第3章 1 ホールン川
第三章
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厚い雲が低く垂れ込める、風のない蒸し暑いその日。
マラカは自身のガリア「葆光彩五色竜隠帷子」へ身を包み、草むらからその渡河を凝視していた。全身をすっぽりと覆うこのガリアは、鎖帷子と覆面を含んだ地味な装束から成るが、周囲の景色へ溶け込み、かつ竜から完璧に身を隠せる力を持つ。ホールン川をいま、聴きしに勝る竜の大軍団が渡っていた。目に見えるだけで、大小様々、百はいる。小竜や猿竜、その他未知の偵察竜などをくわえると、何頭いるか想像もつかない。あんなものがサラティスへ攻め込んだら、いったいどうなってしまうのだろう。
軍団の中心に、輿を背中に設えた、ひときわ大きな大猪竜がいて、水飛沫を上げながらゆっくりと川から上がった。マラカは遠眼鏡を片目につけ、斜め正面からその輿の中をしっかりと確認した。玉座じみた豪奢な椅子へ座り、片手で頬杖をついている波うつ黒髪の女がいた。その涼やかな丸めの顔は大理石のように白く、ふくよかな胸元も露わな艶やかに黒いドレスがめだつ。巨大な勾玉状の黒真珠がひとつある首飾りがいびつに光っていた。歳の頃は二十代の半ばだが、ダールならば見かけの歳より遙かに長く生きているはずだった。アーリーと同じく。
「あれが……竜属のダール・デリナ……」
マラカの鋭い視線が、デリナを射抜く。情報は仕入れていたが、見るのは初めてだった。デリナからは絶対に見えていない、それどころか気配すら感じさせていないはずなのに、遠目にもデリナがギロリとその睫毛の長い虚無的な虚空めいた漆黒の半眼をマラカへ向けたので、さしものマラカも背筋が冷えた。
とたん、数頭の駆逐竜が物凄い速度で迫ってきた。
マラカが舌を打つ。
「チ……あの犬っころ竜は、ガリアそのものを感じるのだったな……まさか拙者のガリアが見破られようとは……」
マラカは風に乗ってその場をすみやかに離れた。ガリアの力で、竜にも負けない速度で走り、軍団から離れる。駆逐竜は執拗にマラカを追った。ガリアの匂いを嗅ぎ、かなり離れたところで、マラカはついに追いつかれ、三頭の駆逐竜に囲まれてしまった。
「こいつら……三頭一組で獲物を襲うのか?」
風が生暖かい。背の高いイネ科の草が揺れる。
いっせいに駆逐竜がマラカへ踊りかかった。
マラカはなんと、ガリアを解除して平服となった。突然相手が消え、駆逐竜は空中で交差してそのまま草むらへ下りた。すぐさま、マラカの両手には、逆手で真っ黒い刃物が握られていた。それはガリアの帷子を凝縮した、マラカの必殺技だった。
「……イィエエイ!」
再びガリアに反応した一頭の喉笛が掻き切られ、血を吹き出す。さらにマラカはガリアを消し、一足で接近すると瞬時にまたガリアを出して両手で一頭の首を左右から突き刺し、一気に捻ってその首を斬り落とした。残る一頭にはガリアを消しもせず対峙し、ばかみたいに正面からつっこんで来るのを身を低くしてかわすや、その腹へ刃をつきたて、相手の勢いを利用してかっさばいた。
臓物をぶちまけ、苦痛に喚いてのたうつ駆逐竜をそのままに、マラカは再び葆光彩五色竜隠帷子を纏うや、平原を風のように駆けた。
そのまま、マラカは夜通し駆け抜けて、翌朝には平原のど真ん中に設えてある小さな小屋へ到達した。そこには伝書鳩が用意されており、腰のポーチからペンとウガマール紙を出すと素早く報告書を書き上げ、鳩の足にある小さな金属環へつめるや鳩を空に放った。




