空元気。
私が食べ終わってもフジタカはパンに手を伸ばさない。頭の整理にもなるし、と報告書を書いてみても動こうとしなかった。
「そろそろ休め」
「でも……」
報告書を書き終えても机に向かったままだった私の背中へレブが声を掛ける。この状況で休めなんて言われても……。
「何かあれば起こす」
「……分かった。見張り、よろしくね」
「任された」
レブが頷いてくれたのを見て私は灯りを落とす。窓から入る星明りを頼りにフジタカの横を抜けてベッドに倒れた。
フジタカがいるからとか、フエンテがまたすぐに襲ってくるかもしれない。そんな事も考えていたせいで眠れない……なんて事はなかった。自分でも呆れるくらいにあっさりと眠りに落ちて私は翌朝を迎えてしまう。
「う……」
「起きたな」
目を開けると、レブの声と共に目に入ったのは横たわるフジタカの姿。彼を見てすぐに飛び起きる。
「ふっ、フジタカ!大丈夫!?」
「おい、貴様……」
寝る前は座ったままだったフジタカが倒れている!もしかして窓から何か魔法で……。
「う……?」
起き抜けの頭を巡らせているとフジタカの目が開いてこちらを捉えた。数度瞬きをすると耳がピン、と張る。
「あれ……」
「途中から横になって寝ていただけだ」
「え……」
じゃあ具合が悪くて倒れたんじゃなくて、ただ寝てた……?
「あー……おはよう」
「おはよう……」
そしてフジタカも暢気に挨拶をしてくるものだから、私も返してしまう。洗顔だけ済ませて部屋に戻るとフジタカはパンをかじっていた。
「まったく慌てん坊だな、ザナは。尻が痛くなるよ、って言ったのは自分だったろうに」
「だからって……心配したんだよ」
目の前で毛布から手だけ出して倒れてたんだから、こっちは何事かと思うに決まっている。
「すまないって。とりあえず寝たら……少しは落ち着いたからさ」
「うん……」
フジタカが負った心の傷は本来ならもっと時間を掛けて癒さないといけない。本人が一夜明けて平気そうな顔をしているのは私達の前だからだと思う。それでも目を離せない危うさが滲み出ていた。
「起きたら腹が減ってて、パンを食ったらもっと落ち着いた。……そういう事なんだよな」
毛布を床に敷いて座り、フジタカは自分の手を見下ろす。
「俺、ビアヘロ……なんだな、やっぱり。誰とも繋がっていない」
声が震えていた。
「ビアヘロってこの世界に馴染む為に魔力の塊を摂取する。……さっきのパンみたいに、食事を続けてるだけで俺はこの世界に溶け込んだのかな」
「これだけの時間を過ごして何も変化が生じないのなら、とうに馴染んでいるのだろう」
客観的にレブが答える。そこでフジタカはがっくりと肩を落とした。
「って事は、俺が元の世界に帰る方法は無いって事だよな」
「まだ諦めてなかったの?」
「そりゃあな」
目的を果たしたら戻るつもりはあったんだ。でもフジタカの言う通り、召喚陣ではない方法でオリソンティ・エラに来たビアヘロでは帰り道は用意されていない。フジタカがどうしても元の世界に帰りたいのなら、彼の世界にいる召喚士に呼び出されるしかないだろう。……魔法の無い世界、って聞いてたからそれも難しそうだけど。
「昨日まで誰も気付かなかった。俺がビアヘロだって」
「うん、私も……レブでさえも」
ビアヘロとインヴィタドを区別する方法は無い。見た目が私みたいな人間やエルフでなければ異世界の住人、という考え方があるだけ。強いて言うなら、召喚士の横にいる異形がインヴィタド、相対しているのがビアヘロといったところか。
だとしたらフジタカはインヴィタド……だった。しかし実際には彼は召喚陣を介していないビアヘロの獣人。それが今日まで私達の隣にずっと居て、共に話して笑って、時に戦った。知らずに過ごしていた、では済まされない。
「あのね、一応……所長には話してないんだ。知っているのはこの三人とチコ、あとはライさんだけ」
「……やっぱり、聞かれてたか」
助けの入り方が偶然と言うには出来過ぎだった。聞こえていたからこそ魔法を編んで、機を見計らって放てたんだ。
「ライさん、ブラス所長の前でもそうだったし、召喚士のウーゴさんにも話さず黙っていてくれるつもりみたい。だからそこは安心して」
フジタカはライさんともカンポでよく話をしていた。剣術の訓練だってしてもらってたんだから仲も良い。フジタカも同意して頷いてくれた。
「ライさんは男の秘密は守ってくれるからな。多分事情も聞いてただろうし大丈夫だろ」




