第2章 3-3 甲冑
「……しかし……喫緊の問題は、スターラをじっさいに侵攻する手筈を整えているダールは、そのような考えを持っていないということです」
レブラッシュが黙る。つまり、彼女は、ホルポスとガラネルの二人のダールの存在とその思想の差を理解している。
アーリーが叩みかける。
「竜との共存をうたうダールがいることは承知しております。……が、いまこの冬に侵攻せんと準備している相手は、そうではないはず。時間はありません」
「私は、ダールのことは良く分からないのですが……ダールは、みな同じ考えなのではないのですか? 多少の違いはあろうとも、その……」
「同じならば、私はここにおりません」
また、レブラッシュが黙った。その通りだ。
「……アーリーどの、今回担保いただける三万五千トリアン……本当にいざというとき、ご用意できますの?」
「私の個人資産情報は、塔の経理担当から既に行っているはず」
「カルマの経費ではないのですか?」
「カルマの経費ではありません」
レブラッシュが鞄を開け、竜皮紙を出すと、資料へ再び目を通す。アーリーがサラティスに来てから三十年間に溜め込んだ資産は、二十万カスタを超えている。都市政府の一年の予算にも匹敵する、個人の資産としては天文学的数字である。トリアンに直しても現在のレートだと十八万トリアンを超えるはずだった。つまり、担保は余裕、というわけだ。
「確かに、ここ十年は、サラティス政府からよく金をお買い上げいただいております。アーリーどのの蓄財に化けているのでしょうね。しかし、そうなれば、どうしてアーリーどのが直にフルト達の組織を立ち上げないのでしょう?」
レブラッシュは、マレッティと同じ質問をした。
「余所者が組織の所有者では、会員たちのいざというときの“やる気”がまるでちがうのです……命が懸かったとき、特に。前線を支えるフルトたちの心が折れてしまえば、ガリアは遣えなくなる。これは、戦争なのです。士気はなにより重要です」
「戦争……」
レブラッシュの眼が変わったのをアーリーは見逃さなかった。レブラッシュは、フルトの組織を単なる相互補助組織や慈善組織としか思っていなかったが、なるほど、アーリーはそれを名目に、フルトというスターラのガリア遣いたちをいざという時にそのまま兵士とするべく掌握しておくために、組織を作ろうとしている。
そうなれば話は違った。
「戦争にお金を出すのは商会の務め……連合王国時代から確かにその通り。戦争が終われば利権を手に入れ、資金を回収します。そのためには、勝ってもらわなくてはなりませんけれども……。アーリーどの、この戦い、勝てるのでしょうか?」
「勝つためにやるのです」
レブラッシュはアーリーの赤い竜の瞳を真正面からとらえた。
「……よいでしょう。名義と、資金を貸しましょう」
「かたじけない!」
アーリーが握手を求め、レブラッシュがその大きな手を握った。すぐに契約書が用意され、アーリーはカルマではなく個人としてサインした。
「だけど、どうしてグラントローメラではなくて、わがガイアゲンに?」
「より、“いくさ”を理解しているほうに頼みました」
レブラッシュが笑顔でうなずいた。食糧を支配するグラントローメラは、すなわち平時の人々の命を支配しているが、いざ戦争となると旨味はあまり無い。そりゃ、兵士も飯は食うが、戦時はほぼ徴収に近く商会が流通に入り込める余地が少なくなる。そこは、いざとなれば軍需を扱うガイアゲンと立ち位置や考え方が根本から異なる。竜との「戦争」における理解や協力度は、ガイアゲンとグラントローメラでは、正反対の価値観を有しているだろう。
「ですが、時間が……この冬にもそのダールが攻めてこようというのに、いまから組織立ち上げで間に合いますか?」
「間に合わせて見せましょう。そのために、われらカルマがわざわざスターラまで来ているのです」
「分かりました」
今度はレブラッシュからアーリーへ握手を求めた。アーリーは満足感を得て、ガイアゲン商会をあとにした。
応接室の窓よりそのアーリーの後ろ姿を見つめ、レブラッシュはほくそ笑んでいた。
「……よろしいのですか、支配人。あのような出資を……それに……」
秘書の老爺が囁きまでに声を落とす。
「……『メスト』のほうは……」