第1章 2-2 サラティスの平原
気が抜けたのか、がっくりとスティッキィが疲労困憊になってしまったので、急ぐのだが、サラティスとラズィンバーグのちょうど中継地点にある村というほどでもない補給集落までなんとか行くと、丸一日を休憩に費やした。
翌日、スティッキィの気力が復活し、またここまで来れば食糧事情はサラティスの影響範囲内になるので、金に物を云わせて豪勢な食事を摂り、一行の体力は恢復した。特にカンナは、涙が出るほど懐かしい味だった。ここは、集落を護るためにサラティスよりモクスルが出張っており、カンナのカルマの身分証がさらに物を云う。
「あの、稲妻のバケモノが帰ってきた……」
である。
ひきつった顔でビクビクと挨拶をするバスク達に、カンナは乾いた笑いを返すのが精いっぱいだった。
既に季節はヴァゲルテス帝月になり、カンナがウガマールを出てより一年が経った。カンナは、自分でも気づかぬうちに、十五になっていた。見た目は、何も変わっていないのだが。
南回り街道はすっかり春めいて、花が咲き、蝶が飛んで、陽気はフード姿だと暑いくらいだ。
まだ夜に急に冷える時節でもあるため、四人は旅装マントはそのままだったが、フードを脱いで、色々と話をしながら街道を歩いた。特に、カンナはウガマールを出てからの情報をウォラへ熱心に尋ねた。
しかし、アートが奥院宮の教導騎士であることを知らないカンナ、どうして神官長がアートのことをわざわざ知らせてきたのか、今更ながら不思議に感じていた。確かに、ウガマールでもアートの治療を行えるガリア遣いは、市井ではなく神殿の奥にしかいないとか思っていたが。それにしても神官長とは。
「あの、ウォラさん?」
「なんだ?」
「神官長様は、どうしてアートのことを?」
それは、単純に、どうしてアートのことを知っているのか? という意味だが、結論を云うと、アートは神官長の命で身分を隠しカンナへ近づいたし、カンナをウガマールへ呼ぶ……といえば聞こえが良いが、おびき寄せるためにわざわざ神官長が知らせてきた。ウォラは、それらの真実をカンナへ語る気はない。
「申し訳ないが、それらは、直接、神官長へ尋ねてほしい」
それしか、云いようがない。
「そう……」
カンナは、アートのことをウォラには尋ねなかった。もちろん、本来は同僚であるので昔からの知人なのだが、カンナは、アートが一般のガリア遣いと思っているので、よもや奥院宮の騎士にして密神官のウォラが、アートと接点があると想像もしていないからだ。
「ま、おいおい話そう。そうだな……ラクティスで、説明を。カンナがウガマールを発ってからの、奥院宮の状況を。……かなり、危険だ」
「ええ?」
カンナは不安になってきた。自分は、ただアートが心配で帰るだけなのに。
(そういえば……)
思い出した。パーキャス諸島での、ウガマールから来ていた少女のガリア遣いを……。
自分を殺そうとしていた同じ年頃の少女を。
名を、なんといったか……。
あれから色々なことがありすぎて、それすら忘れてしまった。
四日も歩くと、平原の向こうにサラティスの城壁が見えてくる。懐かしくて……カンナは涙が出てきた。そして、逃げるようにサラティスを出たはずなのに、懐かしいと思っている自分にびっくりした。しかも、いま歩いているこの平原は……デリナとの死闘を演じた、あの場所ではないか。よく見ると、地形が歪んでいる箇所もある。自分とデリナとの戦いで地面がえぐれ、土砂が吹き飛ばされ、あるいは押しつけられた跡だ。それほどの戦いだった。
(何もかも、みな懐かしい……)
何かの物語で聞いた気がする台詞が、唐突によみがえる。
(ばかばかしい、なんなの、わたし……)
急に醒めた。
「カンナ、サラティスへは、寄らなくてだいじょうぶか?」
ウォラが、心配して云ってくれる。カンナは城壁から頭の覗くカルマの塔を遠目に見やった。いま、塔には留守番の黒猫と、モールニヤが一人で仕事……すなわち竜やバグルス退治をしているはずだ。あの後、バグルスが、出現していれば……だが。
その、話ばかりで、一度も会ったことのない、カンナにとって幻のカルマ、モールニヤ。会ってみたい気はしたが、会ったところで何を話すというのだろう。
「別に、いいです。特に用事はないし……早く、ウガマールに行きたい」
「そうか」




