第2章 6-1 スターラの風呂事情
スティッキィは瞬きをして白い光を網膜から消すと、ゆったりと口元をゆがめた。
「お姉ちゃん、どうしたのよお、お姉ちゃん、ほら、見てよお……」
スティッキィ、自らの襟元をぐいと引っ張り、鎖骨の辺りを見せた。ボタンが飛んで、大きく胸元が開く。盛り上がっている傷跡があった。
「お姉ちゃんのガリアの傷よお」
さしものマレッティが、眼をそむけた。
「ちゃんと見なさいよお……。妹と母親を殺して逃げたくせに……でもねえ、おかげであたしもガリアに目覚めたのよお。感謝してるんだからあ。殺してく、れ、て」
「狂ってる……」
「……あんたに云われたく無いわね」
マレッティ、諦観したように小鼻で笑った。
「殺しなさいよ。メストの筆頭になれるんでしょ? 賞金もあるわけ?」
「だれが、すぐ殺すもんですか……」
「何をするってえのよ」
「あんたを生け捕りにするよう、頼まれてんのよお」
「はあ?」
気づくや、マレッティの首に闇星がまとわりつき、一気に締め上げる。
「……あん……た……」
マレッティは苦悶に顔をゆがめ、絞め落とされた。
スティッキィが右手を上げると、ふだん荷役をしているであろう大柄な男が三人ほど工業区の方から現れ、二人が見張りをし、一人がマレッティを背負うと、そのままスティッキィも含めて素早く工業区へ消えた。
その夜、マレッティはホテルへ戻らなかった。
6
時間的には、アーリーが暗殺者たちを蹴散らして戻ってきた翌日。そしてマレッティが実家を探して商業区を彷徨っていたころとなる。
暗殺者たちのカルマ狩りのゲームは、カンナにも迫っていた。
その日、アーリーも出かけ、マレッティも朝から出かけていたので、ホテルにはカンナが一人で残っていた。ほかの客も、めいめいに出かけ、あるいはチェックアウトでいなくなっており、客室を占拠しているのはカンナだけだった。窓の外はこころなしか空が晴れており、昨夜に降った雪が空気の汚れを拭き取ったかのごとく空間が澄んでいるように感じられた。
食堂で遅めの朝食をとり、フロントでアーリーとマレッティが既に出かけているのを聞いたカンナ、
「お部屋の片づけはいかがなさいますか?」
と問われ、いったん風呂に入ってから出かけるので、その間に頼むことにした。
しかし、気がつくとスターラ語も隊商の合間のライバとの会話練習で、短時間でかなり理解でき、なんとか話すことができるようになっているのにわれながら驚く。
ところで、風呂といっても、シャワーである。若いルームメイドが使い方を説明してくれた。シャワー室は、狭かった。これでも、あるだけましだが。
「うちは、近くの工場から湯を買ってます。管がつながっているので、熱いのが出ますよ。飲めませんから、気を付けて。こっちをひねると水が出ますので、温度を調節してください。石鹸はこれを」
「ありがとうございます」
サラティスでは水は安いが石炭が高いので、銭湯もそれなりの値段だった。スターラでは逆に石炭はサラティスの三分の一の値段だが、水は三倍だという。けっきょく同じようなものだが、水は工場優先で、庶民が風呂に入る習慣も余裕もない。労働者は、工場の備え付けのシャワーを愛用している。
それに、そもそも寒く乾燥しており、風呂はむしろ風邪をひきやすい。メイドもそれを心配した。
「部屋は、暖かくしておきます。あまり長時間、湯を流さないでください。出が悪くなりますので。それに、シャワーから出た後はすぐ暖かくして。風邪をひきますよ」
「はい」
メイドが礼をして部屋を出て、カンナは服を脱ぎ散らかした。確かに寒い。メガネを取り、シャワー室で見えない目でなんとかつまみをひねって、ちょうど良い熱さに湯を出す。久しぶりの湯に、カンナは嬌声をあげ、ついそのまま浴びていたら、すぐに勢いが弱く、かつぬるくなってきた。あわてて、いったん止めて石鹸をタオルで泡立てた。震えが来るほどに浴室は冷たかった。
「いや、これはダメだ」
カンナは、スターラで風呂が習慣づかない理由が分かったような気がした。