第1章 1-7 出立
マレッティ、視線を読まれぬよう半眼のまま、横目でマラカを見た。きっと、こいつは昨夜の一部始終を知っているだろう……だが、黙っているつもりのようだ。貸しのつもりなのかもしれない……が、貸しを作られたという気持ちには、不思議とならなかった。一回、開き直ってしまったからだろうか。
「ま、まあ~その、ちょっと手こずったけどねえ……」
「さすがよのう……」
パオン=ミが素直に感心する。
「だが、いったいなにものが現れおったか。マレッティ、大丈夫であったか? ガラネル奴、人の心を攻めよる。亡くなった、親しい友人知人でも現れたのではなかったか?」
マレッティの顔が一瞬、こわばった。マラカが、チラリとマレッティを見つめる。マレッティは小さく深呼吸し、
「知ったやつだったけど、倒したから。大丈夫」
少し声が震えていた。パオン=ミがうなずき、それ以上は何も聞かなかった。
その、二日後。昼過ぎだった。
念のため、連日マラカは周囲を探索し、パオン=ミもガリアの呪符で造った小動物を放って警戒しているが、何も不審な接近者は無かった。竜肉の干物をかじりながら遠眼鏡で山頂を凝視していたパオン=ミが、やおら叫ぶ。
「よろこべ、風が無くなったぞ!」
テントで待つのに倦んで寝ていたマレッティも飛び上がって、云われずとも荷物をまとめ、たちまちパオン=ミと共にテントを解体して仕舞った。見事なほどの手際だった。
「マラカを呼べ!」
云いつつ、パオン=ミが火草竜の角で造った竜笛を吹く。人の耳には聞こえないが、よく訓練された竜は、これですぐさまやってくる。
「マラカ!? マラカア!? 出発するわよおお!?」
マレッティの甲高い声が山脈にこだました。
「マアラカア!?」
「拙者はここに」
マレッティは飛び上がって驚いた。すぐ後ろに、いた。
「あんたねえ……」
マラカは楽しそうにシャ、シャシャ……と笑い、
「いまのところ、妙なモノの接近はありません」
死者の足跡すら見極めるマラカだ。信用して良い。
あとは、スーリーが来るのを待つだけだ。じりじりと三人は竜がやってくるのを待った。
「……来ないじゃないのよお!」
「待て……四半刻はかかろう」
「そんな遠くに隠してたのお?」
「スーリーを狙われては、この旅は失敗も同然だからの」
マレッティが黙る。じっさい、先日の攻撃もあった。
(それにしても……)
マレッティがまざまざと母親の顔を思い出す。いま思い出しても身震いする。
(ふざけてるわねえ……ガラネルってダール……むかつき加減が、アーリーの比じゃないわよお……!!)
「来たぞ!」
パオン=ミの声に驚き、身を震わせて顔を上げる。どこか分からなかったが、鳥だと思った点が見る間に巨大な竜となって降りてくる。マレッティが見たことも無い種類の竜だった。カンチュルクの希少種である、緑眼竜のスーリーだ。特に白毛は珍しいという。ずんぐりとした体型に大きな翼があり、平べったい顔に緑色の巨大な目玉が愛らしくついていた。竜騎兵としてこの種の竜を使うことは、カンチュルクでもパオン家のみに許されている。
そのスーリーが風をつかんで、ふわりと三人の前に着地する。羽ばたきによる風の巻き上げをまるで感じさせない。見事だった。
「さ、乗れ!」
パオン=ミの指示で、打ち合わせとおりマラカとマレッティが走る。既にアーリーの指示でパオン=ミが大きな鞍を用意してあり、三人乗れた。前がマレッティ、パオン=ミが真ん中、そしてマラカが後ろだ。
パオン=ミ、最後に背後を警戒しながらとび乗って手綱を握る。すると、一気にスーリーは大地を蹴って跳び上がり、大きな翼で高山の薄い空気をつかんで舞った。
マレッティは竜に乗るのは生れて初めてで、その下腹がすくみ上がる感覚に苦しんだ。見る間に地面が遠ざかり、めまいがする。
だが、眼を上げるとリュト山脈の真っ白な堂々たる絶景が眼前に迫ってきて、美しさのあまり恐怖も忘れたのだった。




