第3章 5-1 敗走のさなかで
「……うう……うううううああああ!!」
カンナの唸り声が腹に響く。ブーランジュウは声も発せず、遮二無二自らの肉体を動かすと、四つん這いのまま死に物狂いで豪雪の闇へ消えた。
カンナ、すぐさま後を追おうとする。
「待て!」
カンナは身を震わせて立ち止まった。
「……カンナ……もういい……今は追うな……」
振り返ると、半身を起こしてアーリーが右手を差し出している。
「ア、アーリー!」
カンナは我へ戻り、瓦礫によろめきながら駆け寄った。そしてその右手をとる。アーリーの高い体温が、しっとりと伝わってきた。
「……カンナ……よく自分を保ったな……いまは……放っておけ……」
まだアーリーは強いめまいと耳鳴りがする。恐る恐る様子を見に来た衛視のランタンが、二人を照らした。アーリーがやや表情をゆるめ、左手を上げたので、衛視たちが救助のために急いで寄った。
5
「ちょっとお、いま何か聴こえたあ!?」
降りしきる雪の中、アパートを出てすぐに、マレッティは深いフードの下から暗い空を見上げた。自らのマントはバーケンの屋敷に捨ててきてしまったので、まったく同じようなスティッキィのフード付マントを借りている。
マレッティが聴いたのは、カンナの攻撃の音だった。闇の向こうから、夜勤の工場の低い唸るような音に混じって、遠く雷鳴の音がする。
「天気が悪いから、冬のカミナリじゃなあい?」
スティッキィはそう云ったが、マレッティはカンナのガリアだと分かった。
(どこかで、さっそくやってるのねえ、カンナちゃん……今度の“犠牲者”は誰かしら)
よもやその場所が、いまから向かおうとしているガイアゲン商会の本部とは思わない。
二人は人も滅多に歩かない夜の裏通りをランタン片手にひたひたと進み、酷くなってきた雪の中を黙々と歩いた。杭柱の上に据えつけられた大きなランタンである街路灯がぽつぽつと、闇と降雪の中で幻想的に光っている。
しばらく無言で歩いていると、そんな二人の前に、闇の中から気配がした。そして弱々しくオレンジに光る竜の発光器も。二人は、同時に歩みを止めた。降りしきる雪の奥、闇の中から音もなく現れたのは、手負いのバグルス……ブーランジュウであった。
脇腹を押さえ、いまだ痺れる左半身を引きずりながら必死に逃げてきたブーランジュウも、闇の中に同じような背格好のフード付マント姿がランタン片手に、亡霊めいて立っているのに気づいた。荒く白い息を吐いて、思わず立ち止まる。角や肩、腿などにあるオレンジの発光器が、警戒のオレンジから攻撃の赤へ変わる。が、光は弱まっている。
(ガ……ガリア遣いか……!?)
ブーランジュウ、かすむ左目でなんとか二人をとらえた。一般人がこんな時間にこんな場所を歩いているとは思えなかった。
「なによこいつ、パーキャスのあいつに似てるわね」
ランタンをかざし、思わずマレッティがつぶやいた。
「パーキャスの……? ギロアのことか!!」
「やだ、やっぱり知ってるのお!? 雰囲気似てるわよお、あんた……」
「まさ……まさか……貴様も……カルマか……!!」
ブーランジュウが牙を剥き、両手の竜爪を構える。だが、カンナより受けた傷が、いかにも痛々しい。
「カルマだからなんだっていうのよお……」
マレッティはそう云いつつ、既に半身に構えている。
「ははあん、さては、あんた既にカンナちゃんから痛い眼に合わされたのねえ……効いたでしょう? あの子のビリビリは……」
歯ぎしりしてブーランジュウ、云い返せぬ。
「ちょっと、なによこいつう」
隣のスティッキィが、フードの奥からささやいた。
「角を狙ってちょうだい」
「つのお?」
マレッティが、素早く指示を出す。あとは時間を稼ぐ。
マレッティはフードをとった。
「あのなんとかっていうバグルスを粉々に切り刻んで、血のスープみたいにすりつぶしてやったのは、あたしよお」
「なにぃっ……!!」