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その身に返って。

 「じ、獣医さん!獣医さんとかいませんか!?」

 フジタカが硝子を踏み砕いて声を張るが、誰も近寄ろうとはしてくれない。動物のお医者さんを呼んでくれているのだろうが返ってくる言葉は無い。まして、アイナちゃんの知り合いらしき人物もいない様だった。

 「レブ、こうなったら……」

 「どこへ運ぶと言う」

 子犬の治療ができる人のところ。だけど、そんなの……知らない。

 「闇雲に飛ぶ時間はその犬には……」

 「分かってる!せめて止血……っ」

 息を上がらせた犬の口からは舌がだらりと下がり、涎を垂れ流している。一刻の猶予どころか……もう、瀕死の状態だ。耐える生命力もこの子はまだ身に付けられていない。

 「コール……」

 アイナちゃんが泣く横で、パリン、と硝子が踏み砕ける。

 「………」

 「フジタカ……?」

 医者を探していた筈だったが、少女の隣に立ったフジタカは何かを取り出す。それがアルコイリスと気付いた時にはチコが彼の手首を掴んでいた。

 「おい!どういうつもりだ」

 「離せ、時間が無い」

 まさか、アイナちゃんの前で子犬を消すつもり……?そんな考えが脳裏に過って背筋が冷たくなる。しかし、フジタカはアルコイリスを灰色の状態から金属輪を回して色を変える。

 その色は今まで使った事の無い色だった。部分的に消す力を持った赤でもなく、チコの鞄を直した黄色でもない、その中間色の橙色が輪の中央で陽を反射する。

 「……お願い」

 「あぁ」

 できるの?とか、危ないよなんて言うのは簡単だったし喉元まで来ていた。だけどフジタカ自身がそんな事、一番よく分かっている。チコの腕を振り解いたフジタカの後ろでレブは腕を組んでその背中をじっと見ている。私は止血用に布を取り出したけど、それも要らない様だったので頼む事しかできなかった。

 「アイナちゃん。コールを治そう。な?」

 「え……」

 「な?」

 雑踏にかき消されるのではないかと思うくらいにフジタカの声は静かだった。だけどアイナちゃんは不思議と泣き止んでコールをフジタカの前に掲げる。

 「そのまま。すぐに、終わらせるから……」

 ナイフを見せたフジタカにアイナちゃんは固まる。もはや抵抗する素振りも見せない子犬の傷口をなぞる様にフジタカはナイフを滑らせた。

 するとどうだろう、温かな光が洩れて肉がぐちゅりと蠢く。その音は聞いていて心地好い物ではないが、すぐに子犬の様子に変化が生じる。決してベルトランの腕の時の様に、足だけが丸ごと消えてしまう事はなかった。

 「ハヒュッ……ハフ……フー……フー……」

 「コール……?」

 パチン、と音を立ててフジタカがナイフを畳む。傷口が塞がり、呼吸が安定した子犬は単に寝てしまっている様に見えた。

 「これで良し……かな。しばらくは……おとなしくさせなきゃ駄目だよ」

 私から布を受け取るとフジタカは血で汚れたコールの毛皮やアイナちゃんの服を拭き取ってやる。全部は落とせなくて、寧ろ汚れを薄めて広げてしまった。

 「あ、ごめん……」

 「ううん、フジタカ……ありがとう」

 目の前で起きた現が理解できていないのかアイナちゃんはポカンとフジタカを見上げている。

 「あ!アイナちゃんは……怪我とかしてない?」

 「してない……。うん、大丈夫」

 周りがフジタカの起こした力に目を見張っているが、レブが近付く事を許さない。見物するだけで助けてくれなかったあの人達には悪いが、今話しているのはこっちとアイナちゃんだけにしておきたい。

 「さ、お母さん達が心配するだろ……?早く帰らないと、な。……帰れる?」

 「うん……」

 硝子を踏み砕かずには歩けない様な散らばり具合。見れば、まだ何枚か割れていない硝子を馬車が積んでいた。さしずめ、何かの拍子で荷止めの縄が解けたといったところだろう。馬車の持ち主らしき男は帽子を両手で潰しながらこちらを青ざめた顔で見ている。

 それでも私達はアイナちゃんを帰らせた。巻き込まれるなら、私達だけでいい。

 「う……!」

 アイナちゃんの姿が消えた直後、くぐもった声がして私は振り返る。すると胸を押さえたままフジタカが硝子の散らばる地面へと倒れ込んでしまった。彼の急変には散りかけた外野の人達もまた足を止めてこちらを見ている。

 「お、おいフジタカ!フジタカ!」

 「う、うぅ……!」

 毛皮にしっかり包まれて破片は散った後のおかげか、硝子でフジタカ自身出血する様な怪我は負っていない。だが苦しそうに胸を押さえるフジタカはまるで……私の様だった。チコにも返事をする余裕が無いらしい。

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