エピローグ
第十章
扉が開いて閉まる音で目が覚めた。何度か目を瞬かせて、ここが自分の部屋だと理解する。
「起こしたか」
声と共にレブの顔がぬっと視界に入ってきて私は身体を起こした。少し怠いけど、これは寝過ぎた時の感覚と変わらない。
「ううん。……おはよう、レブ」
起き上がった私を見て邪魔にならない様に一歩後ろに跳んだレブに挨拶。さっきまでどこかに行ってたみたい。
「……おはよう」
「………」
レブが、挨拶を返してくれた。あの、レブが。
「……なんだ」
爽やかな朝にしては苦々しい顔で睨まれる。もしかして気のせいだったかな。
「ううん……っ」
「無理に起きるな。まだ陽が出たばかりだというのに」
首を横に振り、私は足をベッドから下ろした。立ち上がるか迷ったけど、レブが言うから座っておく。
「……アルパは?どうなったの?」
私が聞くと待て、とレブが軽く手を挙げた。
「契約者と牛の召喚士、それと髭男と話してきた」
髭男、ってブラス所長だ。この場合、名前を出す順番が変だけど、それがレブの優先順位なのかな。
「アルパ自体の損害状況は不明。怪我人は多数で癒しの妖精を召喚して火傷を負った者を優先的に治療させている」
「………」
火傷に顔をしかめながら逃げる人たちは何人も見た。召喚士や妖精の回復もレブの口ぶりからして、夜通しやっていたのかも。
「今回、死者はいない。二十八世帯、九十六人全員が避難済み。確認も完了している」
「せめて、死んだ人がいなくて良かった」
レブも同意して頷いてくれる。
「この後だが、昼から動ける者と召喚士や有志達で瓦礫の撤去だが……」
「私も行く」
レブが一度口を閉じる。
「消耗はもう良いのか?」
「うん。無理して言っているわけじゃないよ」
言って今度こそ立ち上がる。うん、立ち眩みもしない。一度くるっとその場で回転したらレブが目を丸くした。
「私は大丈夫。レブは?」
「貴様は紫竜の体力がそう簡単に尽きると思っているのか」
聞いてる相手に聞き返すのは良くないんじゃないかな。
「元気だったら良いんだけどね」
「………」
勝手に解釈したけど間違っていないからかレブは訂正しない。
「……あのゴーレム、なんで出たんだろう」
人が集まる場所の中央には天然で異界の門を発生させない特殊な召喚陣が用意されている事が多い。まして、魔法の才に長けたエルフが多いアルパでそれが無いとは考えにくい。
「……運が悪かったのかもしれないな」
「運?」
レブが答えて私を見上げた。
「タムズ以前から異界との繋がりの周期が圧縮されたのかもしれん。偶然が重なった。……だが、ピエドゥラに先に現れたのは却って僥倖だったな」
「召喚士が、もう向かっていたから?」
「それも瞬時にゴーレムを消せる、とっておきのインヴィタド付きでな」
フジタカが瞬時に対応してくれたから私達が戻るのも早かった、か。
「……どうしてアルパのゴーレムはフジタカのナイフに対応できたんだろう」
「魔力が綻んでいた可能性は否定できないな。あの巨体を維持するのはそれなりに骨が折れよう」
「じゃあ、フジタカのナイフが触れた衝撃で腕がポロっと取れたの?」
だとしたらちょっと脆過ぎるんじゃないのかな。
「不具合は他にもあった。妙なところで立ち止まったり、動きが鈍くなったり」
不完全な状態のビアヘロ故の行動だった、って事だ。
「……もしかしたら、放っておいたら自然と消える直前になってたのかもね」
「大暴れした後だからな。だが、放置して良いという事にはなるまい」
「そうだね」
椅子に掛けてあった防具や道具袋は私の物だ。たぶんレブが置いてくれたものだけど、一度机に置き、彼の横を抜けて私は椅子へ腰掛けた。
「……大暴れと言ったら、レブも凄かったよね」
「当然だ」
レブが胸を張る。自信があるのは結構だし、事実だから何も言えない。
「貴様も私を解き放つとは、状況がまたも危うかったとは言え、よく任せる気になったものだ」
「うう……」
レブの視線が痛い。……でも、契約者に決意を見せると言ったのも任せろと言ったのも元は本人だ。
「私を使役するとはどういう事か。しっかり思い留めておくのだな」
「……はい」
指示やお願いするにしても、レブに任せっきりでは召喚士の意味はない。……少し、軽率だったのかな。
「……しかし、だ」
レブが咳払いをしてこちらを向く。
「貴様も数十秒とは言え、私を本気にさせられる様になっている。それは魔力の貯蔵量が増えている証拠だ。紛れもなく進歩していると言えよう」
「………」
褒められたのかな。ふと、昨日の紫竜の姿を思い出す。鮮明に焼き付けた雄々しい竜は彼であり、そんなレブに私が褒められた。
「……ううん」
でも、知っている。
「な、なんだ。称賛を素直に受け取れないと言うのか」
称賛とか素直とか、似合わない言葉を並べて動じてるから少し笑えた。
「違うもん。分かってるよ、レブが魔法を使う時に負担を軽くしてくれているのは」
「……それは」
専属契約のおかげでレブは自身でこの世界で使う魔力の生成をできるようになった。だけど私を通じてこのオリソンティ・エラに居る以上、私もレブの魔法で同時に少しは消耗する。私が進歩しているのか、レブの肩代わりがどのくらいの割合かは分からない。
「繋がってるから、レブが頑張ってくれたのは良く伝わってきた」
