第3章 5-5 痕跡
「そうは云うけど、水が無いとだめなんだよ。内陸じゃ、きみの云う通り、洗面器くらいにしかならないのさ」
「云ってなさいって!!」
マレッティ、いつまでもこうしていられない。勝負に出る。町の者に勘づかれても仕方ない。どうせもう、何日か後にはこの諸島とはおさらばだ。太陽めいてまばゆく輝き、さらに明滅! リネットがたまらず大きな水盤を抱え眼を押さえるのを確認すると、低い位置から大型の光輪を飛ばした。そして自身も足の下に光輪を出して僅かに浮き上がると、スケートみたいにしてゴツゴツとした岩場を滑り抜けた。水流が連続してマレッティを襲うが、ある水流は切断され、ある水流はリネットの意識が追いつかずタイミングをはずして岩を咬んだ。
マレッティは続けざまに光輪を出してリネットめがけ飛ばす。水流がリネットを囲み、護った。その合間を縫ってマレッティ、直接攻撃だ。細身剣にリングが回り、リネットの間合いに入った。物も云わずに、ドリルめいた剣を水流の隙間より突きつける。
が、マレッティがやおら逆さまに宙へ浮かび上がった。
水流のひとつがマレッティの足を掴み、持ち上げたのだ。
その水流を切断しようとしたが、そのままそそり立つ崖となっている岩へ叩きつけられる。マレッティは光輪を大量に出して重ね合わせ、シロンの攻撃を防いだような光の壁を岩と自分のあいだに作った。光輪が砕け、また岩を削り、クッションとなってマレッティを護る。しかし衝撃が全身を襲いマレッティは息が止まった。苦しげに見ると、真下にリネットが水盤を持ったままマレッティをその光る青い眼で鋭く見つめているのが分かった。
マレッティ、直上よりリネットめがけ、光輪をどっさりと落とす。リネットは水の流れを傘のように拡げ、それを遮った。水流が動き、マレッティは今度は鋭く尖った岩場へ叩きつけられた。
マレッティのリングが、かろうじて寸前にその水流を切断できたので、マレッティは宙で放り投げだされ、暗い海に落ちた。
「ウワァッ!!」
リネットの悲鳴。いま、マレッティは自らを捕えていた“水流の中に”リングをひとつ、忍ばせておいた。それが根元まで水の中を走って、低い位置から水流を飛び出てリネットを襲った。傘として水流を頭上に集めていたリネットはそれを避けることも防ぐこともできず、左の二の腕を斜めにばっさりと切り裂かれ、血を振りまいてよろめいた。ガリアの水盤を落とし、水が溢れ出た。
海中を夜光虫めいて不気味に光が近寄る。さらにマレッティの光輪が海中を走る。リネットが水流を操って再び自らの周囲へ防御として張りめぐらせたが、その直前に光輪が三つ、順に海中から跳ねるように出現してリネットを切り裂いた。リネットは悲鳴も無く、ふらふらと岩場の反対側に落ちた。
マレッティは必死に犬掻きのような、めちゃくちゃな泳ぎで波打ち際までたどりつくと、水を吐いてなんとか上陸した。
「……し、し、死に物狂いにやったら、泳げるようになるものね……」
荒い息でマレッティは立ち上がり、砂浜を水流の無くなった岩場へ向かった。リネットもおらず、リネットのガリアも無い。海は、普通に暗い波を岩場へ延々と打ちつけている。ガリアの明かりをかざすと、岩の上には、大量の血痕があった。リネットの血液か。
(や……やった!?)
マレッティは周囲を探し、また岩場から海中を覗いてみたが、人の死体も何も無い。どこかへ泳いで行ってしまったか。
「くっ……」
死体を確かめずにここを去るわけにはゆかない。マレッティはかなりしつこくリネットを探していたが、晩秋の深夜の風に寒さが厳しく浸透して、びしょ濡れの身体が激しく震えてきたのであきらめてその場を去った。血の量から推察して深手を追わせたのは確かなので、しばらくは動けないだろう。
館へ戻り、風呂に入らなければ。
寒風の中を半刻も歩いて公民館まで戻ったが、マレッティは低体温で凍死するかと思った。かろうじてたどりつき、そのまま風呂へ服ごと入って体温を回復し、なんとか死なずにすんだ。翌日はねむりこけ、夕方近くに起き出すと公民館に世話をしにきてくれていた町のものに頼んで白身魚の揚げ物とスープ、雑穀粥の食事を作ってもらった。それとなく尋ねたが、リネットのことは何も分からなかった。
二日後。
リーディアリードより、まずラクトゥス経由ウガマール行きの貨客船オリトラー号が来た。岸壁は荷役で賑わった。カンナはそれを珍しい光景として見物していた。樽や木箱に納められた注文の物資が次々に運び込まれる。乗客はほとんどおらず、ほぼ全てが交易品だった。桟橋から、渡し板を使って蟻のように人々が荷物を船へ積み込んだ。
カンナは、ふとその匂いに気がついた。
荷物を運ぶ人々にまぎれ、香ばしい、すぐにそれとわかる匂いが漂ってきた。
葉巻の匂いだった。
カンナはあわてて周囲を確認し、匂いの元を探した。バルビィが、どこかにいるはずなのだ。
しかし、バルビィの姿はどこにもなく、やがて潮風にまぎれ、葉巻の匂いも無くなってしまった。バルビィはきっと、ラクトゥスからサラティス……もしくはウガマールへ行くのだろう。カンナは翌日の朝早く出発したオリトラー号を、水平線の奥へ消えるまで、港に立って見送った。