第3章 4-1 復活
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アーリーが坂を上ってくる。
カンナは座り込んだまま、呆然とトケトケを見つめている。
「カンナ」
近づいたアーリーが声をかけたが、カンナはピクリともしなかった。黒鉄色の髪だけが、風にばらばらとなびく。
「カンナ……」
アーリーは身を屈め、カンナの肩へ手をやった。それでも、カンナは動かない。
「カンナ!」
強めにその肩を叩いてはじめて、カンナは飛び上がって驚き、振り返った。隈が深く彩り、翡翠色の眼が精気を失って、唇もひび割れ、ひどい顔をしている。
「アーリー……さん……?」
「カンナ……」
アーリーはカンナを立たせた。そして、自分は立ち膝のまま、カンナの顔を見上げた。まるで子供を観る親のようだった。そのまま、何も云わず強く抱きしめた。冷たい。カンナの身体は冷えきっていた。そのまま強く、背中をさすってやる。
アーリーの熱い体温と竜と人の混じった匂いに、カンナ、ようやく息と意識を吹き返した。
とたん、涙があふれる。
「う……うう……」
その嗚咽も耐えられなくなり、カンナは号泣した。アーリーの腕の中で、とにかく、泣きじゃくった。何に対して哀しいのか。トケトケの死なのか。いや……ちがう。カンナは初めて、自分が竜側はおろか、ウガマールの派閥の中からも命を狙われていることを知った。なぜ。どうして。どうしてそんな目にあうのか。分からなかった。ただ、自分は竜を倒せば良いと教育されてきた。そのための力だと。ガリアだと。ウガマールと、世界のためだと。それが、間違っていたというのだろうか。クーレ神官長は、いったい何者なのだろうか。自分の存在意義と価値は、どうなっているのだろうか。
いや、そんな難しいことではない。
信じていたものから裏切られた辛さ。それだけだった。ウガマールから、殺し屋が来るなどと……。
ひとしきり泣くじゃくり、涙も枯れるまで、アーリーはカンナをしっかりと抱きしめていた。
そして、立ち上がり、無言のまま、カンナを連れて町へ戻った。
木のメガネケースへ入れてある、やわらかい竜の鞣革から作られた専用布巾でメガネをぬぐい、カンナは改めて倒れている特大の大海坊主竜を間近で見つめた。息をしていないように見えるから、死んでいると思ったが、分からない。大量の海鳥が止まって、岩石のごとき鱗の破片をついばんでいる。
町には誰もいない。まさか、全滅したのだろうか。
「ちょっとお! だれか生きてるう!? だれもいないのお!?」
マレッティの声がした。瓦礫だらけの海をディンギーがつっきって、竜が足を乗せたことで一部が崩れた船揚げ場の無事な部分へ係留し、マレッティがちょうど岸壁をよじ登って上陸したところだった。
「マレッティ!!」
カンナが手を振る。一面、建物が無くなっているので、マレッティはすぐにカンナとアーリーを発見し、駆けよった。
「無事い? 二人とも! ちょっとこれ、倒したのお? ……どうやって!?」
マレッティは、横たわる巨大な岩盤めいた特大大海坊主竜を改めて、まじまじと見つめた。
「マレッティ、傷は大丈夫か?」
アーリーが気づく。マレッティは腹から胸にかけ、白布を包帯代わりに巻き付けていた。血がにじんでいる。
「ああ、これえ? ちょっとやられたのよ……バグルスに。ちゃんとやっつけたわよお! そこそこ手こずったけど」
「あの二人はどうした?」
「死んだわよ。バグルスにやられて。ガリアの効果や、ガリアそのものを弱める、特殊な力を使ったのよ。あんなバグルスもいるんだわあ。これから気をつけないと。みかけも、だいぶん人間に近かったし……倒すだけで手一杯で、護るまで手が回らなかったのよお」
「そうか」
アーリーは、意にも介さなかった。
「そっちこそ、弓をつかう子はどうしたのお?」
カンナが硬直する。
「死んだ。戦いに巻き込まれてな」
「そうなんだあ」
マレッティも、心配すらしない。
カンナは改めて、カルマの恐ろしい秘密の一端を知った気がした。格下のバスクやガリア遣いの死など、彼女たちにとっては竜の死以下の出来事なのだ。何も興味が無いのだ。
「それはそう……ちょっと、動いてるわよ、こいつ!」
マレッティが二人を下がらせる。アーリーとカンナ、振り返ってさすがに身構えた。丘に寄り掛かるように横たわっていた大海坊主竜が、ぐらぐらとその身体を起こしはじめた。