第3章 3-5 謎の姫
一人はルィアン、一人はエルシュヴィという。この三人で「当世アトギリス=ハーンウルム三大美女」などと謡われている。アトギリス=ハーンウルムは百五十年前の合邦以降、王家を筆頭にかなり混血が進んでいるが、中にはいまだに純粋なアトギリス人、ハーンウルム人が残っている。両民族はもともと全く異なる人種で、アトギリス人はどちらかというとカンチュルク人に近く、サティラウトウ諸民族の血液も入っているため大柄で顔つきが濃く肌も薄褐色だった。ハーンウルム人は森林民族なので小柄で色白だ。
エルシュヴィはかなりアトギリスの血が濃かったため、雰囲気はトァン=ルゥに近い。
二人とも笑顔のまま、いっさい余計なことは云わなかったが、
(この人ら……かなり使うわ)
ガリアではない。武術だ。裏カントル流の達人であるスティッキィには分かった。どのような武術かはわからないが、自分などよりはるかに強いと確信する。さすが、第二夫人の近衛というだけある。ガリアが遣えないこの後宮においては、自分の腕だけが頼りなのだ。
あとはよくわからない有象無象で、よくもわるくも普通の女性たちだった。みな若く美人なのに、妃になれずに一生姫のまま後宮で終える者もいるだろう。普通に結婚していればもっと良い人生もあったかもしれないが、皇太子に見初められるというだけで一族は大変な栄誉と実利を得られる。断れるはずもない。
「それでも、いまは二十人前後……大昔はそういうのが何百人もいたのです」
マオン=ランが、後にそうしみじみとつぶやいた。
全員に酌が終わると、一回目のお色直しとなり、スティッキィは退場の楽に送られ深く礼をして退室した。カンナとライバも続く。そのまま走って衣裳部屋へ向かい、急いで二回目は黒を基調としたシックな装束に着替える。髪と化粧もやりなおしだ。素っ裸にされ、沐浴場で容赦なく湯をかけられる。汗だくだったので気持ちが良かった。身体を拭くために湯上りの用の木綿下着を何枚を着ては脱がされると、最後に乾いた正絹の下着を着、大きな銀の鏡の前に座った。何人もの侍女が慌ただしくスティッキィをいじくりまわし、カンナとライバは茫然としてそれを眺めていた。
一息つく間もなく濃い金髪を梳 られながら、しかし、スティッキィは違和感を覚えていた。
(……一人、足りないような……?)
マオン=ランに要注意と云われた人物は、六人いた。すべてを確認したと思っていたが、
(第二夫人でしょお、第三夫人でしょお……あの気味悪いやつでしょお……第二夫人のお付きの二人でしょお……)
分かった。ホレイサン=スタルのアイナだ。
(あれ……どいつがそうだったっけ……!?)
顔には出さないが焦る。まったく記憶にない。確かに全員へ挨拶し、自己紹介して、自己紹介されたはずだが……。
急激に動悸が高鳴ってきた。術をかけられたのだ。ガリアとか催眠とか、そういう類ではない。話術、接待術、そういう処世術のほうだ。偽名を使われたか、巧みに印象が薄いように演技をされたか。とにかく、何かしら誘導されたのだ。自分をまったく何者か分からせないための交渉術で。
(なんてこと……)
後でマオン=ランへ云い、どいつがアイナなのか確認しなくてはならない。余計な仕事が増えた。そして、おそらく最重要人物は第二夫人ではなくアイナだ。考えてみれば、ホレイサン=スタルという国は聖地の守護国であるという。聖地へ乗りこもうというカンナを、最も排除する必要があるのはアトギリス=ハーンウルムではなくホレイサン=スタルではないか。気をつけなくてはならなかったのは、カルンではなくアイナだった!
スティッキィが容赦なく苦虫をかむ。
(しっかりしろ、スティッキィ! あたしがカンナちゃんを護らなくて誰が護るんだ!!)
「いかがされましたか!?」
いきなり渋面となったのでなにか落ち度があったかと思い、侍女たちが心配して手を止めた。
「ごめん、なんでもない。続けてちょうだい」
二回目の装束は黒地に牡丹と蝶と蝙蝠が刺繍されたもので、先ほどは盛られて美しくたなびいていた髪もしっかりとまとめ上げられ、飾り物は黒真珠から赤珊瑚や鼈甲、サファイアにエメラルドなどの宝石類へ変わり、まったく印象が異なった。
またいそいそと宴会場へ向かい、楽に乗って入場する。先ほどと同じく羨望と嫉妬を一身にあびながら緋毛氈の上をゆったりと歩いて両殿下へ挨拶し、今度はそのまま下がって右列最後尾の自分の席へ着く。
ところが。
スティッキィはもとより、カンナとライバもぎょっとした。
席がない。




