第2章 5-1 カンナ発動
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ギロアの館を二日ぶりに訪れたカンナは、なにか初めて来るような印象を抱いた。こんなに大きかったか。秋空が薄曇りに低く灰色がたちこめ、ついに雨がぽつぽつと落ちてきた。秋雨だ。
「ここはよ、むかし、島の領主だった貴族の城だったというぜ。その後、いったんパーキャスが連合王国に領されてから、逆らった当時のコンガル領主は廃されて、改装されて新しい領主の別荘になったんだと。それから連合王国も滅んで、成り金漁師が丘の上の御殿として入れ代わりで所有してたり、また無主の館になってたりしていたのを、ギロアのやろうが買ったそうだ」
「よく知ってますね」
「町の連中に何度も聴いたからな」
橋の渡された空堀りを渡り、門を抜け、正面の大きな扉から入ると、見覚えのある広間があった。卓が用意され、既にギロアが正面に座っていた。シロンたちは、いない。
「いらっしゃい、カンナ。あら、髪を編んで、雰囲気変えた? いいわね、にあってるじゃない」
ギロアの声は、どこまでも明るい。そしてよく通り、張りと抑揚があってまるで舞台の役者のようだ。その大きくて丸い眼が、相変わらず人を射抜く。誰よりも大きな胸元が、コンガルの民族衣装からはみ出んばかりにどっちりとつまっていた。
「さ、すわってちょうだい。どう? 町は。みんな、生き生きとしてたでしょう?」
気づくとバルビィはいない。どこかちがう部屋でシロンたちと食事をするのだろうか。
席に着くと、ルネーテが給仕として料理を運んできた。といっても、大層なものではない。居酒屋カルビアーノで食べたような、魚介スープ(鍋物)や、揚げ物、焼き物の伝統的な島の食事だ。ただ、材料の魚介が、庶民が食べるようなものではない、というところで高級感があった。見たことも無いほど大きなロブスター蝦に、魚は貴重なハタやヒラメ、カサゴの類。溶き卵まで入っている。貝類も異様に大きい。何年ものだろう。生牡蠣は特に新鮮なもので、パンは豆もハーブも入って無い、全て小麦で作られた懐かしいサラティスのパンだった。さらに、鶏肉の串焼きがある。島では貴重な鶏をわざわざつぶしたのだ。酒は地エールではなく、ウガマールのワインだった。
「あなたにとっては懐かしい味かしら? ここじゃ、みんな貴重なものよ」
「あ、でも、わたし、お酒は」
「ルネーテ、水で薄めてちょうだい」
てきぱきとルネーテが立ちはたらく。
「蜂蜜酒もあるわよ。さ、遠慮しないで食べて」
確かに、遠慮していてもしょうがなく、カンナは云われるがままに料理へ手を着けた。
うまかった。同じような料理なのに、やはり高い食材は単純にうまい。
ギロアはこの体格なのに小食で、たわいもない話をしながら、満足そうに大食のカンナをみつめていた。
異変は、突如として訪れた。
雨が強くなった。窓の外が夜のように暗くなり、ルネーテが燭台を用意して、蝋燭へ火を点けた。広間に、幻想的な雨音と蝋燭の灯が浮かび上がる。
「で、どう? カンナ。竜と暮らしているこの島の人達を見て、どう思った?」
「どう……って……そうですね。新しい、わたしの知らない生き方をしていました」
「竜は、無理に退治しなくても良いと思わなかった?」
「ええ、そういうふうにして……生きていく人もいるんだろうな、って」
「そう感じてくれてうれしいわ。見込み通りね、カンナ」
カンナは、うまく話しているつもりだった。バルビィの云う通り、アーリーの生死が分からない以上、どっちにしろここはギロアの仲間になるふりをして、しのがなくてはならないだろう。すました顔をしているが、内心は緊張で倒れそうなほどだ。
あまりに鼓動が高まったためか、急にめまいと頭痛がしてきた。
「カンナ、その恐るべき力……竜を倒すためじゃなく、竜のために使ってみない? ガラネル様のため……私たちの仲間になって……ちょっと、どうしたの!?」
ギロアが立ち上がる。
カンナの眼が不気味に光っていた。まるで竜の発光器だ。その深く濃い翠の眼が、内側から電光に照らされているように、蛍光の緑に明滅している。
「カンナ!?」
カンナは明滅する眼で眼鏡越しに虚空をみつめ、何かを延々とつぶやいていた。
「竜は……殺す……竜は……殺す……竜は……殺す……」
「カン……!!」
ギロアが本能で恐怖を感じ、シロンたちを呼ぼうとした瞬間、カンナが立ちあがって、想像もつかないような狂気めいた金切り声をあげた。
「竜はああ皆殺しだああああああ!! アーッ!! アアーッ!! アーーーッ!! 竜に味方するやつらも、全員殺してやるううーーううーうああッ、アッ、あああああーッ!!」
バ、バ、ババ、バッ! カンナより電光がほとばしる。ガガガガガ、ゴルァガラガラアア!! 強烈な振動がして空気が打ち震え、室内で雷鳴が轟いた。いっせいに窓が割れた。
「ルネーテ、逃げ……」
ギロアが驚愕して硬直しているルネーテへ振り返ったとき、『カンナが爆発』した。
轟音と地鳴りが町にまで轟く。館は連打めいて襲う衝撃波で内部から屋根も壁も崩れ落ち、くわえて稲妻と球電が炸裂し、爆発して木っ端微塵となった。さらに、カンナの雄叫びにあわせ、豪雨の中、落雷が激しく降り注いだ。季節はずれの大雷にコンガルの人々は驚いて、固く雨戸を締めた。カンナは、雨中に帯電し、獲物を求めて無意識に町へ向けて歩き始めた。そのカンナめがけて一条の稲妻が落ち、周囲を雷鳴と衝撃波が圧倒する。が、カンナはその落雷すら自らにプラズマの衣としてまとい、竜と竜の眷属を滅ぼさんと町へ向かう。