第2章 4-2 水底
ガラネルは答えない。代わりにストラが、うっとりとした声を出した。
「なんて美しいお方……レスト様……私といっしょに……来世でしあわせになりましょう」
「え……」
レストが青ざめる。背筋から冷たくなった。心胆が凍りついた。
「ガラネル様!!」
「ごめんねえ、レスト。ストラのために、死んでちょうだい」
ガラネルが眉を寄せ、まったく同情していない半笑いの顔でレストを見る。
「なん……」
レスト、理解した。ガラネルの……紫竜の教義と、その儀式を。
「なにやってんだ、あんたは!!」
すなわち、ストラを、自分の娘を生贄にし、その生贄の「付き添い」のために、レストを用意したのだ!
「そんな……そんなことって……!」
「だって、ストラはそのために作ったんだもの。でも、一人で死なせるのはさすがに不憫……でも、レスト……貴方に出会って。貴方なら、ストラの素敵な死後と来世の伴侶になると思って」
「生贄のために子供を作っただって!?」
レストは驚愕し、月下のガラネルとストラを順に見た。
「ストラ、君はそれでいいのか!?」
「私はお母さまのために生まれて、お母さまのために死ぬのよ」
だめだ。眼がいっている。生まれてから、ずっとそのように教育……いや、洗脳されているのだ!
「リネット、あんたは……!」
リネットは、まるで無表情のまま立ちつくしている。やりとりが聴こえてもいないようだ。
「リネ……!」
レスト、気がついた。リネットは……リネットは既に死んでいた。いや、ほとんど死んでいた。パーキャス諸島でマレッティにやられたときに。完全に死んでしまっては、ガラネルの秘術で蘇ってもそれはただの動く死体だ。リネットの意識は無い。ここへ来るまでに、少なからずリネットには自律した意思があった。つまり、肉体の九割が死んでいても、一割が生きていればガラネルのガリアの力で生命をつなぎとめることができる。
そこまでして、いったいガラネルはなにをしようというのか!?
レストは涙目となってガラネルをにらみつけた。
「レスト……貴方は本当にやさしい子よ」
「なにが……」
「だって、自分の生命より、ストラを心配して、憤ってくれているもの」
レストが眼をむいて怒鳴った。
「あたりまえだろう!! ストラは……ストラは、自分の母親に……!」
レスト、たまらずにストラを抱きしめた。ストラも、ものすごい力で抱き返す。その腕がふるふると震えていた。
「ストラ……怖くない……僕が……僕がいる……」
「レスト様……」
ガラネルが右手をあげる。読経の中、臺の床が開いた。三人が、するりと水中へ没する。
真っ暗な水中で、水は想像より遥かに冷たく、月光の光が透明な水面をゆらめいていた。
息ができないというよりも、その冷たさに意識が遠のく。
絹の装束が水を吸い、鉛のように重たかった。
レストはストラの、ストラはレストの体温だけを感じていた。
だがその温かさも、すぐに無くなった。
二人がゆっくりと、水底へ沈んで行く。
臺の真ん中へ空いた穴に、月光の道の先端が差しこんでいる。
ガラネルも読経の続きを詠唱しだした。
月の湖は死者の湖であり、死と引き換えに生を得る。
得られた生は、借りの肉体へ憑依する。
人間は人間に……そして、ダールはダールに。
ほとんど死体だろうと、魂がまだ残っているのならば、それは依代に使えるのだった。
一時的に復活した魂は、役目を終えるとまた死の国へ戻る。そのとき、役目を終えた依代は一時的に蘇った生と共に死ぬ。リネットが死のうが関係なかったし、今ですらほとんど死んでいるのだからどうせかまわない。
ガラネルは、いったい誰を紫竜のガリアの力による最高秘儀をしてまで蘇らせたのだろうか?
読経が続く中、月光の道の端にぼこぼこと気泡が現れた。
すぐにバグルスの一人が穴へ近づいて、用意していた梯子をかける。
細い手が水中から現れて、梯子の先をつかんだ。そのまま、一気に全身を水中から出して、梯子を力強く登った。




