第3章 序~アーリーとマレッティ
第三章
カウベニー群島にて、気絶したカンナがシロン達に連れ去れた後である。
入り江の沖から特大の海坊主竜が去ってしまうと、水が急激に引いて入り江内の水位は元へ戻った。岩や流木が荒れ狂い、海底の土砂が引っ掻き回されて、美しかった入り江は惨憺たる状態になっていた。
マレッティを抱えたまま、岩にしがみついていたアーリーはその奔流に耐え切った。あのサラティス攻防戦に比べれば、どうということもない。ただ、砂まみれの身体が氷のように冷えていた。赤竜の血を引くアーリー、水の攻撃はきつい。
「む……」
ガリアの力により、全身へ火をつける。燃え上がった肉体が、北の斜陽を受けて輝いた。体温を回復しつつ、アーリーは岩肌を上りきった。四人は既にいない。カンナもいなかった。連れ去られたのだろうか。一本道の遠くを、三人が歩いていた。ニエッタ達だった。アーリーはマレッティを確かめた。息をしていないが、死んでもいないようだ。仮死状態で、マレッティも耐えたのだった。
「フン!」
地面へ座らせ、背中へ当身と火の気を叩き込むと、
「……げえへぇッ!! ゲホオッ、グボッ、ゲホッ……!」
水を吐き、マレッティは息を吹き返した。
しかし意識は戻らない。
マレッティを抱え、アーリーもゆっくりと道を戻る。
翌日にはバーレスへ帰る予定だったが、宿で休み、朝になって港へ行くとリネットが船ごといなくなっていたのでニエッタは驚いた。
「どこにいっちまったんだ?」
手分けして聞き込みをし、夜にカニを捕っていたという若い漁師を見つけた。
「そういや、九つ前ころ何人か人を乗せて、慌しく出て行った船があったな。暗いのに手馴れた感じで、たいした腕だった」
と、云うではないか。
ニエッタは顔をゆがめた。シロンたちだろう。
「船を奪われたか」
振り返ってニエッタ、腰を抜かして驚いた。
「アッ、アーリー!! 生きて……!!」
「お前こそ、よくぞ無事だった」
マレッティを抱えたまま右手を出し、アーリーがニエッタを立たせる。
(そ、そうか……アーリーには、まだ……)
バレてはいない。ニエッタは息が止まりそうだ。
「なんとかバーレスへ帰りたい。休養して、カンナを助けなくては」
「えっ? あいつ、生きてるのかい?」
「恐らくな……」
アーリーと再会したパジャーラも、ガタガタと震えだした。汗がすさまじい。
トケトケだけが、そ知らぬ顔だった。
新しい船を雇い、五人はとにかくも、バーレスへ戻った。
「じ、じゃ……あたしたちは、本当にこれで……」
夕刻、無事にバーレスへ到着し、ニエッタとパジャーラはそそくさと消えた。トケトケが、アーリーの顔を凝視し、きつい口調でこう断言した。
「あの、カンナって子、あんな人種はウガマールにゃいないわけ。雰囲気も変だし……あれは……きっとバグルスかなんかよ。気をつけたほうがいいと思う」
鼻を鳴らして、行ってしまう。
「……わかっている……」
アーリーが鋭い目つきで、風にたなびくトケトケの黒髪を見つめた。
バーレスにて居酒屋の親父に借りている仮寓へ入り、マレッティは二階の部屋で親父の女房に看病された。翌日の午後、唐突にマレッティが飛び起きて意識を取り戻した。
「ア、ア、アーリーさん!」
女房が、同じく二階に割り当てられた部屋で瞑想していたアーリーを呼んだ。マレッティは自分の境遇を理解するや、見る間に顔が怒りと憎しみと殺意と復讐心で紅潮した。
「……あの凍結売女……!! 次に会ったらズタズタに切り裂いてやるわ!! 脳天から爪先まで膾に切り刻んで、海にぶちまいてカニのエサにしてやる……!!」
昂奮し、いまにも飛び出てゆきそうな勢いだが、まだ足が立たない。おとなしく横になり、女房がこしらえた滋味ある魚肉団子のスープを食べて体力を回復させる冷静さがあるのは流石だった。
「しばらく面倒をかける」
アーリーは、居酒屋の親父へさらにカスタ金貨を二枚払った。
「こんなに……! と、とんでもないことで……」
親父がうやうやしく金貨を押し頂いた。
その、翌日だった。
マレッティが窓の外を眺めながらゆっくりと、かつ悶々として殺気を研ぎ、シロンへの復讐の方法を練っていると、海の向こうより風に乗って何かが飛んできた。さいしょは海鳥かと思ったが、その独特の影にマレッティは息を呑んだ。
(竜だ……でも、なんの竜!?)
見たこともない小型の竜で、丸っこい身体に細くて長い翼を持ち、首と尾が短い。全長は二キュルト(約二十センチ)ほどだが翼長は十キュルト半はあろうか。それが高々と天を舞って、やがてマレッティの視界から消えると一直線に降下して窓の下にへばりついた。驚いてマレッティ、窓を開けると、竜はガサガサとかぎ爪をたてて木板の壁を登り、意外に愛らしい丸い目と顔つきでマレッティの部屋に入ってきた。何事かと思ったが、その首に括りつけてある金属環の通信筒に、小さな黒竜紋が刻まれているのを発見するやマレッティ、奪い取るようにその蓋を開け、中より竜の側の世界で使われている竜皮紙を取り出した。すぐさま、竜は窓より飛び去った。
それは小さなメモで、なんと、デリナからの通信だった。
見慣れぬ文字をマレッティは食い入るように読み込んだ。
そして、膨らませた両手の中にその密書を収め、ガリアの光輪を小さく幾重にも掌内に出して粉微塵に切り刻むと、窓から投げ捨てて風に飛ばした。
そして、黙然と考え込む。
「なるほど、そういうこと……」
マレッティの目つきが変わった。
「アーリーのやつ……なめたまねを」
その殺気の行き先がシロンからアーリーへ変わる。