第1章 3-1 翌朝
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カンナはいつのまにか眠っていたようで、気がついたら起きていた。
この街に来て、まだ一晩しかたっていないのに、激しい衝撃を受け、どのようにしていまここにいるのか思い出せない。今、自分が寝ているのは、この街で最高の栄誉と権力と実力を誇るバスク組織の宿舎であった。本当にここにいて良いのだろうか。化けの皮がはがれない内に……いや、死なない内に逃げ出した方が良いのではないか。ぼやけた天井が急に眼前へ迫ってくる感覚に襲われ、カンナは仕方なく起き上がってメガネを探した。やや離れたテーブルの上にあった。マレッティが置いてくれたのだろうか。ふと見ると、薄い下着で眠っていた。昨日、下女が用意してくれた服を着て、部屋の中を改めてよく観察した。
部屋は広かった。ベッドを並べると十人は眠れる広さがあり、今はベッドとテーブルと椅子と中型の箪笥しかないため、格別に広く感じた。水の流れる音がするので見ると流し兼洗面台があって蛇口から清水が滴っている。きっと井戸水をウガマールにもある空中庭園の原理で塔の頂上まで汲み上げ、そこから各部屋まで落としているのだろうことは理解できた。なんとこの個室には水洗トイレまであるのだった。
顔を洗って、口を漱いで水を飲み、空腹を感じたのでとりあえず部屋から出た。そういえば、この宿舎では食事は全て外食なのだろうか。
「お金……もってない……」
昨日の支払いは竜騒動の『どさくさ』でどうにかなったのだろうが、朝食はどうにもならないだろう。先日の鑑定料で、カンナはほとんど無一文となっていた。
「カンナちゃあん、おっはよお!」
甲高い声に振り返ると、昨日とは違う、やけに派手なフリルのついた黄色い服を着ているマレッティがいた。
「見て、これえ。いいでしょお? 特注よお」
「な……なにか、集まりでもあるんですか?」
「なあに云ってるのお。戦闘服よお」
これが?
カンナは正直に眉をひそめた。
マレッティの片頬が微妙にピクリと動いたが、カンナには気づかせない。
「あさごはん食べるでしょお? 案内してあげるからあ。朝は朝で、ゆうべとは別の屋台街があるのよお」
「でも、マレッティ、わたし、お金が……」
「あさごはんくらい、あたしが出すわよお。どうせ、今日の夜には、カンナちゃんにもたっぷり報酬がはいるんだからあ~。たった一回の依頼で、モクスルやコーヴの連中の、に~さんか月分の収入よお」
それは、凄いのだろうか。いや、昨日の竜を倒すようなバスクの収入が安いはずが無い。しかし、あのバグルスという化物を考えると、その高給も分かるような気がしてきた。
「わたし……そんな……もらう……資格なんて……」
「きっこえなあーい。まずねえ、カンナちゃんはズババーン剣を使う訓練より、気合と自信が第一なんだわあ。ガリアって、技術じゃなくて、やる気だからあ。あなた自身がそんなんじゃあ、剣もいつまでもその力を発揮できないわよお」
「ズババーン剣」というのは、もう決定した銘なのだろうか。はやく自分でそれなりの銘を考えないと、本当に「ズババーン剣」にされそうだ。
先日の屋台街では、あれから倒されたのであろう竜の死体はもう片づけられていた。破壊された一部の建物も未明から修復がはじまっている。やたらと朝から肉を焼く煙が多いのは、気のせいだろうか。嗅いだことの無い匂いの肉だ。何の肉だろう……。
「ここはいろんな都市の出身者がおおいからあ、いろんな都市の料理があるのよお。でも、腸詰めは少ないの。ストゥーリアにはたくさんの腸詰めがあって、朝からみんなビールでそれを食べるのよお。誰か、腸詰め職人を連れてくればいいのになあ」
「何を食べるの?」
「カンナちゃんは何を食べたいの?」
「わたしは、朝は果物とか、パンに干し肉とか……」
「ウガマールは果物が安いんでしょうけど、こっちじゃ逆に高いのよお。もちろん、お金はあるけど……高いうえにまずいわよお」
「いや、マレッティと同じでいい」
「あたしも朝はあんまり食べないのよお。アーリーやフレイラは朝からばっかみたいに食べるけどねえ」
フレイラはどうかしらないが、確かにアーリーはあの無表情で延々と食べ続けるような気がした。
マレッティは屋台街を抜け、昨夜も通った市場通りに向かう。昨夜の竜騒動も無かったように、人々が物を売り、買っていた。そこで、マレッティはパンとチーズ、豚の脂身の燻製、干しイチジク、持ち帰り用の素焼きのカップに入れられたコーヒーを買った。干し果物は安い。それを持って近くの小さな公園へゆき、二人でベンチに腰掛けてそれを食べた。城壁に囲まれた城砦都市の割にサラティスは広くて、緑も多かった。