1話 二人の商人、旅館に泊まる(1)
バルスとケイリーは仲の良い商人仲間である。
どちらも海辺の街とセルフィリア王国の王都アレンシアの間を物産を運んで生計を立てている。
「あ~、やっぱり、この山はきついよな……」
「本当にそうですね……。何度通ってもつらい……」
年上のバルスの言葉にケイリーが合わせる。
アリマー山脈は商人泣かせの難所だ。
まず道が険しく、しかも細いところも多い。
だから大きな荷馬車を仕立てて大量に物を運ぶこともできない。
二人も何頭もの馬に荷物を載せて運ばせている。
馬がへばってしまうから、とても自分たちが乗るのは無理だ。
できれば、今日中に峠を越えてしまいたかったが、とてもそれはかなわなそうだ。
「こりゃ、野宿かもな」
峠の関所は国が認めた者以外の宿泊を認めていない。
ごく普通の商人は野宿が当たり前だった。
「そうですね。小屋でもあればいいんですけど」
「まあ、雨が降らないだけマシさ。――――あれ? なんだ?」
バルスが素っ頓狂な声を出した。
見慣れない様式の建物が街道横にできているのだ。
しかもかなりの高層建築だ。最低でも五階はある。
「砦か何かでしょうか? 街道のそばですし」
ケイリーは道の封鎖が可能な砦が主要な道路の近くに作られることを知っていた。
各地をまわる商人ならではの知識だ。
「砦なら水堀か空堀がなきゃおかしい。貴族の迎賓館だろうか。待てよ。説明がある」
道に沿って置いてある立て札には、王国の言葉でこうあった。
<旅の疲れをゆっくりと癒す宿です。予約のない方でもお気軽にどうぞ。創業テンポー元年、旅館「森さと」>
「テンポーって何の暦でしょうか? 古代暦?」
「わからん。とにかく、宿であるらしい。助かった。ここに入ろう」
このまま中途半端に峠に進んでも野宿になる。
そうなるとヒルや野ダニにかまれるかもしれない。
多少の値が張ろうとここは宿に泊まるべきだ。
いかにも古そうな扉なのに、意外なことに二人が近づくと、勝手に開いた。
「なっ! 自動扉!? 魔法使いが経営している宿なのか?」
「これ、かなり高級かもしれませんね……」
扉を開ける魔法は存在するが、建物にわざわざそんな機能を施すのは王侯貴族ぐらいのものだ。
扉の先には二人の妻ぐらいの年齢の女が立っていた。
これまで、見慣れない服装だ。
いったい、どこの民族なのか。
「ようこそ、お越しくださいました」
丁重にその女は頭を下げた。
その挙措だけでも、これは一流のメイドと変わりない教育を受けているとバルスは感じた。
「あの、俺たちは旅の商人なんですが、泊まることはできますかな? どうも、ここは庶民が泊まれる格式ではないように感じるんですが……」
内部の様式も独特だ。やけに木を、それも高級な木を大量に使っている。
「ええ、もちろんご宿泊いただけます。今のお時間でしたら、お夕飯もご用意できますし」
「なるほど。木賃宿でないというのはありがたい」
バルスは値段の確認をした。
一泊二日、二食付きで一人金貨三枚。
金貨といっても王国で流通している小さな貨幣なので、日本円で一枚一万円ほど。
金貨三枚で三万円ほど。
一般の宿代としてはかなり高いが、僻地にあるという条件を考えれば、割高なのはしょうがないし、商人なら問題なく支払える額だ。野宿するよりはるかにいい。
そこでバルスはケイリーのほうに顔を向けた。
「同じ部屋でいいな? 別の部屋にすると値段が高くなる」
「ええ、問題ないです。そうだ、馬は」
「お馬さんもこちらの宿でお世話させていただきますので」
二人の横を男の従業員らしき者が通り過ぎていった。
彼らが馬を扱うということだろう。
「それでは、フロントでお名前をお書きください。ああ、その前にせっかくですからスリッパにお履き替えください」
たしかに室内履きのスリッパが並んでいる。
「では、そうさせてもらおうかな」
靴を脱ぐと、疲れがそこから抜けていくような爽快感があった。
その後、フロントで二人分の名前を書く。
名前だけでなく、苦手な食べ物などを書く欄まであった。
そんなことまで知ってどうするつもりだと思いながら、「とくになし」と書く。
フロントにいた男の紳士風の初老の男が、
「お客様のお部屋は本館5階、松風でございます」
と言って、鍵を差し出した。
細長く薄い宝石みたいなものがついていて、これなら紛失することもなさそうだ。
「ご案内いたします」
今度は20歳ほどの若い女が二人を先導した。
なぜか、トレーみたいなものを持って、ティーポットをポットを乗せている。
エントランスの奥にエレベーターがあって、これで上に上がる。
「これ、魔法で動く箱ですよね」
とケイリーが若い女に尋ねた。
「一応、ここは電気が来てるみたいなんですけど、まあ、魔法みたいなものですね」
ケイリーはとにかく魔法の一種なのだろうと解釈した。
通された部屋は草を編みこんだもので床が葺かれていた。
「この足元のものは何ですか?」
ケイリーがまた尋ねる。
「畳です。スリッパは部屋の前で脱いでお上がりくださいませ」
それに従う。
椅子が窓際の部屋にあったものの、大きな部屋には畳の上に足の低いテーブルがあるだけだった。
これは足を伸ばせということだろう。
そのテーブルの上には魔除けのアイテムなのか、紙で折った何かが置いてある。
「こいつは何ですかな?」
今度はバルスが聞いた。わからないことだらけだ。
「それは鶴ですね」
「ほう、鶴……なんともしゃれたことをなさる……」
ほとんど空いている部屋を貸すといっただけの安宿とは価値観が全然違う、そうバルスは感心した。
けれど、それだけではなかった。
「お茶をお入れしますね」
若い女はテーブル上の箱にに入っていたカップをとるとお茶を注ぎだした。
「そうか! あのティーポットはこれのために!」
ケイリーが声を上げた。ひっかかっていた謎が一つ溶けた。
「このあたりの山でとれるハーブを使ったハーブティーです。疲れをとるのに効き目があるそうですよ」
カップを鼻に近づけて、バルスもその香りを楽しむ。
そしてリラックスした表情で言った。
「部屋に案内されたばかりなのに、もう天国に来たみたいな気分だ」
次回は夜11時ぐらいに更新予定です。