第3章 5-1 ガラネルの策
もう一度アーリーが右手より灼熱の炎を吹き上げた。炎は渦を巻いて火柱となり、アーリーを包み隠した。人々が驚き、驚怖し、転がって逃げる。炎が天へ立ち上ってしまうと、その場にアーリーの姿はもう無かった。
人々がぽかんと口を開け、誰も口をきくものはなかった。
やがて、気を取り直した誰かが追手を出そうとしたが、関所を預かる奉行がそれを止めた。
「御奉行、なれど……」
「捨ておけ。我らにどうこうできる相手ではない。それより、村人らの嘆願を早うまとめよ。我らには、そちらのほうが大事であろう」
白髪まじりの老年の奉行が街道の先をみつめながら、つぶやいた。
鹿より速くアーリーが走り、やがて日も暮れてきた。アーリーは少し休んでからまた歩き続け、夜通し歩いた。やがて、夜が明けてくる。暁闇が周囲をつつんでいたが、それも東の方角……向かう先より日が昇ってくる。アーリーは休み、カンナを下ろして様子を観た。心なしか、息が細くなってきている。
「む……」
急がねば。どのような竜やダールと戦っても、こうはならなかった。速く調整しなくてはならない。神通力によるダメージは、予想を越える何かがあるのだろう。
水を口移しで飲ませ、アーリーは先を急いだ。この調子では今日じゅうにシャクナの関へ到達するだろう。
しかし、先日はやりすぎた。連絡が行っていたら、とらえられるやも知れない。騒動になるのはかまわないが、肝腎のカンナの調整が出来ないのでは意味がない。思案のしどころだ。
と……。
「アーリーさまあー!!」
「アーーーリィィーーー!!」
聴き慣れた声が、上空からした。
アーリーは顔を明るくし、思わず手を振っていた。
朝日をうけて、一直線にスーリーが降りてくる。
5
カンナたちの逃走を確認したストラ竜神は、陽炎と共に一瞬でガラネルの側へ現れた。ガラネルが地面へ平伏し、それを迎える。
「意外に、疲れた」
首の後ろを自分で揉みながら。神とも思えぬ言葉を発する。
「ようも、こんな重い物をつけて動き回れるものよ」
それは、実体化したことを意味している。
「久しぶりの現世ゆえ、まだ御慣れになられておらぬかと」
「うむ。ま、そうなるな。しばし、休む」
云うが、ガラネルの眼前にはかろうじて少女の似姿と分かる石柱というか、神像というか、石像というか……少女だった姿と同じ背丈ほどの紫水晶の原石めいた石の塊が佇んでいた。
ガラネルがその石柱へ向かって丁寧に傅き、長々と紫竜の経と祝詞を唱えた。やがてそれが終わったとたん、
「神通力の回復に、神代へ一時的にお戻りになられたか」
ガラネルが見やると、崩れた崖をどうやって上ってきたものか、リネットがいた。しかし、その口調や雰囲気は、リネットではない。
「あんた、まだいたの」
正直にガラネルが驚く。とっくに術が切れ、ヒチリ=キリアは幽世へ戻ったと思っていたが。
「私もそう思っていたのだが、これ、このとおりだ。術者のおまえに分からぬものが、私に分かろうはずもない」
「そうねえ……」
ガラネルは心底信じられないといった顔つきで、リネット……ヒチリ=キリアを見つめた。
「きっと、まだ何かやることが残っているのかもね。それがなんだかは、分からないけど」
肩をすくめる。そういう術なのだ。それは術者にもわからない。
ヒチリ=キリアも黄竜の流儀で、何度も何度も石柱へ礼をし、簡単に祝詞を唱えると、
「で、これはどうする? ここに祠でも建てるか?」
「そうねえ……」
ガラネルは腰へ手をやり、しばし考えた。
「いつお戻りになられるかもわからないし……しばらくは独自に動きましょう」
「考えがあるのか?」
ガラネルがにんまりと笑った。
「ここはこのままにして、変わらず聖地としましょう。ただし、何人たりとも島には立入禁止。対岸に神殿でも作って、新しい紫竜信仰の本殿とするわ。そして皇都へ使者をやり、ホレイサンの竜人皇に帰依してもらう。そうすればホレイサンは紫竜皇神直轄の神国として、アトギリス=ハーンウルムへ権威を与えられる。そうなったらディスケルなんて前時代の遺物と化すのよ」
「策士だな」




