第1章 2-2 竜
「お金の余裕は心の余裕だわ。既に世界の半分が竜に支配されているだかなんだか知らないけど、あたしは、ずっとこのまま竜が出続ければいいと思ってるの。だって、そうしたらずっと竜を倒してお金がもらえるじゃない? せっかくガリア遣いとして生まれたんだから……可能性なんて知らないわ。可能性なんてウソよ。あたしはそう思ってるの」
「そう……ですか。よく……わかりません……」
「まあ~、カンナちゃんも竜を退治して、眼が丸くなるくらいのお金をもらったら、わかるわよお! そのかわり、あたしたちカルマの退治する竜は、とーんでもないやつばっかりだけど! それより、カンナちゃんの黒い剣、なんて名前にするう?」
「な、名前ですか? 名前なんて……黒い剣でいいですよ」
「だめよお。ちゃんと『ちから』を誇示する名前にしないとお。そういう、ハッタリも大切なのよお。コーヴやモクスルの連中に示しがつないんだからあ。あたしが考えてあげる。そおねえ……稲妻ズババーン、カミナリバシーンだから、ズババーン剣っていうのはどお!?」
「……」
カンナは眼をつむり、のぼせて聴こえないふりをした。
「あらっ、ちょっと大丈夫う? もう上がった方がいいんじゃないかな? お湯に入るのは慣れてないんだからあ……はやく、あんたたち、カンナを頼むわ!」
控えていた下女が飛んできて、カンナを支え、湯殿から上がらせた。
高級な生地の着替えが用意されており、そのまま塔の中階にある部屋へ通された。ここに、マレッティやアーリー、フレイラたちが住んでいる。おそらく、モールニヤも。
カンナの部屋は誰の部屋とも接していない、離れのような場所だった。新人の部屋なのだろうか。最低限の家具類があるだけだったが、カンナには充分だった。寝るところさえあれば。
水を大量に飲んで横になっていると、ねむっていたようだ。思えば、一か月ぶりにベッドへ横になる。どのくらいねむったのか、マレッティが迎えに来た。
「具合よくなったあ? ごはんいきましょうよお」
「は、はい」
繁華街へ繰り出すとすっかり暗くなっていた。松明やランタンの灯が幻想的に街角を彩っている。街の住人はさすがに夜はあまり出歩かないが、バスク達は別だった。どこからかサラティス地方の民族楽団の演奏する音楽が聴こえ、さまざまな都市国家の諸民族、そして中にはカンナより若い子供から母親のような壮年の年齢の女性たちまでが、騒がしく出歩いている。全員がバスクだ。
「うわあ、本当にバスクって女の人ばかりなんですね」
カンナは圧倒された。
「そおねえ、ふしぎよねえ。でも、男のバスクもたまーにいるのよお。千人に一人くらい」
「そうなんですか? どうして、ガリアはほとんど女の人しか使えないんでしょう」
「しらなあい」
知らないというより、考えたこともないといったふうだった。マレッティはカンナを連れ、通りにたくさん並んでいる屋台の一つへ席を取った。
「あっ、ウガマール料理ですね」
「そおよお。ここにはいろんな都市から料理人がきてるから、いろんな料理が食べられるのお。ワインにする? ビールにする?」
「いやっ、わたし、お酒は……ちょっと……」
「ワインを水で薄めたらあ?」
「じゃ、それで……」
一か月ぶりに口にするウガマールの釜焼きパンに羊の串焼き、豆のスープ料理を食べながら、他愛もない会話をしていたが、突如として大きな物体がぶつかって建物の揺れる音がし、人々の悲鳴と動物の咆哮が轟いて、振り向くと建物の壁にしがみつく大きな翼の影の中に赤く明滅する発光器が見えた。
「り、竜だ!」
カンナが席を立つ。周囲の人は、しかし、さすがバスクの集まり。誰が指示をせずとも、店の者を誘導して逃がし、何人かは果敢に竜へ向かって行く。蛇のように細長い身体と高速で宙を舞う大きくてシャープな翼、長い顔と短く太い手足、長さは五、六十キュルトほどの中型の竜で、カンナも興奮した。中型とはいえ、並の人間では歯も立たない。まさか、サラティスのど真ん中に、こうもたやすく竜が現れるとは。さすが竜との戦いの最前線基地だ。あんな竜は、郊外へ探しに行くものだと思っていた。
「マ、マレッティ、わたしたちも……」
しかしマレッティはすました顔で席に着いたまま、肉を頬張っている。
「マレッティ!」
「あわてないのお。カンナちゃん、すわって。座りなさいってばあ」
マレッティは強引に腕を引き、カンナを席へ戻した。
「いいことお、あんな偵察の軽騎竜なんか、カルマが相手にするものじゃないんだからあ。モクスルやコーヴの連中がほら……もう倒しかけてるじゃない」
確かに、数人のバスクがそれぞれのガリアを……みたところ槍、弓、円盤のようなもの、それに光の縄か……あるいは鎖のようなものを駆使し、既に暗闇に浮かび上がる竜を押さえつけにかかっていた。竜の叫び声が、轟然と夜空を揺るがす。カンナはその光景を恐ろしげにみつめた。あんな竜、ウガマールに現れたらそれだけで都市をあげての大騒ぎである。それが、ここでは「カルマが相手をするものではない」という程度なのか。
しかし、その竜が口より渦巻く炎を吹き上げて、光の線にからめられ苦しげにのたうち回り、飛び上がろうとして押さえられ、カンナたちのいる屋台へ向けてつっこんできたので、カンナより速くマレッティがゴブレットを持って逃げ出した。
「えっ、ちょ……ちょっと、逃げるんですか!?」
カンナもあわてて後を追う。
「カルマはただ働きなんかしないのよお! さ、はやくはやく……」
竜の吐きつける炎に背中を照らされて、マレッティは路地に入った。暗く、カンナはついてゆくのがやっとだった。あまりに先へ行くのでそれが怖くなり、カンナは叫んだ。
「マレッティ、待ってッ……待ってってば!」
路地を抜け、屋台街から反対側の市場通りに出ると、そのままマレッティが違う路地に入るのを見たので、カンナはさらに恐ろしくなって急いで続いた。
そこはそのまま袋小路になっており、やけに明るい月光の下、フード姿の小柄な人物が立っていた。マレッティはその前にゴブレットをもったまま、対峙している。
「……マレッティ……?」
追いついたカンナはその小柄な人物を恐ろしげに見つめた。人間の雰囲気がしない。
「カンナちゃあん。カルマはねえ、あんな雑魚竜なんかと戦わないの。覚えておいて」
「……じゃ……何と……どんな竜と戦うんですか……?」
「あいつよお」