19話 森のヌシと旅館(4)
ハンバーグ、それは昔から子供が好きな料理の上位を譲らない王道の一つだ。
もちろん、大人用の高級ハンバーグだって多い。おしゃれな洋食屋さんにもハンバーグはしっかりとメニューにある。
ステーキと違って加工食品的な要素があるからこそ、大根おろしの和風ソースをかけたり、肉の代わりに豆腐を使ったりと様々な変化も起こせる。
ハンバーグは可能性に満ちた料理なのだ。
肉を使わないという制約だって、ハンバーグなら軽々と超えていける。
「そうか、満足感とはこういうものであるのじゃな……」
森のヌシのフォークを持つ手が止まらない。
いくら普段が菜食中心の生活とはいえ、やはりコースにはがっつりしたものがないと締まらない。
そんな時に豆腐ハンバーグは見事にその大役を果たしていた。
「肉系のものは使ってないが、できうる限り、肉の雰囲気を再現した。上品さはあえて二の次にした」
広兼は腕組みをしながら、じっと客人の食事風景を見守っている。
料理人としての面目躍如といったところだろう。
ヌシが食べているのは「変わった料理」とか「特別な料理」とか「高級な料理」とかいった情報ではない。純粋にうまい料理である。
これこそ、料理人広兼の本来の仕事と言ってよかった。
「どうしても、旅館だと凝ったものを出さないといけなくなるが、王道には王道のよさがある。その先に創作料理もあるんだ」
「ヌシさん、幸せそうですね」
葵が広兼に笑いかける。
「人はおなかいっぱいになる時、幸せになりますもんね!」
「そうだな、お嬢は本質がよく見えてる」
ヌシの顔はシンプルすぎる笑顔だ。
おいしいという以外の感情などない。
最初、「森さと」に来た時はヌシも否定的な気持ちも抱いていたかもしれないが、今はそんなもの、きっとどこかに飛んでいってしまっているだろう。
ヌシとの戦いに広兼が圧勝したと言っていいだろう。
付け合わせのインゲンとソテーしたニンジンも含めてヌシはきれいにたいらげた。それこそ、食べる側ができる料理人への敬意の表明の一つだった。
最後に、森でとれたフルーツの盛り合わせが出て、昼のコースは終了。
「なあ、おぬしたち」
すべてを食べ終えたあと、水を一口飲んでから、森のヌシが言った。
「我が来た時、このようにもてなしてくれるかの?」
「もし、山の入山権を認めてくれるなら、時間が許す限り、やってやる」
広兼はさらりと交換条件を出した。
「わかった。なら、好きなだけ森で食材をとるがよいわ。ああ、当然、森が荒れるほどとったらダメじゃけどな。お前らのことじゃ、そこは空気を読んでやるじゃろ」
「ありがとうございます!」
葵が感謝の気持ちをその顔で示した。
「ここまでいい気分になれるのであれば、こちらからも対価を支払う気にもなる。できうる限り、協力しようではないか」
森のヌシも表情をゆるめている。
おいしい食事は精霊の心もとろかす。
「ああ、そうだ、ヌシよ。もう一つ、お願いしたいことがあるのだが」
広兼が真面目な顔でヌシに言った。
「いったい、なんじゃ?」
「ウサギの姿に戻ってくれ。もふもふさせてほしい」
「そういうのは禁止! ていうか、おぬし、これでも若い女の姿であるのに、人間の形態には興味ないのか!」
ヌシの今の姿は純然たるウサ耳少女である。
「あの大きなウサギのかわいさにはまったくかなわねえな」
広兼はガチだった。
「う~ん、若い女の人に鼻の下伸ばす広兼さんを見たくもないですし、これはこれでアリなんですかね……」
葵は複雑な表情をしていたが――
「私ももふもふはしたいので、ウサギの姿になっていただけませんか?」
恥ずかしげもなく要求してみた。
「その言うだけ言ってみるっていうのはやめるのじゃ!」
「広兼さんにもふもふさせてあげたら、また豆腐ハンバーグを作ってくれますよ」
「…………う」
森のヌシの中でも葛藤があるらしい。
「わかった……。もふもふするがよい……」
ヌシは立ち上がると、二人からは見えない部屋の死角に移動した。
そこから戻ってくると、もうヌシは巨大なウサギの姿になっていた。
「ほれ、これでいいんじゃろ!」
そのあと、広兼は真顔で巨大ウサギのもふもふを堪能した。
堪能している間も真顔だったので、逆に不気味でもあった。
とくに、にやけたりはしないらしい。顔には心が現れない性質なのだろう。
葵もウサギをもふもふすることができた。
「うわ~、こんなウサギさん、動物園にいたら、絶対に超人気なのにな~」
「動物園って、動物を狭い檻に閉じこめておる空間じゃろうが。なんで、そんなところに入らんといかんのじゃ」
この世界の動物園はまだ動物愛護の概念が発達してないらしい。
「そうですね、ウサギさんには元気にのびのび生きててほしいですね」
「あのな、ウサギではあるが、森のヌシじゃからの? それなりの敬意は払うのじゃぞ……」
◇
さて、後日。
「ほれ、いい木の実があったから、持ってきてやったぞ。これはシロップ漬けにすると美味いというから試してみるがよい」
森の主はウサ耳少女の姿で、時折「森さと」にやってくるようになった。
「あっ、ヌシさん、おはようございます!」
「うむ、くるしゅうないぞ」
玄関前を掃除中の葵とあいさつを交わす。
「最高品質のものだけをよりすぐって持ってきてやったからな。しっかりとよい料理にするのじゃぞ」
「はい! 本当にありがとうございます!」
「…………それで広兼はおるのか?」
明らかに何か期待している顔でヌシは言った。
「はい、また何か作ってくれると思いますよ!」
こうして主に午前にやってくる不思議な常連客が「森さと」に増えることになったのだった。
「しかし、すぐに料理ができるとも思えんしな、温泉にも入らせてもらえんか?」
「はい、大丈夫だと思いますよ。お母さんに聞いてきますね」
「森さと」のおもてなし精神は人でない者にも発揮されるのだ。
地元民にも愛される宿に「森さと」は成長した。
アリマー山脈にしっかりと根を下ろしたと言っていいだろう。




