第1章 2-1 ドラゴンゾンビ
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「かなり空気が薄い、ゆっくり登るぞ!」
あれだけ連日山頂付近で逆巻いていた強風がウソのように止んでおり、蒼い晴天がまぶしく心地よい。スーリーは縫うようにして山肌をなめて少しずつ高度を上げた。テントを張っていた山麓ですらパウゲンの中腹ほど、すなわちスーナー村ほどの高さがあり、実は薄い空気にかなり慣れていた。これから通る峰と峰の間はパウゲン山頂に匹敵する。この世界の人間でも前人未到の地といえよう。それでも、パオン=ミはかなり低い峰を慎重に選んでいた。リュト山脈最高峰を越えようというのであれば、パオン=ミですら危険な高さだ。
白い山肌に影を落として、スーリーは静かに峰をめざした。
「マレッティ、体調に変化はないか!?」
「なんとか!」
いま、スーリーは高度をほとんど上げずに山肌を横移動をしている。既に一刻近くをこうしてじわじわと高さを上げながら目標へ近づいていた。
「あそこぞ!」
見ると、まさに鋭く尾根と尾根のあいだにV字の切れこみがあった。あそこが街道ぞいからもっとも近い位置で、最も低い場所にある。高さも、いまとほぼ同じなのでこれ以上高度を上げる必要もほとんどない。パオン=ミが手綱を引き、スーリーが速度をあげた。一気につっきる。
近づくとV字は巨大な谷間で、スーリーなどまさにアリのごとしだった。だが、切れこみは深いが幅が狭い。あの強風が吹いていたら、たちまち絶壁に叩きつけられていただろう。いまは大丈夫だ。堂々と通り抜けようとしたそのとき……。
「…うおおッ!」
あわててスーリーを旋回させる。猛烈な炎の息吹が横殴りに襲って来た!
「なあにい!?」
マレッティも驚く。こんなところで敵の襲来とは!?
スーリーは無理に予期せぬ炎を避けたので軌道を崩し、岩の壁に激突する寸前で再び旋回した。マレッティは声も無い。ひたすらスーリーの白い毛へしがみつく。体勢をたて直すためにいったん戻らざるを得なかった。切れこみから脱出し、大きく回って再び接近する。
それにしても、いまの炎はどう判断しても竜だ。しかし、このような場所にいる竜は北方属の竜しか考えられない。だとするとホルポスの配下なので襲ってこないはずだし、野良竜だとしても北方竜でいまの規模の炎を吐く種は知られていない。
「パオン=ミ殿、あれを!」
マラカが指を差す。パオン=ミもそれを認めて驚いた。岩肌にへばりついているのは、まぎれもなくグルジュワンの大王火竜だ。
「あやつ、こんな寒さに耐えられる種ではあるまい!?」
「様子が変ですぞ!」
マラカが指摘し、よく観察すると確かに妙だ。傷だらけだ。それに眼に精気が無い。それどころか白濁している。翼もボロボロだし、身体は肉が抉れて一部は骨も見えている。
もう、分かった。
「……ガラネル奴が……人だけではなく、死せる竜までも蘇らせられるのか……!!」
驚愕だった。
「ちょっと、あれ、もしかして大王火竜なのお!? なんでこんなところにいるのよお!? どうやって倒すわけえ!?」
マレッティも混乱する。アーリーですら完全に倒すには半竜化が必要だった。本気を出したカンナでなくば、とてもではないが勝てる相手ではない。たとえ生きた死体だとしても!
パオン=ミ、賭けに出る。
あのボロボロの翼では、とうていやつは飛べないということに賭けた。一気に高度を上げる。マレッティのことを考えると危険だったが、あんなバケモノと戦いようが無い。逃げるしかない。
だが敵も然る者、穴だらけの翼を大きく広げると、ドラゴンゾンビとも云える大王火竜が岩肌を蹴って空に舞った。とてもではないが空を飛べるようには見えなかったが、恐ろしげな咆哮と狂犬めいた迫力で、見る間に迫ってくる。
口が腐っており、顎が外れて大きく裂け、その巨大な口の奥から黒煙の混じった真っ黒な炎が吹き上がる。一部、穴の空いた首から細い火柱となって噴き出た。
三人が、同時にガリアを最大限に発現させた。
マラカが葆光彩五色竜隠帷子を巨大な一枚布の大きさに広げる。さらに極限まで薄くして、すっぽりと紙袋のようにスーリーごと三人を隠してしまった。




