第3章 5-4 水竜
マレッティ、驚きもせず、ゆっくりと振り返った。岸壁に、リネットが立っている。
「もう、分かってるんでしょう?」
マレッティが殺気に満ちた笑みを浮かべた。
「アーリーの指図……ではなさそうだね。彼女なら、自分で来るだろうし」
「ま、誰の仕業でもいいじゃなあい。どっちにしろ、あんたは生きていることが望まれていないんだから」
「ガラネルでも無いだろうから……デリナか、ホルポスか。確かに、誰でもいいよ。ボクなんかをそれほど必要として、また、恐れているのが不思議なくらいさ」
「ダールの考えることは、人には分からないわあ。あんただって、しょせんはダールなんでしょお? 何を考えているか分からないし……」
「それにしても、どうしてデリナかホルポスの手下が、アーリーといっしょにいるんだい? アーリーは……知らないんだろ?」
「なんだっていいって、云ってるでしょお……」
マレッティが鈍く光る細身剣を出した。明度を押さえてある。闇に浮かぶ、薄い光輪。しかし、威力は変わらないのである。彼女のガリアは、暗殺にも使える。
と、リネットが音もなく走り出して逃げた。マレッティは光輪を飛ばしたが、はずした。足が速い。舌を打って追いかける。
リネットは港の端から道沿いに進むと海岸に下りて、暗い海が光る岩場に逃げ込んだ。どういうつもりか。マレッティが慎重に後を追う。
マレッティは、リネットが云っていた、そんなすごいガリアは遣えないという言葉を信じていなかった。罠かもしれない。慎重に慎重を期して、リネットを探す。町から陰になったのを幸いに、光輪を三つ四つ飛ばしつけて空中に浮かせ、照明とした。眩しさに顔へ手をかざすリネットが、岩場に立っていた。波が足元を濡らしている。
「……どういうつもり? 自らこんな逃げ場の無い場所に……おかしいわね。一気に行かせてもらうわあ……なによそれ」
マレッティがリネットの胸元に注目する。何か持っている。ガリアか。
それは、青緑の青銅色に光って見える、器だった。盆というか、平鉢というか。簡素な波の模様が掘られており、耳のような唐草の把手がついている。
「その洗面器が、あんたのガリア!?」
リネットは微笑むだけで、答えない。
マレッティは思わず安堵し、鼻を鳴らした。
「洗面器で、あたしとやろうっての? なめられたものねえ」
「ルル・ク・キールン・リネッタラ・バセッタラの名において……青皇竜……そのちからを示しておくれ……」
「なにぶつくさ云ってんのよお!!」
光輪が幾重にも出現し、マレッティの剣の振りに合わせて飛び散った。弧を描いて、天地左右よりリネットを襲う。さらに、先だってのサラティス攻防戦で仲間のフレイラを襲った、剣先から線のごとく細くした光線を出し、袈裟切りにリネットへ斬りつけた。
その全てが、反射して砕けちった。
「えっ……」
リネットの周囲に、一瞬にして水流が生まれている。その流れが、光輪や光線をも砕いてしまったのだ。
海の水か。いや、ちがう。海水ごときで、自分の光が遮られるわけは無い。あれは、ガリアの水だ。では、どこから水が出ているのか。答えはひとつだった。リネットのもつ平鉢から、大量の水が溢れ出ている。
「これがボクのガリア……青波紋唐草取手付青銅様水盤さ。大したことはできないけど……自分の身くらいは護れるよ」
溢れ出るリネットの水は岩場からこぼれ落ちて海水とまじり、岩場の周囲のすべての水をその結界として操り始めた。ざわざわ、ざぶざぶ、ジャバジャバ、ぞろぞろぞろ……あらゆる水の音が周囲に重なって響きわたる。やはり、罠だった。リネットはあえてここを選んだのだ。マレッティの光に、リネットの髪と眼がライトブルーに映りだす。
マレッティは奥歯をかんだ。もう、後には引けない。やってしまうしかない。
そのマレッティめがけ、周囲の海水が水流となって幾筋も立ち上がり、まさに竜めいてその口を開け、襲いかかった。
マレッティは防御で自身へ数本の大きな光輪をまとわせ、さらに輪を発して迫る水流を輪切りにした。しかし、水は切られても切られても次々に立ちのぼってくる。埒が明かず、マレッティ、遮二無二水を操るリネットめがけて細かい輪を連ねて飛ばす。鎖分銅のようにしなって飛んだその連なる小さな光輪は、気づいたリネットが水流の網を壁として防ぐも、それを巧みにすり抜けてリネットを襲った。
鎖を構成する輪の一つ一つが鋭く回転するスライサーである。リネットはぎりぎり避けたが、耳のひとつも飛ばしたように見えた。が、そのリネットが水の塊となってバッシャリと崩れた。
分身だ。
ざわざわざわ……周囲の波がさらに高くなり、水流が次々に立ち上がる。いま水の崩れたところより半歩、横にたったリネットが水盤を持ったまま、静かに微笑んだ。
「……ちょっと、なにがサラティスじゃセチュがせいぜいよ……冗談じゃないわ……」
マレッティ、さすがに籠の鳥では分が悪い。