自分の胸を押さえて目を閉じる。集中すると瞼を閉じて、離れていてもレブの姿が見えてきた。こうして私達は絶えず繋がっていられる。
「私は、レブに何も伝えられていないけどね。いつもありがとう」
目を開けて、レブに笑いかける。だから今度は私がレブに何かしてあげたい。……ブドウを買ってあげるだけじゃなくて。
「………」
「……レブ?」
腕を組んで数秒、レブは私を妙な形相で睨んだ。
「何も伝えられていないのは、こちらも同じだ」
「え?……何も、って何を?」
どういう意味か聞き返すと、レブはすぅ、と大きく息を吸い込み、止めた。
「……私は君を愛している!」
「あ、え……!?」
そして口を開けたと思えば、普段は低音で淡々と話している声を盛大に張り上げる。声の大きさよりも驚いたのはその内容だ。私は思わず立ち上がってしまう。
「犬ころの召喚士に言われただろう。よくソイツと専属契約する気になったな、と」
フジタカが帰りたい、って言った日の事かな。
「……笑った君にまで、専属契約する相手を間違えたと思われていたら。そう考えたら胸が張り裂けそうになって、私から話を遮ってしまった」
笑って誤魔化したのを気にしてたんだ。そんな素振り見せなかったのに。
「だが、茶化さないで聞いて欲しい。伝えたい。確かに私の拳は何かを壊す事しかできない。だが、それでも私は君を抱き締めて、独占してしまいたいのだ。そ、それに……し、し……」
「……し?」
勿体ぶる事はあっても普段はスラスラハキハキと喋るレブが言いよどむ。私が続きを促すとレブの口がひくひく震える。
「し、しっ……褥だって、重ねたい……!」
「…………」
レブの尻尾が落ち着きなくさらさら床を擦る音がしばらく続く。私はレブからの告白に耳まで真っ赤にしていた。
褥なんて言うけど要は敷布団だ。それを重ねて一夜を明かす意味くらい、私だって男女の営みだと知っている。
「私、まだその……」
「わ、分かっている!」
レブが開いた手を前に突き出す。
「時期尚早!返答待機!貴様に待つと言ったのは、他ならぬ私自身だ!」
レブが目を閉じて首を駄々っ子の様に振る。そうして見ると、レブがひどく可愛らしく見えてしまう。
「そ、それでも伝えたい!君が私の背に身を預けてくれた時、腕を回してくれた時。本当に炎を吐き散らしたいと思うくらいに……愛おしかった」
殺す気か、と言ったレブ。腕を緩めた時に返事をくれなかったレブ。……もしかして緩める必要はなかったのかな。胸を高鳴らせて死にそうにさせてしまった、なんて思うわけもない。
「……伝わっていると言ってくれたが、私の気持ちは伝わっていたか」
「……ううん」
分かりにく過ぎる。けど、知ってしまった。
「待つとは言った。……だが、あの日を、今日を無かった事にするのは止めてほしい。それは……私でも傷付く」
初めて、弱々しい顔をしたレブを見た気がした。
屈み、力無く下げてしまったレブの左手を取って私は一度深呼吸した。
「……レブ。レブのこの手は、破壊するだけなんかじゃないよ」
「………」
レブが首を傾げる。
「私を……皆を守ってくれる手でもあるんだよ」
「守る……」
私がレブの手を握り感じる手の温かさ。手だけではない、胸の温かさを生み出しているのもレブのおかげだ。
「……ティラにも、似たような事を言われたな。私の手が世界を救った、守ったなどと」
レブが右手へ目を落とす。
「私は壊すしか能がないと思っていた。だが、君がそう言ってくれるなら婚活や守る為に振るうのも悪くないと思えてくる」
笑って私が答える。
「だったら、ティラドルさんにも感謝だね」
「……そうだな」
面と向かって素直になれるまでは時間が必要かもしれないけど。
「一応感謝している。……ザナに会えたのも、言ってみればティラのおかげだからな。癪だが」
一言多い。掌に乗ってやっていると口車に乗ってよく言うよ。
「ふふ……直接、伝えてあげたら?」
「機会が合えば、な」
レブと顔を見合わせて笑う。
「……昼前に出発だ。時間はあるし貴様はもう少し休め。髭男や犬ころには私から二人でアルパ行に参加すると話しておく」
言って、レブの手が私から離れようとした。
「待って」
「……!」
手が抜ける前に、私がレブの手を握る。
「……陽が出たばかり、なんだよね」
「そうだ」
「だったら、散歩しない?今からじゃ眠れないよ」
私からの提案にレブが目を見開いた。魔力なら寝て随分回復しているし、レブの体力はまだ有り余っているみたいだし。
「……早朝デートが貴様の達ての希望と言うのなら、無碍にはできんな」
レブが私の手を握り直す。そして、そのまま外へ向かって歩き出した。
そう言えば、でーと、の約束したんだっけ。なかなかできないでいたけど。
デートと言ってフジタカは教えてくれなかった。でも、ただの散歩と変わらない。レブと手を繋いで歩いているという点を除けば。
ここでやっと確信はないけどデートの意味に察しが付いた。知っていて黙っていたとしたら少し意地悪だよ、レブ。
……私が手を繋いで歩いた男の人、ってレブが初めて……だなぁ。そう思ったら少し意識しちゃうというか。
でも、そんなの教えてあげない。財布も持って来なかったからブドウも買えない。両方話すまで、あとどのくらいかかるかな。
なんて考えながら、私はレブの手を少し強めに握り返した。
了




