第1章 1-2 バーケン
「難しくは無いわよお。もともと古代サティス語から別れた言葉だし……発音や単語がちょっとちがうだけよお。云い回しとかね。一カ月もいれば慣れるわよ。そうだ、ウガマール語より簡単よお」
「そうなの……」
カンナは不安げに黙りこんだ。マレッティに教えてもらおうとも思ったが、何かがひっかかってそれを口に出せない。マレッティとの距離は、離れもしないが絶対に近づきもしない。
「二人とも、隊商の護衛の話は、どうなんだ!?」
答えを出さない二人にアーリーが少し苛ついた調子で迫ったが、
「イヤにきまってんでしょ、そんなもの!!」
マレッティが青い眼をつりあげてつばを飛ばした。その濃厚な長い金髪が、暖炉に当たって橙色に光っている。
「これ以上、面倒事はごめんだわ!」
マレッティは歌鼻っ面を歪め、むっつりとそれ以上は頑として口を開かなくなる。
「カンナはどうだ?」
ここのところ、アーリーはよくカンナにも意見を求めるようになった。ようやくカンナを対等の仲間として観るようになった……とも考えられ、カンナは密かにうれしかったのだが、だからと云って、うまい判断ができるほど経験がないのも事実だった。
「どうせ同じ方向に行くのなら……という気もしますけど、分かりません。それより、アーリーさん、ストゥーリアにはお風呂が無いって……」
「風呂は無くとも工房都市だ。火と湯は、それこそ嫌というほどある……。湯浴み程度ならできる宿を手配するから、しばらくそれで我慢しろ」
「そんなにお湯があるのに、お風呂に入る習慣がないなんて」
「寒いからよお。排水設備も悪いし、すぐぬるくなって湯冷めしちゃうわけ。でも、もっと北の村じゃ、蒸し風呂があるところもあるわよ」
「蒸し風呂ってなんですか?」
「蒸気で暖まるのよ。悪くはないわよ」
「へええ……」
「おまえたち、風呂の話はいいから」
「だから、あたしはイヤだって云ってるでしょ、アーリー!」
マレッティが再び眼をつりあげる。アーリーはカンナを見た。カンナは、二人の合間で伏目がちに声を細めた。
「わたしは……どっちでも……いいです……」
アーリーは軽く嘆息した。確かに、アーリーとて、ゴミみたいな金貨のために責任を負う護衛任務など、乗り気がしない。
「分かった。護衛を請け負い、隊商と共に行くのはやめにしよう。少し遅れて進むか、明日にでも出て先を行くかだな」
「行くなら、早く行ったほうがいいんじゃないのお?」
たしか、旅の当初、マレッティはあまりストゥーリアへ行きたがっていなかった気がしたが、どうしたのだろう、とカンナは不思議に思った。何か吹っ切った感がある。
「そうだな……では、明日、一足先に出発しよう」
そのときであった。
「おそれいります……今のお話、わたくしめも加わらせていただけませんでしょうか」
彼女たちと同じく、数少ない宿の客だ。上等の衣類を身につけた、腰の低い丁寧な物腰の中年男性が、いつのまにか談話室へ現れている。スターラ語だ。まるで気配を感じなかったので、三人がいっせいに身構えたが、宿泊客と分かって、やや警戒を解く。
「何者だ!?」
アーリーもスターラ語で問うた。
「はい、手前はスターラのグラントローメラ商会の番頭をしております、バーケンと申します。商人です。ラーペオの積み荷は、ほぼ全て手前どもの荷なものですから、受け取りの手続きに参りました次第でございます。護衛と荷役で五十人ほどを雇っておりますが、ガリア遣いがうまく集まりませんで……港湾事務所でお聴きしましたところ、お三方はあのサラティスのカルマの方々とか……どうか、隊商に加わっていただきたく、お願い申し上げます」
バーケンはうやうやしく笑顔で、やや肥えた身を屈め、歳の割に見事に剥げた頭を下げた。マレッティがあからさまに迷惑そうに顔をしかめ、アーリーもあまり良い顔ではない。カンナだけが、言葉が分からずぽかんとしている。
バーケンはそんな顔を無視して、話を続けた。
「ここのところ、街道には盗賊団が三つも跋扈しており、中には食い詰めのガリア遣いも。衛兵だけでは、心もとないのでございます。こちらもガリア遣いを手配し、なんとか二人は確保したのですが、不安でなりません。どうか、十倍のお一人八十トリアンを出しますので」
「八十トリア~ン!?」
マレッティがたまりかねたように口をひん曲げて開く。この品のよい、どこから見ても裕福な身なりでいかにも有能、誠実そうな商人を、完全に信用していない。いや、嫌悪すら感じている顔つきだ。
「あんた、あたしたちだけ十倍で、その他の二人には普通に払うってえの!? それはちょっと無いんじゃない!?
「と、申しますと?」
「おんなじ仕事で、どういう理由であたしたちだけ十倍なわけえ? その二人が知ったら、逃げちゃうんじゃない? やる気無くして」
「それは、お三方の名ですよ。名……名が、物を云う世界ですから」