
「それなら問題ない。旅の商人をしていると、いろんなところに行くからね。風呂に入れるだけでうれしいぐらいだ」
ほっと、葵は胸をなでおろす。
「それでは大浴場へご案内いたします!」
お風呂は、「男」と書いた青い布と、「女」と書いた赤い布で、別の脱衣部屋に分けられていた。
脱衣場で服を脱ぐ。風呂場の前にも布がかかっていて、「鶴の湯」と書いてあった。
扉を開けると、むわぁっとした空気がぶつかってくる。
先客はいない。
「これはずいぶんと熱そうですね」
「おっ、注意書きがあるな。――まず、かけ湯をして、汚れを落としてから入れ。その日最初に入浴する時は体も洗ってから入れ」
「それと、タオルを湯船につけるな――ですか。とくに問題はないですね」
そんなルールを明示している大浴場はあまり知らないが、風呂の湯が汚れないようにしたいのだろう。意図はわかる。
湯船からお湯を取って体にかける。
ただ、ケイリーは湯船と向かい側の水道のようなものが並んでいるところに目をつけた。
「押せ」とボタンに書いてあるので、そこを押す。
すると、きれいなお湯が出てきた。
「バルスさん、ここからお湯が出るので、これで体を洗いましょう」
「おっ、そうか。へえ、石鹸も常備してるのか。まあ、高級そうなところだからな」
石鹸も流通量が少なく、かなり高値で取引きされるはずだ。
「この石鹸一つで銀貨五枚ぐらいはしますよね」
「しかも、よく泡立つな。もしかすると、銀貨10枚ぐらいするかもしれんぞ」
「何から何まで貴族仕様の宿なんですね」
「このレバーみたいなのをひねると、シャワーも出ますね」
「こんなの、魔法使いでもいないとできんと思ってたがな」
石鹸とは別の変な容器には「これを押して、頭髪につけてこすってください」と書いてある。
それはシャンプーだった。言われたとおりにすると、頭がすぐに泡立つ。
「どこまでも高級品をおしげもなく使う宿屋だな」
「あの、まさか貴族しか泊まれないなんてことはないですよね? 店が勘違いしているだけとか……」
「俺たちの姿を見て、旅の商人以外の何かと思う奴などおらんさ」
体と頭を洗うと、二人は湯船につかる。
「くうぅぅぅぅ~~~~、これだな!」
「バルスさん、親父くさいですよ」
「いやあ、旅に風呂っていうのは実にいいな。ここに入っている間は憂いも忘れられる!」
「たしかに、このお湯はやけにあったまりますね。温度も高いんでしょうけど、それ以上に体の中からあったまるというか」
ケイリーの表情もゆるむ。
たしかにここにつかっていると、嫌なことなどすべて忘れてしまう。
自分が一人の帝王になったような気さえする。
「こんな宿が王都にあれば大にぎわいだろうにな。こうも辺鄙なところにあるのがもったいない」
「いえいえ、でも、都会の喧騒から離れたところだから僕たちもくつろげるんじゃないですか」
「それは一理あるな」
訪れる人間も少ないところにこの宿があるから、安らぎが得られる。この大浴場も二十人も入っていれば落ち着くどころじゃないはずだ。
と、バルスは壁に案内板が張ってあるのに気づいた。
「外のお湯もお試しくださいとあるぞ。矢印もついている」
たしかに奥にさっき入ってきたのとは別の扉がある。
「外? 裸で外に出るわけにもいかないでしょう?」
「宿の敷地だから大丈夫なようになっているんだろう。せっかくだから俺は試してみるぞ」
その扉を開けると、そこには岩に囲まれた別の湯が湧いていた。
周囲は竹か何かの垣で覆われていて、外から覗かれたりはしないようになっている。
夕暮れがまぶしい。風が吹いているのも感じる。
そう広い場所でもないそこが、特別な聖域のように感じられた。
「ほう、露天の湯か」
火山地帯の近くだと、天然の湯が湧いているという話を聞いたこともあるが、実際に露天風呂を見るのは初めてだった。
「よし、こちらも入ろう」
バルスは中の風呂とはまた違う良さがあることにすぐに気づいた。
「湯は熱いんだが、外だから頭はすっきりしている。なんとも絶妙の塩梅だ!」
「あっ、本当だ! これはいい!」
ケイリーもバルスが何を褒めているのかすぐにわかった。
建物の中の風呂とはまったく違う感覚がある。
「なんだろう、爽快感がありますね」
「だよなあ。頭の上には天井も何もない、そういうところで裸になって湯につかる、これはなんとも贅沢じゃないか!」
そのあと、バルスはやけに饒舌になった。
まるで酒に酔ったのかと思うほどだった。
「あのな、ケイリー、俺、実を言うとそろそろ引退しようかと思ってたんだ」
「え? まだバルスさん、45歳でしょう?」
「もう、45だよ。息子も20歳で、旅をしながらの商品を集めてもいいころ合いかなと思ってた。旅は体にも響くしな」
バルスはずっと夕日を見ながら語っている。
お互いに顔を合わせないから何だって話せる、そうケイリーは思った。面と向かってでないと話せないこともあれば、その逆もある。
「でもな、こんないい宿ができたんだったら、話は別だ。この時間はここに来ないと過ごせないからな! まだ10年は続けるぞ!」
「ええ、ぜひ、そうしてください!」
裸の付き合い――という言葉がある。
普段は話せないこともお湯につかりながらだと、自然と出てくるのだ。
きっと、お湯が体のこわばりだけでなく、心のこわばりもほぐしてくれるのだろう。
二人はのんびりと、食事に近い時間まで温泉に入っていた。
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