第1章 4-6 怒り
そのとき、土竜の声がした。深い枝葉に隠れて見えないが、足音と木の揺れる音で、土竜が移動しているのが分かった。カンナが襲われているかもしれないと思い、土竜の背後に移動する。すると、なんとカンナが土竜を相手に黒剣をへっぴり腰で振り回しているではないか。
「なぁにやってんだああああ!!」
もしかして倒れているところを襲われたのだろうか。しかも、である。地面がぐらぐらと揺れたと思ったら、藪をかき分けて黒土が下から破れ、やや小さな土竜がもう一匹出現した。
「ううっ……!」
さしものフレイラも息をのんだ。さすがにまずい。ここは逃げだ。判断するや、出てきたばかりでまだきょとんとしている眼前の土竜の首筋へ針を打ち、驚いて甲羅状の鱗へ首をひっこめた隙にフレイラはカンナと戦っている土竜とカンナの間に割り込むや、猛る土竜の口中へ針を打ち込んだ。瞬間、炎が吹き上がったが、カンナを抱きかかえて濡れる草むらへ突っ伏す。
土竜は激しい痛みと麻痺に襲われ、口が閉じないままその場でふらふらと足踏みを始めた。
フレイラは濡れそぼって冷たくなっているカンナの肩を抱き起こし、叫んだ。
「さあ、とっとと逃げるぞ! いったん引いて、アーリーさんと合流して出直しだ!」
しかし、立ち上がったカンナは荒い息のまま、水滴の滴る漆黒の髪を振り乱し、眼を見開いて剣の構えを崩さない。
「おい!!」
フレイラはカンナの肩をゆさぶった。
「……ません……」
「あ!?」
「……逃げません!! 倒します!! 倒す!! 竜は!! 全部!! たあおすんだああ!!」
「はああ!?」
云うが、カンナがフレイラを振り切って土竜へ向けて走り込む。
「……こおおおのクッッソバカやろおおおおお!!」
フレイラの怒りが爆発した。
“カンナへ向けて”針を打つ。
カンナは凄まじい形相を見せ、振り向きざま、黒剣でその針を打ち払った。
「ゲッ……!!」
一瞬、フレイラが怯んだ隙に、カンナはふらふらして無防備な土竜の首の急所へ体当たりで黒剣を突き刺した。雨の中、爆発光が何度もほとばしり、感電が土竜を襲う。さらに、本物の落雷がカンナめがけて落ちた。
カンナは衝撃で剣も離して後方にぶっとび、尻餅をついた。メガネがずれ、あわててかけ直す。土竜は白い煙を上げて膝から崩れ、横倒しになった。突き刺さったままの黒剣がまだスパークしている。
今だ。カンナを気絶させてでも引かなくては。フレイラは放心しているカンナの腕をつかんで立たせ、無言でひっぱった。が、眼前にバグルス、そして背後の森から猛ったもう一頭の土竜が飛び込んできた。
「あぶねえっ!」
土竜の突進を避けつつ、カンナをかばってバグルスとその土竜へ針を打ちつけた。どこかへ針を受けた土竜がどっと倒れる。だがバグルスは、無理な体勢から打った針を難なく避けて、ゆっくりと近づいてきた。
しかし逃げる隙はある。フレイラが進もうとすると、再びカンナがその手を振り払う。
「……てめえ……!!」
カンナの手には、いったん解除したガリアである黒剣が再び握られていた。
「わたしは……逃げない!! 竜は……竜はせんぶ倒すんだあああ!!」
バグルスへ突貫する。その姿は悲壮感にあふれ、力強さはどこにも無かった。フレイラの針がバグルスの眼に突き刺さるのと、その衝撃でバグルスの張り手がカンナを外したのと、カンナの剣先がバグルスの胸下に滑り込むのと、同時だった。
深々と突き刺さった黒剣を握りしめ、カンナは懸命にガリアの力を発動させたが、これまでで最も弱い放電が少し、あっただけだった。
「あっ……」
カンナの細い首を、バグルスが片手で掴んだ。その腕力は相当麻痺しているはずだったが、カンナは一瞬で意識が落ちかけた。その時には、フレイラがバグルスの背後より広い背中へ駆け登り、その首へ腕を回すや、右耳の後ろの顎関節の隙間へ、最も太い止めの針を打ち込んでいた。そこが、戦いの中で見いだしたこのバグルスの「魂の芯」の場所だった。
バグルスの赤い眼から血の涙があふれ、雨へ滲んだ。バグルスは膝から崩れ、呆気なく絶命し、下草に臥せた。カンナは急いでその手を喉からほどいた。
残るは土竜が一頭のみだ。その土竜は眼をむいて口から泡を出し、横になって前足を必至に動かして宙を掻いている。強烈な幻覚が襲っているのだろう。効く個体には、一針か二針でこうなる。誤って毒茸を食べた豚に見えた。
フレイラは静かに近づくと、土竜の腹へしゃがみ込み、優しくさすってやりながら胃のあたりに針を打つと、やがて痙攣が止まって土竜は雨の中動かなくなった。フレイラは土竜のつぶらな眼を閉じてやり、カンナの元へ戻ってきた。
「や……やりました! 竜を、倒しましたよ!!」
カンナはフレイラに張り倒され、メガネも飛んで転がった。
「………」
そのカンナを、屈んだフレイラが胸ぐらを掴んで引き寄せる。眼がすわっていた。
「オレは引けと云った。何度も。なんで云うことをきかねえ。そんなに死にてえのか。一人で死ぬのは勝手だが、オレを巻きこむなと何回云った」
「で……でも……バグルスも……倒しました……フレイラさんの……役に……」
「お前は強ぇよ。確かに強ぇ。このまま成長したら、オレなんか足元にも及ばなくなるだろう。さすが可能性99だ。だけどな、そうなる前にお前は絶対に死ぬ。絶対にだ。このままじゃ、必ず死ぬ」
だから、死なないように、次からはちゃんと指示に従え。
フレイラはそのつもりで発した言葉だったが、カンナには届いていなかった。フレイラはカンナを突き放し、立った。雨が小振りになり、悄然と、カンナは両手を地面へついてうなだれた。鼻血が雨に混じる。
「立て。メガネを拾え。塔に帰るぞ」
しかしカンナは動かない。いや、動けなかった。
「……先に帰ってるぞ」
フレイラは歩きだした。森を出て、来た草地をまた通ると、あの五人のモクスルとセチュたちは、とっくにいなくなっていた。もしかしたら助っ人に来てくれるかも、と、万が一にも思った自分がばかばかしかった。
雨が上がり、フレイラは空を見上げた。
雲が晴れ、陽光が水滴に反射してまぶしい。