第2章 5-1 壁の上
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その、二日後の同じく夕刻の時間帯であった。
その日も晴れ渡り、夕日が都市を囲む城壁の西側を赤銅色に染め上げていた。平均して高さ三百キュルトにもなるサラティス城壁の頂上には、今はあまり使われていない、二十四基の見張り台があった。城壁の上には連絡通路があって、各々の見張り台はつながっていた。長く放置されて痛んでおり、滅多に見張り台へ登る者は無かった。
その台のひとつに、アートがいた。石畳の床へ座り込んで、夕日をみつめていた。
そこへ、台へつながる石階段を登ってきた者がいた。
アートは振り返らなかった。誰が来たのか分かっていた。アートはその人物とここで待ち合わせをしていた。
「よお、直に会うのは久しぶりだな」
「そうだな」
抑揚の無いアルトの声で答えたのは、アーリーだった。夕日を全身に受け、仁王立ちで赤く輝いていた。
「いったい、どういうわけで、わざわざ呼び出したんだ? 頼まれたことは、最大限努力したつもりだがね」
「直接、礼が云いたかった。有難う。今回はよくやってくれた。カンナを護り、よく導いてくれた。やはり彼女はバスクスで間違いない」
アートはほろ苦く笑った。夕日の中を、カラスが群れで飛んでいる。
「さあねえ。バスクスなのかどうなのか……可能性が可能性だから、きっとそうなんだろうけどな。俺は何もしていない。全て彼女の自分の力だ。俺なんか、何の役にもたっていない」
「謙遜だな」
アーリーが珍しく笑みを浮かべる。
「カルマに匹敵する力を持ちながら、バスクスを導く宿命にあるバスク。それがおまえだ。『だから可能性は少ない』……世界を救うのがおまえの運命ではないからな。ウガマール奥院宮の教導騎士、アートゥイコロヌプリペッよ」
アートは初めて仁王立ちのアーリーを見上げた。
「おっと、おいおい! 頼むよ。こんなところで、そうあっさりと本名を云わないでくれるかな、アリナヴィェールチィさんよ」
アーリーが苦笑し、アートの隣へどっかと腰を下ろした。
「意識の低い意趣返しだな」
「おまえが云うなよ」
二人は改めて拳を軽く打ち合った。
「私はダメだな。気ばかり焦って」
「無理もないさ。ああいうのに、焦りは禁物だよ。やっと……やっと誕生したんだ。失敗は許されない」
「のむか?」
アーリーが真鍮の小さなボトルを出した。蒸留酒を入れるものだ。アートが受け取り、蓋をとって、匂いをかいだ。
「……ずいぶんと高そうな酒を飲ってるじゃないか。さすがカルマだな」
「ストゥーリアのウィスキーだ。珍しいだろう」
アートが一口、傾ける。
「……うまい。麦汁の蒸留酒か」
アートからボトルを受け取り、アーリーも傾けた。
二人とも、しばし黙って夕日をみつめていたが、アーリーがぼそりとつぶやいた。
「カンナのガリアの力は、『音』なのか?」
「音……そうだな」
アートは左手で顎の無精髭をさすった。
「カンナの本名……“カンナカームィ”は、ウガマールの古い言葉でいわゆる『雷神』だ。しかし、直訳すると『雷鳴の神』となる。稲妻は、あいつの本当の力の副産物にすぎない。そこを取り違えると、あいつの力は一定以上は絶対に出ないし、ヘタをすりゃ空回りして、まるで役に立たなくなる。全ては自覚だ。ガリアというのは、自覚の問題だからな」
アートはまたボトルを受け取って傾けた。
「知ってるだろ?」
「ああ……だが私ではうまく伝えられない」
「俺だって言葉では……こういうのは、自分で感じるものだからな」
「しかし、カンナは目覚めた。自分の力を感じた。まだ自在にガリアを遣いこなすというまでではないだろうが、自分の力を知ったのは大きい。これから、良くなるだろう。……アート、おまえが導いた」
「そんな、大層なもんじゃ……ないよ」
アートはどうにも面はゆかった。
「それより、アーリー。やはり、あいつが来るぞ。カンナを狙っているのはあいつだ。バスクスがまだ未熟な内に殺そうとして、執拗にバグルスを送り込み、狙っているのは……あんたの幼なじみのダール……バーレクデーリーナーンダラァー」
「……分かっている……」
「おまけに、いざとなればサラティス防衛を担うバスクの数を計画的に減らしていたとは、まったく恐れ入るぜ」
アートが首を振って唸り、思わずウィスキーを一気に空けてしまった。
「おっと……すまん。のんじまった」
「いや……」
アーリーがボトルを返してもらい、腰のポーチへしまった。




