第3章 2-1 後宮内の人間関係
「そういうことになるかのう」
「まあじでえ!? いじめ殺されない!?」
「スティッキィがそんなタマかよ。そのために、私らがお付きで入るんだろう? それに、スティッキィが注目を集めたら間者もカンナさんに手を出しづらくなる……そういうことですよね?」
ライバの力強い声に、皇太子妃はゆっくりとうなずいた。
「そう、うまくいくかしらあ」
「いい意味での悪目立ちってやつだよ。皇太子妃さんとかが目をかけてる人を、そうそう簡単に襲えないだろ……分かるだろ。スターラで似たようなことやってたんだから」
「いや、まあ……」
スティッキィが片眉をあげる。あまり思い出したくない娼館での記憶だ。
「ま、ひと月のあいだ、我慢せよ。そして、いま一度云うが、明日より我と口をきいてはならぬ。眼を合わせてもならぬ。そういうしきたりであるし、我との関係を悟られるでの」
「最初で最後のお茶なんだ」
カンナがふと、漏らした。皇太子妃が、楽しそうに笑った。彼女にとっても、このような歳が近く身分に関係のない相手との団欒の茶飲みは、一生に一度あるか無いか、だ。
2
その夜には、三人は後宮に隅に一室を与えられた。スティッキィの部屋よりつながっている控えの間に、カンナとライバの部屋もあった。狭かったが、逆にちょうどよい。生活様式は椅子にテーブルに石の床に……と、サティラウトウ文化圏と大差ないように思えた。生活用品や食事の類はもちろん、生活習慣は根本から異なるが。三人は召使にこちらの衣服に着替えるよう云われ、手伝ってもらいながら着替えた。スティッキィは側室候補なので部屋着も正絹で豪勢だが、ライバとカンナは地味な木綿の服だった。それでも、それまで来ていた使い古しの旅装より立派だった。
「お風呂はないみたい」
スティッキィの言葉に、カンナの顔が曇る。
「カンナちゃん、でも、沐浴はできるみたいよお」
質素な浴室に、ま、ストゥーリアみたいなものかとカンナは納得するようにした。
三人は部屋で落ち着いた。六日後、正式にお披露目されるという。侍従のほか、皇太子妃が派遣してくれたらしい事情の分かった中年の世話係がついた。名を、マオン=ランという。
「皆さま、異国人ということで宮中の礼儀作法はおいおい習得して頂くとして、まず、この後宮内の人間関係をご説明します」
「それが一番大事よねえ」
マオン=ランが、ミミズののたくった跡みたいな模様の書かれた紙を出した。
「これって、もしかして字なのお!?」
三人が驚嘆する。
「皆さま、ひと月しかおられないのでしたら、無理に読み書きできるようになる必要はございません。すべて、私めにおまかせくださいますよう。で、ご説明申し上げますと……」
マオン=ランの説明に、三人……特にスティッキィの顔がみるみる渋くなる。人間関係が面倒くさいの極地だ。安売春宿にいた時も先輩娼婦との関係だ、派閥だ、常連客の取り合いだと面倒ごとが山とあったが、それの規模が遥かに大きいものに思えた。
将来の皇后である正夫人の皇太子妃ディスケル=ドゥア=ファンは事実上の聖地の支配者である審神者一族の出身で、同じく聖地出身のディスケル家の縁戚筋にあたり、家格は別格。他の藩王国の王族や貴族の姫とは比較にならない雲の上の存在で、実際、歯牙にもかけていない。十四で嫁入りし、現在は十八歳。未だ子がなく、昨年、二人の側室を迎えた。
第二夫人が、アトギリス=ハーンウルムの刺客……と云ってもよい、現アトギリス=ハーンウルム王の姪にあたるカルン=アトネン=ハーンウル、十六歳。勝気な、まごうことなき王家の姫だが皇太子妃には一般人も変わらない扱いを受けており、心底気に食わない様子。なお後宮における家格と地位はぶっちぎりで第二位である。これは皇后が別格すぎるだけで、事実上はカルンが第一位といってよい。ディスケル皇帝家にはアトギリス=ハーンウルムが最も多く皇后を輩出してきた歴史もあり、プライドも高い。皇太子の母親もアトギリス=ハーンウルムの出身で、カルンの大叔母にあたる。が、前皇太子が死んだときに実家に帰されるという屈辱を受けており、子をなさんと必死で、またアトネン=ハーンウル家が帝位を禅譲される布石を打つ役目も担っている。




