第1章 3-1 古城
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二人は執拗に、かつ巧妙に荷馬車の後を追跡した。ライバの瞬間移動は、最大で五百キュルト(約五十メートル)ほどであるということだった。
「これが、あたいのガリア“次元穴瞬通屠殺小刀”です。一瞬で、距離を詰めることができますが、ガリア自体はただの刃物です」
そう云って大きな、食肉を解体するブッチャーナイフを見せる。いかにも使い込んでいるような鈍い血の錆が浮いて、脂で霞んだ地味な光を放っている。握り手に巻いた布も剥げかけているという、不思議な外観をしていた。たいてい、ガリアというのは新品でビカビカに光っているものだが。
二人は街道からかなり離れた、森の一角まで荷馬車を追い続けた。瞬間移動ができるので、盗賊達に気づかれないよう、慎重に後をつけることに成功した。
そして、彼らの根城であろう古代の要塞跡に、日暮れ前にたどり着いたのだった。
森の外れの木々の合間より、二人はその小さな古城を見つめていた。
カンナは、慣れない瞬間移動に長い時間つきあわされ、完全に酔った。まるでパーキャスでの船酔いを思わせる酔い方だった。まさに、移動する瞬間、景色が一瞬で狂い、空間が把握できなくなるのだ。
「ぅおぇえっ……」
冬を前にした枝だけの大きな落葉樹へ、胃液を吐きつける。
「だいじょうぶですか? 慣れないとどうしても……ごめんなさい。無理に連れてきちゃって……」
ライバがたまたま持っていた水筒から、水を飲ませてくれたので助かった。
「い、いいえ、わたしこそ……びっくりしちゃって……いろいろと……」
「サラティスでは、ガリア遣いが盗賊なんか退治しないのでしょう? 驚くのも無理はないですよ。でも……あの隠れ家のなかを見たら、あいつらが、竜よりも憎む相手だと分かりますよ……」
ライバの声が急に低くなったので、カンナはむしろそちらが気になった。いったい、あの古い石造りの砦跡で、盗賊達が何をやっているというのか。
古代の砦といっても、街道を監視し、警護する出城以下の本当に小さいもので、既に建設より数百年が経過し、かつ廃棄されてからも最低でも二百年は経っているもので、この季節は枯れた植物の合間に石の壁がかろうじてのぞいて見えるという有様だった。往時は、この出城を中心に衛士などの宿舎や厩も周囲にあって小さな町というか村を形成していたというが、現在では竜の住処にはなっていようとも、とても人が暮らしている痕跡はない。
だが、盗まれた馬車があったし、大きな馬もまだつながれたまま、荷物も置かれたままだ。
と、その枯れた植物の合間の暗闇より、幽鬼のごとくふらふらと、影の薄い人間が現れた。まるで壁から溶け出てきたかと思うほどだ。意外にも、歳の頃はカンナの同じか少し上の少女だった。だが、背が小さくやたらと痩せ、茶髪の髪も伸び放題で本当に幽鬼に見えた。しかもなんとこの寒空にほぼ全裸で、布切れのようなものを肩からひっかぶっているだけだった。あまり愛らしいとはいえない顔は憔悴と絶望で見る影もない。不思議なことに、半開きの口よりのぞく口中には、上も下も、前歯が一本も無かった。虫歯で抜いたのか、抜かれたのか……。なにより、下腹部がふくらみかけている。身ごもっているのだろう。
その後ろから、今度はいかにも盗賊然とした、これも半裸の毛むくじゃらの髭の男が現れた。中年に見えるが、20代の後半だろうか。つかつかと歩みより、女の……いや少女の首根っこをその大きな手で掴み上げ、ものも云わせず引きずって歩きだした。が、少女が呻きながら抵抗したので、そのまま丸太みたいな腕で少女の首を羽交い締めにし、一気に締め上げた。少女は、あっというまに動かなくなり、だらりと手足を地面へ落とす。髭が、意外な顔をして動かなくなった少女を見つめた。
「おい、こんなところでやったのか」
もう一人、後ろより今度はもう少ししゃんとした、整った服を着て、茶色い髪を短く刈り上げた壮年の男が現れた。
半裸の髭が振り向いて、媚びて下卑た笑いを出した。上役だろうか。
「あ、え、へえ。へへ……あばれやがったもんで、大人しくさせようとしたら、おっちんじまいやして。へえ、あいすみません」
「責任もって遠くに捨ててこい。そこらに捨てるなよ。山犬や狐が集まってくる。竜だって飛んでくるかも知れねえ」
「え、へ、へへえ……服をきてめえりやす」
そんな会話がはっきりと聴こえた。髭はいったん城のなかへ入り、すぐに毛皮の上着を着てくると、痩せこけた少女の死体を肩に担いで、林の奥へ向かって行ってしまった。
ライバが地面へ唾を吐きつける。
「……驚いたかい? カンナさん。なかは、あんなもんじゃ……」
振り返って、ライバ、息を呑み込んだ。
カンナの濃い翡翠色の瞳が、バチバチと反射する電光で蛍光色に光っている。わなわなと震え、一点を見すえながら黒鉄色の髪が逆立ちしだした。ズ、ズ、ズ……と地鳴りめいた音がどこからともなく聴こえてくる。
ライバは恐怖のあまり、息が止まったままカンナを見つめていたが、すぐに、その肩をゆさぶった。
「カ、カンナさん、しっかり! カンナさん……カンナ! 落ち着いて! い、いったいどうしちゃったのさ!?」
バツン!! その手に電撃が走って、熱さと衝撃で弾かれたライバは尻餅をついた。ライバがガリアの力でその場から逃げようとした瞬間、カンナは歯を食いしばり、なんとか我を取り戻したような感じでブルブルと震えて両手を握りしめ、気合で何かを振り切ると、自分の頭をボカボカと叩いた。そして大きく息を吸い、がっくりとうなだれて両手を地面へつく。