序 殺意
序
湿度の高い濃厚な静寂で、いつもそこは満たされている。
暗く狭く冷たい、工房都市の地下へ無数に存在する爬虫類の巣穴めいた建物と建物の狭間の、寝床とも呼べない枯れた植物と得体の知れない織物の切れ端をごちゃまぜにした、当人のみがベッドと認識する物体の中、その者は冷や汗をかいて跳ね起きた。常に漆黒でおおわれたこの空間にあって、入口として使っている穴というか隙間をふさぐ襤褸切れの合間から滲み出る光の断片だけで、この者の赤く発光する眼は充分に状況を視認することができる。
「ギロアが……死んだ……」
女の声だったが、逞しく中音域に低かった。どこの都市国家の言葉でもない、不思議な発音の、言語とも呼べぬ呼気と歯と青い舌と薄い唇の発する摩擦音と破裂音は、確かにそういう意味を有していた。
女は頭を抱え、短く切りまとめた髪をかきむしりながら、どうやってこの経験のない感情を表現し、制御してよいかわからず、筋肉質だがなまめかしい肢体を湿った石床に投げ出してのたうった。およそ人間とは思えない唸り声が朗々と地下空間に響き渡り、同じようにこの人工の穴倉を住処とする小動物や人間のなれの果てを怯えさせる。やがてその肉体は変貌を遂げ、竜めいた長い蛇の尾が躍動する尻から伸びて怒りに打ち震え、科を作る背中には棘とも背びれともつかない突起が列をなし、額のやや上の前頭部からは大きな角が生えて石を擦った。口には獲物を無慈悲に切り裂き、噛み砕く牙が覗き、竜を思わせる発光器が肩や角、眼、腿から脛をオレンジの警戒色に明滅させる。
「ギロアが……死んだ……殺された……!!」
それは直観とも姉妹のつながりともいえる、実に感応的な感覚であった。燃え立つ怒りと逆巻く悲しみと煮えたぎる敵愾心、憎しみ、果ては狂おしいまでの劣情と底知れない思慕すら入り混じった抑制できない感情が、女を苛み苦しめる。
「ギロア……ギロア……アアアアアア、ア、ア、アーッ……!!」
発光器の色がオレンジから攻撃色の深紅に染まり、その者は鋭く太い竜の爪を壁に打ち立て、しっとりとした古代コンクリートへひたすら怨嗟の螺旋を刻みつけた。
復讐が、はじまる。