煩悩の獅子は追わずとも去りぬ。
ソニアさんはそのまま私達の横を通り抜けて去っていく。ティラドルさんにも私の合格を伝えてくれると思うけど、後で改めて報告しよう。また会えなくなると知ったら、今度こそ泣きじゃくるかな……?
「………」
ライさんはまだソニアさんの背中を見送っていた。
「カルディナさんには前からああなんです。向こうも特に気にしてないから、喧嘩とか危ない仲じゃありませんよ?」
察しろと言っても知らない人達の仲までは分からない。人に聞きにくい部分ならば私から教えてあげないと。
「うん?あぁ、いや……違うんだ」
角を曲がってソニアさんが見えなくなったところで声を掛けると、ライさんは不意を突かれた様に耳をピンと立ててこちらを向いた。集中して見てたんだろうな。
「でも」
「なんだ、その……美しいな、と思って。ははは……」
ライさんは恥ずかしそうに笑って髭を指で掻く。そこで私はもう一度だけソニアさんの歩いた廊下を見やり、人がいなくなったのを確認した。
「……ソニアさん、胸大きいですもんね」
「うっ!」
もぞ、とライさんが内股になって顔を背けた。
「ざ、ザナさん!俺はそういうのではなくて純粋に……」
「純粋に?」
人間より遥かに幅が広い獅子の口が歪み、曲がっていく。
「……純粋に、艶やかな女性だなと思って」
欲望に素直、って悪い事ではないんだよね。
「綺麗だとは思います。浄戒召喚士だけでなくて、今日で召喚試験士にもなられたんですからね。女性としても、召喚士としても私よりずっと凄い人です」
着ている服も美しさと体の線を強調されていて、男性の召喚士からも人気はあると思う。実際にお誘いを受けたりする事ってないのかな。召喚試験士としての仕事やティラドルさんに夢中な部分ばかり見ていたのも気のせいじゃないし。
「そう卑下しなくても大丈夫。ザナさんの胸も大きい方だよ」
ライさんは親指を立てて微笑む。どこかでレブにも言われたと思う、それ……。
「褒めてないですよ……」
「む……あぁ、失礼……」
カンポでチコ達と話していた時は女性の前でそんな話は、と言っていたライさんだけど今は堂々としてたな。私がまだ子ども扱いされてる、って事かな。あの時はカルディナさんもいたし。
「せっかくの召喚士としての門出なのにな」
「いいえ、お祝いの言葉は……嬉しかったですから」
レブ以外にも私のこの瞬間を祝ってくれる人がいる。それだけ繋がりを持てた事は大事にしないといけないと思う。
「それで所長には……」
「待ってください」
でも、やっぱりこれまで。今からブラス所長に会って契約者との儀式同行も話したい。それはまだ一番最初にしたい事じゃなかった。
「所長に会うのは……待ってもらえませんか?だったらチコも行くでしょうし」
「……そう、だな」
口では肯定してくれたが、ライさんの表情が締まった。今すぐに一緒に行こうと言おうとしていた様にすら見える。
「あの……」
「長々と引き留めてすまない。また時間を見付けて、俺から迎えに行くよ」
こちらから謝る間もなくライさんは背中を向けて大股で廊下を歩いていった。試験室にはまだ試験監督達の姿が見える。私は迷ったけど食料保管庫に寄ってブドウ酒の瓶を持って部屋へと戻った。
「ただいま」
「遅かったな」
扉を開けるとレブが椅子に腰掛けて待っていた。変わらない彼の姿に私は笑みを浮かべる。
「合格したよ」
「あれだけ派手に暴れて不合格にされれば、もっと暴れていたところだ」
実技試験よりも、なんて言ったらそれこそ不合格どころかトロノ支所にいられなくなるよ。私は瓶を机に置いてゆっくりと栓を抜く。
「単騎突破で力に振り回されてるけど、良い関係だって言われた」
「………」
ブドウ酒をグラスに注ぐ。まずは半分より多めくらいでいいかな。
「はいっ」
「どうかしたのか」
注いだグラスを受け取りもしないでレブは私の顔を見上げている。その大きな瞳に映る自分はどう見えたからそんな質問をさせてしまったのか。
「え……?」
「……いや。貴様の事だ、念願の召喚士になれたとすればもっと浮かれていると思った」
やっとレブがグラスを受け取り、ゆっくりと中の液体を回して覗き込む。
「なりたかったよ。それで、やっとなれたの」
召喚陣は入っていない空の腕輪に嵌められた応石を指差してレブに見せる。しかし彼は首を傾げた。
「ならば何故、そんなに落ち着いている」
「……あぁ。うん、話すから飲もうよ。ね?」
聞かれて、なんだか何を聞かれたか分かってきた。私が勧めるとレブはブドウ酒を口に寄せ傾ける。




