第3章 2-2 緊迫
ウガマール産の、アレンキという良い香りのする木の実の油と月桂樹の香油入り高級石鹸で髪を洗っていると、下女の一人が背中に回ってきた。カンナは洗うのは一人でやるからいつも断っており、新しい下女かと思って眼をつむったまま、
「あ、自分でやりますから……」
と云ったが、下女は、優しい手つきでカンナの頭へ細い指を入れてきた。
「いや、だいじょうぶですから……」
「カ、ン、ナ、どの……そう、遠慮なさらずに」
「ぎえっ!!」
シャ、シャ、シャ……と聞いたことのある変な笑い声。
「マ、マラカ……さん!?」
「声が大きい! 拙者のこと、覚えていてくれたのですね。嬉しいですぞ。さ、前を向いて……知らないふりをしてください。打ち合わせをすませます」
「は、はい……」
仕方がない。カンナは洗い場でマラカへまかせるかっこうとなった。マラカはしかし、浴室専門の下女より洗髪がうまかった。気持ちいい。
「かゆいところは、あ、り、ま、す、か……? 冗談です。軍議はもうすぐ終わるでしょう。しかし、結果は惨憺たるものです。くわしくはアーリーどのが話すでしょうが……サラティスのバスクは真っ二つに割れますぞ。カルマは孤軍奮闘、遊撃部隊として独立して戦うことになります。デリナの竜軍団は、もう明後日には都市に到達するでしょう。カンナどの、どうか死なないでください」
そう、云いつつ、髪を湯で濯いだ後、同じく石鹸を海綿につけて泡立て、素手のままやさしく背中から胸、さらには腹から下腹部までマッサージするように手早くその手を動かした。
「いや、だから……ちょっと、ま、前はいいですから、話の続きを……」
「そ、う、で、し、た……カンナどの。戦いの最中でたいへんでしょうが、フレイラどのと、事務長をよく観ていて下さい。よく見張っているだけでけっこうです。カンナどのに何かすれとは申しません」
「フレイラさんと……事務長さんを?」
まさか、その二人のどちらかが竜とつながっているというのか!?
カンナは思わず振り返った。目の前に、マラカの日に灼けた顔があった。また口を舐められるかと思い、あわてて前を向く。
マラカは名残惜しそうにカンナのうなじへ小鼻をつけ、すんと一呼吸、匂いをかいだ。
「カンナどのの匂いは好きです……では、また。死なないでください」
気配が消えたと思ったら、もうマラカはどこにもいなかった。いつもいる下女たちも、一人もいない。カンナは自分で湯を身体へかけて石鹸を流すと、不思議な気持ちでそのまま風呂に入った。竜が攻めてきたら、次はいつ入れるのか想像もつかない。いや、マラカの口ぶりから察するに、そうとう厳しい戦いになるようだ。まったく実感がわかないが、本当に死ぬかもしれない。
束の間の、湯の快楽だった。
翌日、やや疲れたようにも見えるアーリーが戻ってきて、三人へ報告をした。マラカの云った通り、その内容は衝撃的だった。
「我々はまず、このサラティスに何人のバスクとセチュがいるのか調査、確認するところから始まった」
つまり、決戦を数日後に控え、味方戦力の把握もできていなかったのである。
「結果、カルマ四、コーヴ二十八、モクスル百五十四、セチュが三百八十九、合計は五百七十五」
マレッティの「それだけえ!?」と、フレイラの「けっこういるっすね!」が、同時に響いた。マレッティが呆れてフレイラを丸い眼で見る。フレイラは両手を頭の後ろで組み、安心したようにホッと息をついた。
「思ったより残ってたっすね。それだけいりゃあ、全員が死に物狂いで戦えば、竜どもの四、五十は倒せるっすよ。そうしたら、向こうも指揮官がいるようだし、戦力半減で撤退するっす。戦力半減なんて、大昔の人間の戦争じゃ、全滅に等しいですからね」
「全員が死に物狂いで戦ったら、世話あないでしょお!」
「え?」
フレイラが、さも何を云ってるんだという顔つきでマレッティを見た。マレッティが眉を寄せ、頭痛のように額に手を当てた。じっさい、頭痛がしていた。
「ねえアーリー、このあいだ云ってた竜軍の数に、バグルスは何頭いたかしら!?」
あっ! と、フレイラが息を飲む。
「そうか……バグルス……」
「あたりまえじゃない。どうしてそこに考えが行かないのよ」
申し訳なさげに、フレイラが顔を曇らせた。アーリーの表情は変わらない。
「報告にバグルスはいない。しかし、いないはずがない。隠れているか……既に先行して散開しているか。最低でも二十はいるとみるべきだ」
「二十っすか……」
フレイラの顔が厳しくひきしまる。ようやく事態をのみこめたようだ。
「で……軍議の結果、どうやって軍団を迎え撃つことになったの?」
「私は、カルマを先陣として全軍の先制奇襲を提案したが、コーヴとモクスルが反対して、籠城を主張した」
「籠城っ!?」
フレイラが素っ頓狂な声に転じた。




