第2章 3-1 竜と暮らす人々
3
湯疲れと緊張もあったのか、カンナが翌日目を覚ましたのはもう昼近くだった。裏手の井戸で顔を洗い、口を濯ぐと、腹が空いていたので小銭を持って通りに出た。今日は風も無く、比較的暖かい。潮の匂いが生ぬるかった。
漁師町なので、ひと仕事終えて食事をすましても午前早くだった。昼頃はむしろ、みな食べ終えて店も閉まっているため、日差しのふりそそぐ通りは閑散としていた。十ほどの男の子が茶色いブチの犬を連れて歩いており、カンナは何とはなしにみつめた。すると、七つ、八つほどの少年の妹のような女の子が、大猪をそのまま小さくしたような、犬めいた大きさの竜を連れて犬の後を歩いていたので、カンナは二度見した。
(え、えっ!?)
夢かと思ったが夢ではない。犬と竜が楽しそうにじゃれあって、子どもたちと駆けて行く。
「…………」
カンナは立ち尽くして、しばらく竜を連れた子どもたちの行ってしまった後を眺めていた。
やがて大きく息をつき、現実に戻った感覚でまた歩きだす。もちろん、飯屋か屋台を探して。やや進むと、老婆たちがなにやら小路の角に集まって立ち話をしていた。これも、何とはなしに眼をむける。小さな祠があって、話をしながら順に供え物をし、呪文のようなもの(おそらくパーキャス語で)をとなえて熱心に祈っている。
その祠の中の神像がちらと目に入り、また二度見。帝国時代から微かな信仰を現代に残すウガマールの主神ではない。見たことも無い竜の置物だった。
「あ……!」
思わず声に出てしまったが、老婆たちはすぐ近くのカンナには気づかず、世間話に興じながら何度も祠へ手を合わせていた。きっと、これが「見えてない」というやつなのだろう。カンナはまるでちがう世界へ来たように気分となり、ガラスの奥の世界を覗いている感覚で、半ば呆然とその光景をみつめていたが、やがてその場を去った。
空腹であることも忘れ、より慎重に周囲を観察する。大量のシシャモを干している路地裏を眺めると、一人の青年が作業をしながら大きなカラスにシシャモの木っ端を与えていたのが目に入るも、やはり二度見。カラスはカラスでも、大烏竜の子ではないのか!? 真っ黒い翼手と長い首、尾。間違いない。烏竜だ。
「ひええ……!!」
間違いない。これは幻覚ではない。島の人々がギロアの術にかかっているのかもしれないが、竜の方がこれほどまでに人へ慣れるとは。衝撃だった。
思わずその場から逃げ出した。
認めたくない。見たくない。
価値観と認識が根本から崩れて行くのが恐ろしい。
しばらく走って、人気の無い街角で、ふと、よいパンの香りに気がついた。香ばしい小麦の灼ける匂い。ハーブも混じっているのだろう。独特の、パーキャスのパンの匂いだ。
パン屋が近くにあった。ふらふらと、無意識に近づく。この際、パンだけで良い。焼きたてのパンを無性に頬張りたい。
が、店先までたどりついてぎょっと身をすくめる。店の奥に釜があり、歳はおそらく四十前後だろうが、島特有の風雪に刻まれた皺により、五十にも六十近くにも見える店主が釜から出したパンを、大きな木のへらを使って店先の棚へ並べている。奥にはイワシのオイル漬の瓶も置いてある。店の端に、やはり犬みたいに縄でつながれた竜がいた。これも猪竜の子に見えた。大人しく首を曲げて丸まって寝ている。
「あ、あの……」
「おう!? あんまり見たことないな。さいきん、コンガルに来たのか?」
「わたしが見えるんですか?」
店主は目を丸くして、肩をすくめる。
「……見えるよ」
「あの、わたし、ギロアさんの……」
「なんだ、ギロア様のお客様か! さ、こっち来な。すきなもん、もってって食べてくれ」
カンナは竜を気にして、ややためらいがちに近づき、焼きたての丸いえんどう豆とハーブ入りのパンをひとつ、もらった。店主が笑顔でみつめているので、その場で割り、湯気が立っているものをちぎってかぶりつく。
「おいしいです!」