第2章 4-2 呪い
帰って、ぼんやりと、ランタンの灯の下、バグルスといっしょに暮らしている自分を想像した。いや、いままで会って倒した竜が野外でのんびりと暮らしており、その中で普通に生活している自分を想像した。デリナが、館で本を読んだり編み物をしたりしている姿までが浮かぶ。あのデリナですら、本来は心穏やかに暮らしているのだろう。
「う、う……」
唐突に、凄まじい頭痛がした。
「な、なに!? ……いたた……」
カンナはたまらず、メガネをはずしてベッドへもぐりこんだ。
「痛い痛い痛い……」
カンナは毛布を頭からかぶって唸り、頭痛に耐えていたが、やがてブツブツと何かをつぶやきだした。血液の底からガリアの電流が沸き起こり、ジ、ジジ、と音を発して、その深い濃い翠の眼が暗闇に光っていた。雷鳴が遠くで聴こえるような、低いゴゴゴゴ……とした連続音が部屋に鳴った。
「……殺す……竜は殺す……竜は……コロス……竜……ハ……ミナ……ゴロシ……スル……竜ハ……コロサナクテハ……ナラナ……イ……竜ノミカタ……ヲ……スル……モノハ……スベテ……コロス…………」
翌朝、葉巻をくわえたバルビィが家を訪れた。カンナが目の下に隈を作り、一睡もしていないような様子で現れたので、バルビィは驚いた。
「おい、どうしたい、カンナちゃんよ。腹でも壊したのか?」
「いや……よくわかんないけど……」
髪もボサボサだった。
「ギロアのやろうに呼ばれてる。ここ二日、おれらがどこでなにしてたか教えてやるぜ。そして、作戦を練ろうや。体調が悪いのなら、そのむねを伝えるが」
「いや、大丈夫です」
「風邪気味なのか? 風呂はいって、あったまってさっぱりしようや。おれも、耐えられねえよ、こんな仕事はよ。もう我慢の限界だ」
よく見るとバルビィも潮にまみれ、疲れた表情だ。
「なにがあったんですか?」
「あとで話してやるよ」
二人は道具を持ち、朝風呂のため例の海岸沿いの温泉へ向かった。今日は天気があまり良くない。空気が冷えている。吹きつける潮風も強く、白波の音も大きい。海岸ぞいの道では、砕けた波が雨のように横から降りかかってくる。
四半刻(約三十分)も歩いて共同浴場へ着くと、ちょうど漁師と入れ代わりだった。漁を終えて風呂に入った三人の漁師がバルビィへ挨拶して、町へ戻って行く。
二人は服を脱ぎ、身体と髪を洗い歯も磨くと、島の温泉を独占した。
「いやあ、朝風呂ってのは、どうしてこう染み入り方がちがうんだろうな。なあ、カンナちゃんよ」
カンナは答えなかった。まだ、すこし頭痛がする。
「おい、ホントに大丈夫か。どうしたんだ」
「いえ……ここのところ、なんか変な夢を……」
「夢? そんなんで具合が悪くなるのかよ」
バルビィは信じていなかった。何かカンナが隠していると思った。
「おれは、ホントにあんたの味方だぜ。今のところは、な。おれをこの島から逃がしてくれる唯一の機会だからよ。ただし、島から出たら、もう関係ねえぜ。あんたがおれを雇わないかぎりは、よ」
それはカンナにも分かってきた。彼女は現実主義だからこそ、いまはカンナを利用してなんとか脱出しようとしている。カンナの世話をやくのも、そのためだ。
「大丈夫です。それで、どこへ行ってたんですか?」
「それよ」
バルビィはいかにも嫌そうな顔をした。
「結論から云うと、まだアーリーの無事は分からねえ。間者が戻ってきてねえからな。それなのに、ギロアがあんたを呼んだのは、おれたちのバセッタ探しが失敗したからよ」
「バセッタ?」
そういえば、そんなダールを探しているとギロアが云っていた気がした。
「ここにいるらしいダールでしたっけ?」
「そうよ。なんのために探してるのかも知らねえがよ……おれらをカウベニーからここに案内させた、リネットっちゅう腕のいい船頭がな、どうも居場所を知ってる……というか、見たことがあるらしいんだが……おんなじような小島と洞窟ばっかりで、わけがわからねえ。具体的な場所までは知らねえようで、案内させても無駄よ。じょおおだんじゃねえぜ、おれは殺し屋だぜ!? 探検家でも失せ人探しでもねえんだ! 船に乗って小島巡りなんてきいてねえし。契約にもねえよ、そんな仕事はよ。契約違反と云ったところで、シロンやマウーラに睨まれるだけだしよ。くだらねえ、クソ面白くねえ無駄な仕事よ。あんなクズどもの主従ゴッコにつきあう気もさらさらねえし、もう、我慢ならねえ。とっとと出て行きてえんだよ。な、だから、ギロアに、仲間になってバセッタ探しを手伝えと云われたら、とりあえず頷いておけ。あとは、隙を見て一人ずつぶっ殺していこうぜ。組分けして探索に出るはずだからよ。示し合わせて、嵐の日に事故にでも見せかけて……」
カンナは、湯の中で寝ていた。バルビィは笑ってそのままにしておいたが、カンナが湯に沈みだしたのであわてておこした。
「おい、しっかりしてくれよ、今日はやっぱりやめておこうか」
「いえ、眼、眼がさめました」
カンナは頬を叩き、湯で顔を洗った。
上がって、髪をタオルで拭いているとバルビィが櫛で梳いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「ふしぎな色だよなあ。肌の白いのも珍しいがよ、髪がなあ。ギロアやおれみてえなふつうの黒髪は竜の世界にャ山といるが、こんな不思議な艶というか、光っている髪は見たことがねえ。黒鉄みてえな色だ。あんたは、ウガマールの生まれと云ったな。ウガマールにャ、こんな人種がいるんだ?」
「ええ……」
います、と答えたかったが、自分の生まれ育ったジャングルの奥地の村の記憶がどんどん失われて行くので、良く分からなかった。自分がなんという名前の民族なのか、もう答えられない。そんなばかな、と思うが、本当なのだった。聞かれるのが恐ろしかった。
バルビィが、カンナの長い黒鉄色の髪を三つ編みに編んだ。窓枠に映る自分を見て、ふだんと印象がちがうのでカンナは驚いた。
「さあ、行こうぜ。飯はギロアの館で食わせてくれるからよ」
すっかり暖まって、二人は水をたっぷりと飲むと町へ戻ってから丘の上の館をめざして歩きだした。