第1章 2-3 バグルス
マレッティが空のゴブレットを投げつけた。小柄な人物がそれを避け、背後に音を立てて転がる。まぶしさにカンナが目を細めた。マレッティの右手から光がほとばしった。ガリアを発動させたのだ。カウルのついた身の細い刺突剣である円舞光輪剣が、まばゆく輝いている。マレッティが背筋を伸ばし、真半身になってそれを下段に構えた。カンナは自分の黒剣を出すのも忘れ、それをみつめた。そして、人物がフードをゆっくりととった。
「うわっ」
髪は真っ白で、その顔の半分近くは緑の鱗に覆われ、目はマレッティのガリアを反射し、青白く光っていた。口元も、人間の口に思えたものが、がっぱりと耳近くまで開いた。剃刀のような尖った歯が並んでいるのが見えた。腰の辺の背後からは、太く鋭くしなる尾ものぞいている。僅かに見える肌が、髪と同じく真っ白だった。
「な、なっ、なんですか、あれ……」
「合成竜人よお」
「バグ……」
「いいことお。この十年ほど、竜属どもはただ闇雲に攻めてくるのではなくて、明らかに何者かが竜を統率・組織化して、ああやって人工的に半竜人を作り出し、意図的に竜を操っているんだからあ。いくら先兵の竜を倒しても、あいつらを倒さないと意味がないのよお」
「……え!?」
カンナはマレッティが何を云っているのか、にわかに理解できなかった。
「カンナちゃんの初陣といきたいところだけどお、あいつはさすがに荷が重いわあ。あたしの戦いをみててちょうだいね……」
云うが、剣というより杖を振り回すようにマレッティが右手を振りかざすと、その銘のとおりに白や黄色の光の輪が連続して剣からほとばしり、袋小路のバグルスを襲った。
バグルスが、自分のローブをその光の輪めがけて投げつけた。ローブがズタズタに斬り裂かれて闇に消えた。まさに人間離れした速度で駆け込んで、バグルスがマレッティを襲う。閃光を放ち相手の眼を眩ませ、マレッティは迎撃しようとしたが、その刃をかわして、バグルスがその後ろのカンナへ向けて牙をむいた。
「カンナ!!」
驚いてマレッティ、転身してその背へ向け光の円輪を飛ばしたが外した。
カンナが無意識に悲鳴をあげる余裕も無く手をかざすと、そこに黒剣が出現する。バグルスが剣身を両手で握りしめ、鋭い息と共にとんでもない力で押しつけてきたので、カンナは恐怖と力負けのあまりそのまま尻餅をついた。
が、その瞬間、空気を電流が裂いて、バグルスも驚いて後退った。バグルスはやや呆然とその自らの両手を見つめた。感電し焼け焦げて煙が上がっており、また、鋭く掌の鱗が切れて血が滴っている。
「とぉおおおお!」
気合でその後ろ姿へ光輪ごと突きかかったマレッティであったが、バグルスはその姿勢から大きく宙に舞い上がり、建物の壁を蹴って屋根の向こうへ消えてしまった。その太く長い尾で地面を打ち、一瞬で飛び上がったのだ。
「逃げやがったわああ!」
剣の明りをかざし、マレッティが叫んだ。そして、その光をカンナへ向けた。カンナは尻餅のままメガネもずれ落ち、黒剣も投げ出して、ガタガタと震えている。
マレッティはカンナに気づかれぬよう、顔をしかめたものの、すぐに笑顔へ戻り、左手でカンナを立たせた。
「ほら、しっかりしてちょおだい! はじめてでいきなりバグルスですものお、無理はないわあ。きこえる? あたしの声」
「は……は……い……は……」
カンナはただでさえ白っちい顔色が、まさに顔面蒼白だった。唾も出ずに口内へ恐怖がへばりついて言葉も無い。マレッティがその背中を何度も叩く。
「息つまっちゃうわよお! だあいじょおぶおよ。ズババーン剣がちゃんとあなたを護ったじゃなあい。あなたは、ちゃんと、ガリアを遣えるわあ」
剣。そうだ、黒い剣。自分の剣。生きる証。自分の全て。カンナが地面を見ると、ガリアはもう消えていた。
「はあぁ……」
やっと息が出た。とたんに目眩がして、また倒れかかる。マレッティがその身体を支えた。
「帰って休みましょお? はやく慣れることね」
深夜を待たずに塔へ戻った二人を、アーリーが最上階の控室へ呼んだ。放心して虚空をみつめているカンナを椅子へ座らせ、アーリーがマレッティより事情を聞いた。
「都市政府はバグルスの侵入を許したのか」
「評議会や衛兵たちを責めてもしかたないわあ。時間の問題よお」
燭台の火に影を作り、マレッティは肩をすくめる。フレイラが腰に手を当て、魂が抜けているカンナを見つめた。
「それにしても、よく助かったもんだな」
「あたしがちゃーんと、護りましたからあ」
カンナは三人の会話を、聴くともなしに聞いていた。
「明日にも、侵入したバグルス討伐の依頼が都市政府から来るだろう。どんな竜を何匹引き連れているのか知らないが……それはコーヴとモクスルにまかせる。我々はバグルスを退治する。これは、ちょっとした総力戦だ。いい予行演習となるだろう」
「アーリーさん……あいつ、どうします? きっと使い物にはならないっすよ」
フレイラが顎で脱け殻となっているカンナを指した。
「カンナちゃんはだめよお。今日の明日で、動揺しているだろうしい。ここにいた方が安全だわあ」
「そうだよな」
しかし、アーリーははっきりとそれを否定した。
「いや。カンナも連れて行く。可能性は飾りではない。彼女は役に立たずとも……彼女のガリアは……あの黄金の線模様の黒い剣は、きっと役に立つだろう」
「まじすか……」
フレイラが露骨に表情を歪めた。お守りは御免だと云わんばかりだ。
「だあいじょおぶよお。それじゃあ、あたしがちゃーんとカンナちゃんを指導しますのでえ。カンナちゃん、明日は本格的な初陣だから、はりきっていっきましょおねえ! 今日はあ、れ、ん、しゅ、う! 練習ねえ! ……カンナちゃん、カンナちゃん? 起きてる?」
「えっ……ええ……ええ……」
「おい、こいつ、まじめにやれよ!」
フレイラがカンナの肩をつかんで揺さぶった。とたん、バチン! と音を立てて静電気が走り、反射的にフレイラは手を離した。いや、静電気などという生易しいものではなかった。電流がほとばしった。軽い火傷の痛みと激しい痺れを隠し、フレイラは鼻息も荒く、
「お前が死ぬだけならまだしも、足をひっぱりやがったら承知しねえからな!」
と、悪態をつき、階下へ下りて行った。
「カ……カンナちゃん? あたしにビリビリはだめよお? さ、もう寝ましょ? 立って。ね、いきましょ?」
のろのろと立ち上がり、カンナはマレッティに連れられて自室へ向かった。
アーリーが、その二人を、壁の奥まで透徹したような眼でみつめている。
小さな蛾が、燭台の炎に焼かれて落ちた。