第1章 5-1 霧の谷を越えた殺意
パオン=ミが走った。
元の場所へ戻ると、手鎌を持ったドゥイカが霧を操り、倒れた木を持ち上げて周囲へ叩きつけている豪快な光景が目に入った。そのドゥイカめがけて霧の奥から手斧が投げられるのだが、そのくるくる回って飛んでくる手斧が見る間に鉞めいた巨大な戦斧となってドゥイカの操る木とぶつかり、木を断ち割って跳ね返され、地面へ落ちる。落ちたそばから消えて、次の手斧が飛んでくる。きりがない。
だが、きりがないのはマレッティの方だ。こちらも自在に飛んでくる銀の短矢を光輪で次々に打ち落としている。相手は飛び道具のガリアだが、マレッティは基本的に剣のガリアだ。初動が遅く、攻めこまれていた。
「ガラン=ク=スタルの傭兵め、やりおる!」
パオン=ミの両手が燃えあがり、火炎符が乱れ飛びに出現した。それらが空中で寄り集まって、炎の鶴となって霧を裂いて羽ばたくや、一直線にまずマレッティを飛び越して森の奥へ消える。そして、とある苔むした岩へ突き刺さって、爆炎を吹き上げた。
とたん、毛長走竜が跳び上がって鳴いた。その背中に、右手にガリアの弩弓を持ち、左手で手綱を握ったバーララがいた!
「よくわかったなあ!」
距離にして一五〇キュルト、すなわち十五メートル強ほどか、遠目にもバーララが何やら叫びながら笑っているのが見える。
「やっぱり、あいつだわあ!」
マレッティが叫ぶ。一直線に光輪を飛ばしたが、毛長走竜が素早く翻って霧の中へ消えた。気配と音、そして霧の合間から見え隠れするのを見やると、とんでもない素早さで谷を登って逃げてしまった。同じく、もう一頭の毛長走竜が近くより音を立てて走り去り、背中へおそらく手斧のガリア遣いを乗せて、バーララの後を追って行ってしまった。
周囲が、急に静かになる。
また霧が濃くなってきた。
5
「ラマナがやられた」
ドゥイカの顔が怒りと悲しみにひきしまる。
横たわったラマナの遺体の前で、ドゥイカが何やら呪文のようなものを唱え、そしてそのまま歩きだした。
「埋めてやらないのお?」
「我らに、そういう習慣はない。死ねば、そのまま森へ返るのみだ」
「そうなんだ……」
マレッティとマラカが後へ続く。パオン=ミとタカンが祈りの仕種を見せ、霧の中へと分け入った。
谷の反対側の斜面はゆるやかで、五人は斜面を登り切るとまっすぐ北へ向かった。
それから二日、警戒をさらに密にして、できるだけ速やかに進んだ。
「特に追っては来ていないが……先回りしておるだろう」
「竜に乗ってるからねえ」
夜、簡易竈の火をみつめ、談合する。
「どうして、あの短矢のガリア遣いの居場所がわかったのだ?」
「我が呪符の化けた鼠どもが、臭いで竜を見つけ出したのだ……いまも、かなり広範囲を探っておる。いまのところ、竜の気配も臭いも無い」
「なるほど、竜の臭いをな……」
ドゥイカがうなずく。
「仲間を見えなくさせるガリア遣いがいても、竜の臭いまでは隠しきれないってことよねえ。考えたわね、パオン=ミ」
「だが、肝心のその仲間の姿を消すガリア遣い、けっきょくどこに潜んでおったか分からず仕舞いよ。ぬかった」
つまり、次も相手は消えて来るということだ。
「どうする? 湖で再度襲撃してくるのが確実なら、迂回するか?」
ドゥイカが子供のいたずら書きのような竜皮紙の地図を出し、道筋をつけた。かなり遠回りだ。パオン=ミが慎重に沈思する。
「……迂回したところで、目指す先は同じか?」
「そうだな、ここの森の出口を目指す。ここに高台があり、下るとホレイサン=スタルの北限だ。ここ以外は地形的に踏破が厳しいし、入ったところで街道や人里に近く警備が厳しい。ここしかない」
「と、なると、湖に我らが現れなかった場合、どちらにせよここで待ち伏せされるであろう。国境近くで騒ぎは避けたい」
「では、どうする?」
「当初の想定通り湖畔を通り、襲撃されたならば返り討ちにするしかあるまい」
ドゥイカの顔が、より引き締まった。
「のぞむところよお。特にあの連射弓女は、あたしが必ずぶち殺すから。さっきやトロンバーのけじめよ」
マレッティの静かな凄味に、ドゥイカが背筋に冷たいものを感じる。それほど、マレッティの眼は鈍く殺意に光っていた。




