第1章 3-2 現実
「ハアーッ……! ハアーッ……!」
心臓が激しく動く。また気分が悪くなり、その場で胃液すら出ないまま嘔吐く。
「カンナ……さん……」
カンナはやっと息を落ち着かせた。
「……なんなん……な……なんなんですか……あれ……なんで……どうして……」
「あれが、スターラの現実なんですよ」
ライバが、忌ま忌ましげに吐き捨てる。
「現実!?」
カンナは涙目のまま顔を上げた。
「サラティスでは、竜に殺される人が多いと思いますけど、スターラは、竜があまり出ない分、人が人に殺されます。食料を奪い合ってね。人口はサラティスの三倍いますが、食料は、サラティスよりやや多いほどしかないんです。冬には寒さと飢えで何百人も死ぬんですよ。春になったら雪の下から凍りづけの死体がごろごろと出てきて、虫やら犬やらネズミやらが集まって、そりゃヒドイ有り様ですよ。街やその周辺には食えない人達があふれて、孤児も多いし、親に売られる子供も多い。そんなのを、盗賊達が誘拐し、闇市で買い込んで、奴隷にしてるんです。使えなくなったら、ああしてポイ」
また、カンナが衝撃のあまりガクガクと震えだした。ライバが、身構えて距離をとる。
「ゆる、ゆるせない……」
「でも、カンナさん……盗賊を倒しても、中の奴隷たちは、あたいたちにはどうすることもできませんよ。バーケンさんだって、いちいちあんな奴隷くずれを引き取らないし……」
「ウガマールには、孤児を集める施設がありますよ」
「スターラにはありませんよ。正確には、お金や建物はあっても、じっさいに養う食べ物がないんです……」
「竜でもなんでも食べればいいじゃないですか。わたしはウガマールの奥地で、乾期で食べものが無いときには、虫だって食べてましたよ」
「冬にはその虫すらいないんですって……。竜肉は、狩りに行ったって、市民で分け合うほどしか……。孤児に食わせる余裕は、どっちにしろないんです」
「じゃ……どうするんです!?」
「せめて、地獄みたいな浮世から解き放ってあげるしか」
「なにそれ……殺すっていうんですか!?」
「カンナさんの手を煩わせるまでもありません。あたいがスターラ人として、ちゃんと始末します」
カンナは声も出なくなった。また吐き気が込み上げる。なんとなく、マレッティがスターラには帰りたくないと云い張っていたのが理解できた気がした。想像と言語を絶する都市だ。
「なんてところ……!」
「侮蔑しましたか? スターラを。スターラ人を」
「……いいえ……そういうわけでは……」
「カンナさんは、外で盗賊をお願いします。あたいは、中に残る盗賊を。そして、残された奴隷たちも……始末をつけます」
カンナはややしばし無言だったが、それ以外答えようのない答えを絞り出した。
「はい……わかりました」
カンナは、大きく息をつき、純粋に竜へぶつける底知れずに湧き起こる殺意の渦を、そのまま人間とも思えぬ、いや、いかにも人間の欲望のままに生きる盗賊たちへ転嫁せしめた。別人のごとき冷たい表情となり、ライバをひるませる。その怒りと殺意がガリアとなって固まって、地鳴りとプラズマ電光が片手下段に構えた雷紋黒曜共鳴剣からあふれ出た。漆黒の剣身に、黄金の線模様が脈打つ。乳白色の肌は晩秋の風にうすら寒さすら感じさせ、眼鏡の奥で電光にバチバチと明滅する蛍光翠の瞳は人間とは思えない。
ライバは、その強力すぎるガリアの力の一端を既に垣間見て、アーリーの威圧とも異なる不気味な迫力に圧倒された。
「さ、さすが、カルマってことです……か……ね……。じ、じゃ、盗賊たちは、まかせます……よ……」
「はい」
カンナの声はまるで電気で合成したようにかすれて歪み、そんな音声を聞いたこともないライバは背筋が総毛だった。じっさい、恐るべき静電気がカンナより発せられ、ライバの全身をざわつかせた。耳へ遠雷の音がこびりついて脳を侵食する。
たまらず、ライバが次元穴瞬通屠殺小刀で移動、時空の隙間に入って一瞬で古城の反対側へ逃げた。
ほぼ同時に、盗賊が出入口として使っている隙間より、言葉にもならない喚き声をあげた茶金の髪をした、これも痩せこけて棒切れみたいな十前後に見える少年が、転がるように放りだされて出てきた。
その後に、顔に大きな傷のある、鼻の高い痩せた男が少年を追って出てくる。
「てめえ、こいつ……おまえもミリアみてえにくびり殺されてえのか、いうことを聞け、こいつ……お前の代わりは……腐るほど街にあふれてるんだ……役立たずのごみめ……!」
喚く少年を容赦なく殴る蹴るで、やがて少年もぐったりして動かなくなった。口や鼻から、大量の血が噴き出てきた。顔傷の盗賊は、少年を放り投げ、とどめと腹を思いきりブーツで蹴りつけた。
そこへ、寒い寒いと身を震わせて、殺した少女を捨ててきた先ほどの髭面が藪の奥より現れる。
「おう、なんでえ、こいつもついに狂ったんか?」
「へ、へっ……最近の餓鬼ぁ、すぐ狂いやぁがる。俺たちが餓鬼のこらぁ、奴隷やりながらもなにくそって親方や兄いたちの技を盗んで……一人前になったもんだがな」
「この時期、餓鬼は余ってるから安いさ。根性なしは、かまうこたあねえよ。男は無駄に孕まねえから、そっちじゃ重宝もするが、な」
「こいつ、もうそっちでも用済みよ」
「遠くに捨てて来いよ」
「わかってらあな」
ズウン! 山崩れめいた低い音がした。