第2章 2-2 トリ=アン=グロスと対天限儀器
「鼓動が聞こえるでしょう。生きてるわよ」
ガラネルがプールを見もせずに部屋の隅の机上へ無造作に置かれている結晶をつまんで手に取り、ヒチリ=キリアへ見せた。ヒチリ=キリアは水晶かと思い、なにげに受け取って見つめたが、
「なんだ、これは?」
とつぶやいた。水晶のようで、虹色に……正確には虹色のうち、常に三色のどれかが光っている。
「三輝綺晶よ」
「なんだって?」
「トリ=アン=グロスと云えば分かるかしら?」
「トリ……これが?」
ヒチリ=キリアの目が丸くなる。サティ=ラウ=トウ古代帝国の記録に出てくる宝物だ。
「そんな稀少な物が、なぜここにある」
「百五十年くらい前に、こっち側で大量に見つかったのよ。リュト山脈や、北極圏で」
「なんと……」
自分が死んだ後の話だ。ヒチリ=キリアがしげしげと結晶の破片を見つめる。
「で、それとこいつと、何の関係が?」
「話せば長いけど……」
前置きしつつ、ガラネルが腕を組んで話し出す。その目が水の光を反射し、かつ自らのガリアの力で薄紫に光っている。
「その三輝綺晶、珍しい変わり種の水晶としてしか価値がなかったけど、固有の振動を与えるとそれを増幅して特殊な波動を発することが発見されたのよ。そして何より重要なのは、その波動が天限儀を打ち消してしまうの。種類とかに関係なくね」
「なんと……!?」
ヒチリ=キリアが目を剥いて驚く。
「どんな天限儀もか?」
「どんな天限儀もよ。例外なく。ただ、強力な天限儀を封じるにはそれだけ大きな結晶とそれを動かす振動元が必要だけどね。あるいは、数をそろえるか」
「なるほど。……で、いったい、どういう原理で天限儀を封じる?」
「原理は不明! どういうわけかは、分からないの。現象を応用しているに過ぎない」
「そうか……」
「固有の振動は、生体振動で充分なことが分かった。だから、私はこいつをバグルスに埋めこんで、波動を自らの生体振動で自由に操作させ、天限儀封じの力を持ったバグルスを完成させたわ」
「ほう……!」
ヒチリ=キリアが激しく感心する。
「バグルスにな」
ハッと息をのみ、後ろのプールをふり返った。
「そして、まさか、こいつが!?」
「そう! こいつが、対天限儀器。三輝綺晶で天限儀封じの巨大な波動を休むことなく出すことができる。そのために造られた、専用のバグルスよ。人の形はしていないけど……れっきとしたバグルス。それがディスケルの宮城やホレイサンの御所、そしてこのピ=パなどに複数配置され、広大な天限儀を封じる力場を形成しているわ」
「なんと……」
ヒチリ=キリアは何度もうなずいた。
「時代は変わったのう……天限儀を封じるなどと……発想すら無かったわ」
「すべては、この結晶のおかげよ」
ガラネルがもう少し大きな結晶の破片を机上から手にとり、光へ透かして見せた。ガラネルの色の紫が光って見えた。
「それにしても、百五十年前に結晶が大量に発見され、その原理が発見されたのはいつごろか?」
「百年くらい前かしら」
「そのわりには、あまり技術が広まっておらんようだが」
「そりゃあ、そうそう天限儀を封じられたら天限儀士の商売あがったりだし……なにより、こいつ、ここまで育つのに三十年以上かかるのよ」
ヒチリ=キリアが得心して笑いながらうなずく。
「そいつは、広まらんな。重要な施設に設置するのが精一杯か」
「簡易版は、そこそこ広まってるんだけどね。特にホレイサンで」
「こいつの寿命は?」
「少なくとも六十年……まだ寿命で死んだやつはいないわ」
「まだ発展途上の技術なのだな……研究を続けるがよかろうぞ」
「もちろん」
ガラネルが部屋を出たので、ヒチリ=キリアも続いた。再び静寂の中に巨大プールとその中の「対天限儀器」だけが残った。




