第1章 3-5 ミナモの茶
「無駄ぞ。この屋敷とて、特例中の特例だ」
振り返ると庭にミナモがいた。また昨夜とは違う服を着ている。こんどは今風の武家装束で、黒小袖に濃い鼠色の青縦縞袴を履いている。足は白足袋に雪駄で、被り物はない。帯には短刀をたばさんでいる。
「どう見てもホレイサン人だが、ディシナウ語がうまいのう」
「おかげさまで、ディスケルの人達とつきあいがたくさんあるからな」
ホレイサンの人間らしくにっこりと笑うのだが、その鋭い眼が全く笑っていない独特の笑みだった。パオン=ミは素直に不気味だと感じた。ホレイサン人は、貴賤に問わずよくこういう表情をする。
「では、おぬしがどういう意図なのか、お教え願えるかな?」
「意図……ね。ま、散歩でもしようじゃないか。あっちにお茶もある」
ミナモが歩き出す。すかさず下女により履物が用意され、パオン=ミは庭へ下りた。そのままミナモのやや斜め後ろを歩く。それは正解で、並んで歩くほどパオン=ミの身分は高くない。もっとも、たとえ横に並んだとしてもミナモはそれを許しただろうが。
「もう時間が無い。聖地の審神者達が考えている以上に、事は深く静かに進んでいる……ただ、審神者達は何をどうしてよいのか分からないんだ。古すぎる家系だからね……ディスケル皇帝家や、ホレイサンの人竜皇家も審神者一族の出とされている……もう古すぎて、何をするにも訳が分からないのさ。これまでは善かったろうけど、いよいよもって未来はないよ。そんな連中と心中は御免だ。そうだろう?」
そう云って振り返った際の、先ほどとは打って変わったミナモの狂気的な笑顔は、パオン=ミを心胆を寒からしめるのに充分すぎた。これほどの無邪気な邪気は、感じたことがない。
(何者か……こやつ……)
タカンなどより数万倍も危険な人物に囲われてしまった。それが是か非かは分からない。
「西域じゃあ、もう二千年だか、千五百年だかも前に審神者どもを滅ぼしている。英断だよ。すごいよね。だけどこっちがこうだから、西域もあんまり変わってない。少なくとも、こっちは千年……いや、五百年前には変わってなくちゃいけなかったんだ。それに気づいたのが、二百五十年くらい前のディスケル皇帝と、当時の黄竜のダール、そしてそれから五十年くらい後に現れた碧竜のダールだ。ピ=パの審神者どもが気づいた時には、もう二人とも姿を消していた……死んだら次のダールが出てくるだけだから、生きたまま姿を消さなくちゃならない。うまくやったもんだね」
「…………」
パオン=ミの背中に、じっとりと汗が伝わる。
「だけど、カンナカームィの存在がすべてをひっくり返す。すべてだ! この世界のすべてをね! ウガマールと赤竜のダールめ、まったくとんでもないものを造り上げたものだ。せいぜい、利用させてもらうよ。フフ、フ……」
「お……」
喉がへばりつく。パオン=ミは咳払いし、なんとか声を出す。
「おぬしは……」
「僕は、ただの獅子身中の虫さ。聖地にとってはね。いや、もしかしたらホレイサンにとっても。さ、お茶をどうぞ」
湖より吹いてくる風の心地よい庭の松林に、緋毛氈の敷かれた床几があり、野点の大きな傘があった。二人が座ると、金糸銀糸の刺繍の花と竜の模様も豪奢な留袖を着た人形めいて美しい女性が無言で茶をたてる。高級な手砥ぎ砂糖で造られた干菓子を出され、ミナモが指でつまんで口にしたので、いまさら毒も無いだろうとパオン=ミも食べた。雪のようにとろけ、ふんわりとした甘さと香りが鼻腔に消える。ディスケルのどぎつい甘味とは根本から異なるものだった。ただ、ディスケルの味に慣れたものには物足りないかもしれない。
それから抹茶が手渡される。作法がよくわからないのでそのまま飲んだが、あっさりと甘みを流してくれつつ、苦みの中にも茶自体の甘みもほんのりと感じる味だった。ディスケルの茶とは根本から異なる。
「ま、煎茶もあるがな。こういうときは、抹茶がうまかろう」
茶葉を発酵させて煎じるのではなく、特別に育てた専用品種の茶を蒸して乾燥させた後に粉末にして湯に溶かして飲むというのは、ディスケルには無いか途絶えたもので、パオン=ミも初めて口にしたがふつうにうまいと思った。
「……で、おぬしは何者だ。タカン……いや、マヒコ親王より身分の高い皇族か?」
ミナモが笑う。
「なにゆえそう思う?」
「なにゆえと云われてもな……」
「不慣れな武家のかっこうはなじまない……か。ま、なんでもよいさ。そなたに関係ない。そなたらはそなたらで、私を利用すればよい」
「親王にも同じことを云われたわ」




