第2章 5-2 ギロア覚醒
「ギ、ギロア様! ギロア様!?」
瓦礫を押し退け、シロンが起き上がった。広間とは離れた場所にいたため、助かった。マウーラとヴィーグス、さらにはバルビィも軽傷ながら無事だ。
「……私はここよ!」
同じく瓦礫の下から、雨にぬれてギロアが起き上がった。あの衝撃の中、どうやって助かったのか。
「ギロア様、ご無事で!?」
シロンが駆けつけ、跪く。
「カンナを追いなさい!」
「カンナを……!?」
ギロアの表情が変わる。恐るべき形相で眼を吊り上げ、牙を剥いている。シロンですら、雨に打たれたまま唾を飲んだ。
「ウガマールの呪い……奥院宮の洗脳がここまでとは……!! もうだめよ、カンナは殺しなさい!! あんなものは、生かしておいては竜のためにならないわ!! いえ、カンナのためにも……せめて殺してあげなさい!!」
「御意!」
シロンは気を引き締め、立ち上がって踵を返した。マウーラとヴィーグスも続く。バルビィは、愕然と周囲の状況を確かめていた。
(こらすげえ……やおら、おあつらえ向きになってきやがった……?)
「たのしそうね、バルビィ」
バルビィは息を飲んでギロアを見た。ギロアの姿が変貌を始めていた。その両手が鱗に覆われ、巨大にふくらみ、竜の手となりつつある。なにより、額に大きな一本角……いや、側頭部とあわせ、三本の角が生えかけていた。さらに、その破れたスカートの下より、長い尾がぞろりと動いた。
「いえ、いま、お望みどおりカンナをぶっ殺してまいりやすぜ」
不適に笑い、礼をすると、一目散にシロン達の後を追った。
(桑原桑原……化物が正体を表したぜえ! カンナちゃんよ、ドサクサであいつをぶっ殺してくれねえかなあ)
その前に、自分が死なないようにしなくてはならない。
バルヴィの後ろ姿が雨模様の奥に消えると、ギロアは大きく息をついた。そのすぐ後ろで、瓦礫の動く気配と音がした。
「……いやあ、助かったあ~……」
なんと、リネットである。
リネットはこの館の一室に監禁されていたが、カンナの爆発的な轟鳴で扉や石壁が破壊され、脱出できたのだ。そのまま瓦礫をよけながら歩いていると、やわらかいものを踏んで姿勢を崩した。見ると、天井から落ちてきた梁と崩れた壁石の下敷きとなって死んだルネーテの背中を踏んでいた。
「うわっ……ごめん、ふんじゃった……」
リネットはそう云うと、何事もなくまた歩きだした。
「よく無事だったわね」
雨で気づかなかった。見ると、すっかり姿を変えたギロアが生々しく赤く光る眼でリネットをにらみつけている。リネットは固まった。ギロアが瓦礫を踏みしめ、ゆっくりとリネットへ歩み寄る。
「あなたも、ただの人間じゃないということ……?」
「な、なにを云っているのか分からないなあ」
「この姿を見ても何も思わないとは……?」
ギロアが近づく。その十倍にもなった竜の両手を、下段に構える。長い尾がのたうつ。リネットは後退った。
「バ、バグルスくらい知ってるさ。サラティスにも行ったことがあるからね……」
「そうよ。わたしは、ガラネル様も究極の一体と認めた、完成度92のバグルスよ」
すかさずとびかかり、両手でリネットを腕ごととらえた。リネットがすくみあがる。
「た、食べないでえ!」
ギロアの裂けた口から竜の牙がのぞく。リネットの頭蓋骨をクッキーみたいに砕くことができるほどの大きさだ。
ギロアは、リネットの首筋を太い竜の舌でべろりと舐めた。リネットがなんともいえない悲鳴を上げた。
「……あなた……かすかに竜の匂いと味がする……どういうこと……?」
「し、知らないよお……」
「やっぱりバセッタの居場所を正確に知っているのね。定期的に会っているのでしょう?」
ギロアの尾が高く鎌首をもたげた。その尾の先に、太い針が出る。毒液とおぼしき青い液体が、雨に混じってどろりと滴った。
「もう時間がないわ。恨むのなら、カンナを恨みなさい」
ギロアは、催眠術か何かを使っているようにみせかけて、この凶悪的な神経毒で島の人々を少しずつ操っていた! まともに使うと死んでしまうため、かなり少量にして。それは、微かな爪先で傷つけて使用した、縫い針の先ほどの量だった。人によって耐性があり、効き目が異なるのはそのためだ。
「さあ、バセッタの居場所を吐きなさい!!」
尾がしなり、延髄へその針が突き刺さった。リネットは眼をむいて激痛に耐え、やがて白目のまま泡を吹いた。
「……やだ、強すぎたかしら……」
だが、ガクガクと震えながら、やがてリネットが口をパクパクし始めた。
ギロアの顔が明るくなった。
「さあ、青竜のダール、深き先導、バセッタの居場所はどこ……!?」
リネットが小さな声で何かをつぶやく。ギロアが耳をあて、それを聞き取った。そしてにんまりと顔をゆがめると、リネットを放り投げた。
そのまま、竜の遠吠えで、何かを呼ぶ。すぐに、島のいずこかに潜んでいたであろう一頭の大烏竜が飛んできた。大きな漆黒の翼を潮風にのせて館跡の上空を旋回し、雨と稲妻と乱気流をものともせず館よりやや離れた場所に着地した。ギロアがその背中へとび乗ると、大きくて太い翼手と脚で強力に地面を蹴り、飛び上がった。羽ばたいて風をつかみ、一気に高度を上げる。見下ろすと、カンナの稲妻が光り輝いている。シロン達と戦っているのだろう。
(……念の為、あいつも呼んでおく必要がありそうね……)
ギロアは再び上空で遠吠えを繰り返した。