第3章 2-1 軍議
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「斥候からの報告だ。竜の軍団がホールン川を越えたぞ」
アーリーが塔の最上階で重々しく告げた。
カンナが塔に帰ってから、十日あまりたっている。フレイラは未だにカンナと口をきこうとしない。カンナがこの街を訪れたのはガルバ帝の月の初めであったが、もう二十日も過ぎて夏の盛りを迎えている。サラティス、ウガマール、ストゥーリア、ラズィンバーグのいまは各個独立している都市国家群は、千年近く前に古代サティ=ラウ=トウ帝国、そして帝国滅亡後に成立した旧連合王国となって巨大な国家を形成し、その時の暦が共通の歴としていまだ使われていた。
「ホールン川まで斥候が行ってたのかよ……すげえな。セチュっすか?」
「バスクだ」
感心して、フレイラが口笛を吹いた。
「人が歩いて約三十日。竜ならば十日とかからないだろう。報告の時間差を考えて、およそ七日後には、竜の大軍団が攻め寄せると観なくてはなるまい」
「大軍団って、いったいどれくらいの竜が来てるのお?」
「報告によれば……」
アーリーが小さな書類を読み上げる。
「主戦竜四十。内訳は猪が十八、鴉が十、背鰭が十一、大王が一だ。大鴉に率いられた軽騎竜がおよそ四十五から五十。駆逐竜は少なくとも二十以上。その他、細かい竜が多数。数は不明。そして、ダールが一人……」
「はあ……!?」
フレイラの顔が引きつった。ふざける余裕も一気に失せた。
「なんっすか、それ……どうやって戦うんすか」
「都市政府が重い腰を上げた。サラティス攻防戦対策本部が立ち上がった。これからカルマとして会議に出てくる。みなは、その報告を待て」
「会議ィ!?」
フレイラがひきつったまま叫ぶ。中途半端に掲げた両手がわなわなと震えていた。
「なんっすか、会議って! そんなことしてる場合じゃ……」
マレッティがヒクリと片頬を歪め、同輩を横目に見すえた。
「フレイラ……会議とはいうけどお、軍議でしょ、これは。いまこそ、サラティスのバスク軍団結成の好機じゃなあい。アーリーにまかせるのよ」
「う……」
フレイラは腕を組み、気まずくなって咳払いをし、
「しっかし、モールニヤがいれば、まだマシな戦いになったっすよ、絶対」
「モールニヤからも、報告が来ている」
えっ!? とフレイラとマレッティが声をあげる。
「ストゥーリアでも竜が激増しているそうだ。北でも、もしかしたら大規模な侵攻が始まる可能性がある。モールニヤには、向こうでバスク組織を立ち上げる下準備を指示した。時期がくれば……私が行く」
「時期がくればって、どういうことお? そんな余裕があるわけ!?」
「だから、我々は絶対に勝たなくてはならない!」
アーリーが力強く宣言し、螺旋階段をおりた。会議へ向かうのだ。
マレッティが醒めきった眼でそれを見送った。
「……なにあれ……なにを云っているのやら……」
「よおし! オレも頑張るぜ! 竜どもを片っ端からぶっ倒してやる!」
フレイラが肩を回しながら、アーリーに続く。マレッティは呆れて口をあけた。
「あいつ……バカだバカだとは思ってたけど……あそこまでバカだったっけ……非常時にお里が出るものねえ」
うんざりとした調子を隠しもせず、小声でそうつぶやくと、マレッティは鼻を鳴らして階段を下りた。下女たちが椅子やテーブルを所定の位置へ戻して燭台の蝋燭を消し、すみやかに最上階大広間をあとにした。
残されたカンナは、棒立ちのまま、ただの一言も発することができなかった。
「あー、もう、いやっ! もう耐えられない……アートのところへ帰りたいィ……」
カンナはここ十日、針の筵だった。アーリーは相変わらずだったが、謝っても何をしても、フレイラがまるで相手をしてくれぬ。完全無視である。マレッティが気をつかってくれるのも、心苦しい。部屋で悶々とし、退治も何もしていなかった。
しかも、それから三日間、会議は紛糾した。アーリーは深夜に戻ってきて仮眠と食事をとるや再び都市政務庁舎へ向かう。その間、一言も三人へ報告は無かった。フレイラとマレッティの雰囲気も次第に悪くなり、口論もふえ、カンナはさらにいたたまれない。
「お風呂でもはいろ……」
カンナはすることが無いので、二日に一度は風呂へ行っていた。カルマは四人しかおらず、いっしょに行かない限りただの一度も誰かとはち合わせしたことは無い。
街の湯屋では自由にふるまえたが、ここでは専任の下女がいて、至れり尽くせりだった。それがまだ慣れないが、この広い風呂を独り占めできるのは、かなり気分がよかった。唯一のストレス解消だ。




