第3章 2-1 ミイラ
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風に乗って低い位置を進む大烏竜を背後より追うマレッティの船はしかし、つかず離れず絶妙の距離を保った。半刻も進まないうちに大烏竜は次第に高度を下げ、やがて旋回をはじめたので、マレッティはあわてて岩影に船を隠させた。岸へ近づき、浮環をとって投げ捨てると素早く岩場に渡って小島の崖に身を寄せ、上空を確認する。ギロアはマレッティ達にまったく気づかずに、執拗に何かを探していた。そして、それを発見したのであろう、とある、けっこう大きめの島へまっすぐ下りた。翼をはためかせ、角度を変えて揚力を少しずつ落として、木々の合間に竜は上手に着陸した。ギロアはすかさず竜を下りて、藪をかきわけて崖を下り、海辺へ回ると膝までつかって波間を渡り、洞窟らしき穴に入って行った。
「あれだわあ……ちょっと、あの島へ行ってちょうだい」
船まで戻ってマレッティ、急いで漁師へ指示を出す。
「えっ、どの島?」
「あれよ、あの大きいやつよ。木が生えてるやつ……」
「ちょっと……見たことも無い竜がいやすぜ」
「あんなカラス、こいつらでも倒せるわよお! いいから行きなさい! 行け!!」
マレッティの目つきが変わる。漁師はおののいて、岸へ乗り上げていた船を押し出し、みなで一気に乗り移るとうまく帆を動かし、風を掴んでするりと島へ近づく。大烏竜がそれへ気づいて、小山のようになっている崖から大きな漆黒の翼をひろげ威嚇する。漁師はなにやら喚いたが、マレッティは余裕だった。船がかまわず接近してくるので、大烏竜は鳴き叫び、ついに崖を蹴って空へ舞った。そして風をつかんで海面すれすれを飛び、一直線に船を襲う。
「き、き、きましたぜ!」
「マ、マレッティ、あたしが!」
ニエッタが船から下りようとする。彼女のガリア「竜水銛」は水の上を渡ることができる。しかしマレッティ、それより早く右手に光り輝く細身剣を出した。ガリア「円舞光輪剣」だ。そのまま剣ごと杖めいて右手を大きく振ると、大きな光輪が二つ、眼にもとまらず飛んで行く。とたん、翼長八十キュルト(約八メートル)はあろう巨大な空の主戦竜は縦に三枚に下ろされ、血をふりまいて海没した。
「……すげえ……」
ニエッタ、パジャーラが唖然とし、海面でまだもがく竜を、船が追い越した瞬間に振り返った。マレッティは声も無い。あんなもの、カルマにとっては竜の内にも入らぬ。本当にカラスていどにしか思っていなかった。
やがて島へ近づいて速度を落とし、ゆっくりと洞穴の近くの岸に船を寄せた。さすがの腕前だ。マレッティは濡れるのもかまわずに船から降りると、ニエッタとパジャーラを引き連れてバシャバシャと海岸沿いを渡って、洞穴へ近づく。
「あんたはそこで待ってて!」
漁師へ命じ、マレッティは勢いよく洞穴へとびこんだ。しかし、入った瞬間から、猫みたいに慎重になって、右手のガリアの光も目立たせず足元を照らす程度にし、本当に静かに進む。パジャーラの緊張したハアハアという息の音がむしろうるさい。
「息を殺しなさいよ! あいてはおそらくバグルスよ! 死んでも知らないからね!」
マレッティが鋭くささやく。
「バグルス退治なんて、自分らには無理だよ!」
「だまれ! ここまで来て寝言云うな!」
ムチャクチャだ、と、ニエッタは泣きそうになる。パジャーラは既に涙目だった。
風が冷たい。風穴だ。どこかに地上とつながっている空気穴がある。天井から滴の落ちる音がやけに響く。コウモリが飛ぶ。見たことも無いほど気持ち悪い虫がウヨウヨと蠢いていた。
「竜の方がまだましだ……」
ニエッタは、ガリアを出すのも忘れていた。
と、角を曲がったところで、何やらうめくような音がし、緊張の度合いが瞬時に高まった。マレッティが二人を下がらせる。見ると、真っ暗闇の洞穴の中で、そこだけやけに明るかった。マレッティは目を見張った。洞穴の天井は高く、地上につながっているため光が届いている。なにより、洞穴の内部全体が真っ白で巨大な結晶におおわれて、日光を反射して輝いていた。
(水晶? ……いや、なんだろう……氷でも無いし……)
いや、成分としては水晶であっていた。それは、一面が巨大に成長した石英の塊におおわれた特異な空間だった。
(なんでもいいわあ……鏡みたい)
マレッティ、ニヤリと、頬をゆがめる。
大柄な女とおぼしき者が、その結晶の壁の前で呆然と立っている。角があり、長い尾がのたうっていた。バグルスだ。マレッティは慎重に近づいた。見て、心の中で声を上げる。バグルスが視線を落としている先には、鏡のような結晶の壁にもたれかかって、地味なコンガルの衣服を来た老婆が座っていたが、既に死んでいる。なんと乾燥しきって、まっ茶色にミイラ化していた。よほど前に死んでいたのだろう。
(だれ……まさか……あれが……!?)
ギロアのうめき声が聴こえた。
そのギロア、怒りと困惑に乱れた真紅の竜の眼で、マレッティを振り返る。どうしてとマレッティは思ったが、すぐにわかった。ミイラの座っている結晶の壁に、マレッティの姿が鏡めいて写ったのだ。
ギロアは驚愕と疑問の入り交じった様子で、マレッティをにらみつけた。マレッティが笑みを浮かべながら前に出る。
「あたしはサラティスのカルマ、マレッティよお。バグルス退治の専門家さんなんだからあ。あんたなんか、いっぱつでやっつけちゃうわよお」
「……!?」
ギロアが真紅の眼をむいて、どういう状況なのか考える。サラティスのカルマ? どうしてここが分かったのか? シロンの報告では波に飲まれて死んだはずのカルマが、どうして生きているのか? それに、後ろにいるのはシロンが金で雇ったという、バーレスのガリア遣いなのではないか?
毒針のついた尾を振り上げ、大きな鍵爪の両手を下段に広げるようにして構えたギロア、油断なくその長い脚を進め、上目に牙を剥いて額と側頭部の角を向け、マレッティへ迫った。
「恐い顔したってだめよお。まったく怖くないから」