第2章 4-8 撤退
「ウ、ウッ……!」
さしものパオン=ミも冷や汗に濡れた。周囲のバグルスは、ギロアやブーランジュウほどではないが、ガリア封じの力を持っており、先の二人(ついでに、スーナー村でミヨンも)が個別に撃破された反省で、七人をもってぐるりとガリア封じの陣を形成している。この強烈な陣に囲まれたならば、ダールといえどもその効果からは逃れられない。ゆっくりと歩を前に出すガラネルの銃が、音もなく霧散する。
しかし、ガリアが遣えなくとも、ダールの力はバグルス以上だ。片や、ガリアを封じられたガリア遣いは、ただの人間である。バグルス達は陣を崩せないので、戦いはしない。だが、ガラネルがいる。ガラネルの両手の爪が、バグルスめいてナイフのように盛り上がる。眼が赤く光り、牙が出る。半竜化までもない。ほんの少し、竜の力をかいま見せるだけだ。人間など、一撃でボロ雑巾にできる。
三人が背合わせに固まった。が、どうしようもない。バグルスの身体能力を考えれば、七人の隙間を抜けることは不可能だろう。ガラネルが楽しそうに三人へ近寄る。
「誰から殺ろうっかなあ? その眼鏡のガキから引き裂こうっかなあ?」
カンナがギクリを身をすくませた。ガラネルが笑う。
「……な~んて、嘘よ。カンナ、あなたはこっちへ来るのよ」
「エッ!?」
三人が一斉にガラネルを向いた。
「あなたは、私にとって必要な人なの。さ、いらっしゃい。早く。時間を取らせないで」
カンナは硬直し、震えだした。全身から汗が出た。眼鏡がずれ落ちてくる。
「罠とも思えぬ。今は行け、後で助けに参る!」
パオン=ミが耳元でささやいた。カンナは意を決し、右足を踏み出そうとして、足が出ず、左足がその右足に躓いてそのまま地面へ倒れた。
「あらあら、そんなに怖がらなくていいのよ」
「しっかりせよ、立て!」
パオン=ミの声も耳に入らぬ。全身が震えて、自らの精神の弱さに絶望しかけた。身体が云うことを聴かない。
その時だった。
上空の闇より、何か大きなものが落ちてきた。それはバグルス達の陣の一角の真上に落ちて、そのまま全身を使って体当たりし、尾で薙ぎ払ってバグルスの陣を一撃で崩した。
三人のガリアが復活する。
最も素早く復活したのは、カンナだった。そのすさまじい恐怖がガリアを一瞬で呼び起こし、自らを護る。
「うわああああ!」
とんでもない共鳴が、バグルス達の耳を襲った。みなひっくり返ってのけ反り、耳を押さえて身悶える。ガラネルですら、耳を押さえて顔を苦悶にゆがめ、ガクリと膝を折った。
「いまぞ!!」
パオン=ミがカンナを火事場の馬鹿力で抱きかかえ、スーリーへ飛び乗った。
闇夜から舞い降りたのは、スーリーであった!
残るスティッキィをスーリーが前足で抱えるや、一気に飛び上がった。
ガラネルの怒り狂った叫び声と、銃声が闇の中に連打してこだまする。
パオン=ミはスーリーをゆったりとラズィンバーグの台地から遠ざけ、タンブローナ山麓へ広がる広大な広葉樹林の深い森へ下ろした。ここはふだんスーリーを隠している場所で、夜の森林へ竜を着地させるのは至難の業だが、パオン=ミとスーリーはラズィンバーグへ来てから深夜に何度もこの森への着陸訓練をしており、いま、まさにその成果が出た。
上空の一定の角度から見ると、すっぽりと木々が刈ってあり、そこへ見事に滑りこむ。パオン=ミがガリアで着陸場所を作っていたのだ。
スーリーが地面へ足をつけると、三人はようやく安堵し、全身の力が抜け、命からがら脱出できたことを喜んだ。
「よ、よくぞ助かった……!」
スーリーから降りたパオン=ミが、腰砕けとなって木へよりかかる。
「カンナの攻撃も、よくバグルスだけねらってくれたわ」
カンナは答えなかった。本能だ。必死だった。よくわからない。目眩がする。動悸が納まらない。息もできぬ。
「奇襲は失敗かあ」
いまだスーリーの腕の中にいるスティッキィが、げんなりとつぶやいた。カンナの不安のとおり、甘く観ていたのだ。猛省しなくてはならない。もしこれがメストの仕事だったならば、懲罰ものである。
そのスティッキィ、暖かい竜の腕より出てきて、ため息を吐き、つめたい森の地面へしゃがみこむ。
すると、目の前に黄色い小さな目玉が見えて、ぎょっとした。
猫だ。
その猫が、闇の中で明らかにニヤリと笑った。
思わずカッとなって、闇へめがけて絶対に視認できない闇の星を飛ばしつける。
猫は一瞬で森の奥へひるがえって、スティッキィのガリアを難なくかわした。
これで二度目だ。
「……あの、ガキィ!!」
スティッキィの顔が怒りと悔しさで、闇に醜くゆがむ。




