第2章 2-2 足跡
「静かに!」
パオン=ミがカンナの口元へ手を当てる。カンナは、固まった姿勢のまま、静寂に耳を傾けた。夜ともなると、この廃墟には誰も近づかない。常に工場の音が響いているストゥーリアと違い、職人工房街のラズィンバーグは、深夜は本当に静かなものだ。
「さ、こっちぞ。下調べはすんでおる」
しばし待ち、何事も無いのを確認して、パオン=ミが闇の中でささやいた。
「なんか、楽しくなってきちゃったあ」
スティッキィが声を殺して笑いながら続いた。カンナが最後に、不安げなまま手探りで進む。
敷地内を移動しながら、カンナは何かに蹴躓きつつ、なんとかぐるりと周って店の正面に来た。ここは塀越しに高台の松明による街路灯の明かりや月明かりが差しこんで、まだ明るい。しかしパオン=ミはそこを通り過ぎ、反対側へ周った。
反対側も完全に闇だったので、そこでパオン=ミは初めて呪符をひとつ燃やしつけ、白い光の固まりを人魂めいて浮かびあがらせる。そこには物置のような建物があり、その近くの地面に、背の低い柵で囲いがしてあって、囲いの中は明り取りの格子が破壊された状態で、そのままあった。すなわち、
「この真下が、例の地下室よ」
パオン=ミが、楽しげな声を出して、柵越しに暗闇を覗きこんだ。
「まさか、こっから飛び下りて入るのお!?」
スティッキィが目をむく。
「他に、ちゃんとした出入り口があるんでしょお!?」
「ここから誰か入ったように見えるゆえ、我らも入れると思うがのう」
「冗談……あなたはいいかもしれませんけどお」
「そうか……」
パオン=ミ、あっさりと引き下がり、さらに裏へ回る。またも真っ暗闇で、火炎の呪符をもう一枚燃やし、明かりを増やした。と、勝手口がある。封印されているが、ドア自体が破壊されており、鎖の合間を縫って中に入れる。
三人はそこから建物の中へ侵入した。
カンナもようやく、右手へ球電を出し、浮遊させる。ブウンと音がして、プラズマ光の球が明かりとなってカンナの頭上へ浮かび、足元を照らした。
スティッキィがぎょっとして身をすくめた。
「カンナちゃん、それ、触れたら爆発するやつなんじゃないのお!?」
「えっ!? 大丈夫だよ?」
「ほんとお……!?」
「おい、こっちぞ、足跡がある……」
パオン=ミが呪符の光を廊下へ近づける。年月を経て色が変わっているが、その黒い足跡は、まぎれもない、
「血だわ……大量の血を踏んだ足で、ここを通ったのよ。でも……後から調べが入ったんでしょう。めちゃくちゃに踏み荒らされていて、マレッティの足跡かどうかは分からないわ」
スティッキィが眼を細めて、素早くそして的確に観察する。パオン=ミも、鋭い眼を床に向け、しばらく見渡していたが、
「……だが、これは見逃せまいぞ。二人とも、これを見よ」
スティッキィとカンナが、パオン=ミの呪符の明かりが照らす足跡を見つめた。大きい。そして女性だ。運良く、あまり重なり合っておらず、ハッキリと見て取れる。
「……ここいらの靴じゃないわねえ」
「我の国の靴に近いであろう」
そう云って、パオン=ミが片足を上げた。
「なある……竜の国の人がここに?」
「マレッティと共におったのよ。そして、女物の靴じゃ」
「それにしては大きいわねえ。アーリーくらい、あるんじゃない?」
カンナが、しゃっくりみたいな音を出して息をのんだ。
二人がカンナを見る。
「如何した?」
「い、いや……べつに」
カンナ、急激に動悸がして、目が眩んでくる。
脳裏に浮かぶ、昨年夏のデリナとの戦い、フレイラの死。そして、フレイラの今際の際の言葉。デリナに胸板を貫かれ、苦しげに血を際限なく吐き出しながら、カンナの胸ぐらをつかみ、
「マレッティ……」
と、云い残して死んだフレイラの顔は、いまだ脳裏に焼きついている。
「マレッティが、こんなところで四年も前に、謎の竜国人と、あの気味の悪い教団の関係する騒動に巻きこまれてたってわけねえ……ふうん……」
スティッキィは楽しくなってきた。




