きっと今日はそういう日。
「待っててよ、レブ……!」
洗面所を出て私は食糧庫を目指して歩き出す。木張りの床をギシギシ鳴らして廊下を進んだ。今日はレブに手早くブドウ酒を渡して飲んでもらう。初めて作ったお酒だけどもし、美味しく飲んでもら……。
「呼んだか」
「う、うぇぇ!?」
曲がり角からぬっ、とレブの手と顔が出てきて思わず変な声が出た。自分でも奇声だったと自覚があるものだからレブの冷ややかな視線が余計に痛い。
「へ、部屋にいたんじゃなかったの?」
「洗顔にしては遅いと思ってな」
腕を組んで私を見上げるレブが鼻を鳴らした。……最近、ティラドルさんのところに出入りしたりでレブの近くにいないとこうして迎えに来る日も出てきた。警戒されてるんだろうな、と思って私も注意しているんだけど……。
「……寝不足で気分を悪くしたか」
「え?……ううん、平気。私こそ、昨日はありがとう」
「……いや」
顔を背けてレブは部屋の方へと引き返す。食糧庫とは逆方向だけどこれで一人で戻したら追ってくるだろうな……。仕方なしに私もレブに続く。細かな事もレブが心配してくれていた。背中を見ながら私は彼が何を思っているのか考えてしまう。
ブドウ酒作りは黙っていたからなんとか素振りを見せずに完遂したかった。本来ならこの場で話して一緒に引き取りに行くのも悪くないのだろうけど。
「今日は身体を動かしたい。誰か訓練相手はいないか」
「急だなぁ」
部屋に戻って鞄に自分で用意した教材を中に入れてみる。外に出てみようというのは同意見でも中身が違う。今日は勉強に付き合ってくれそうにないな。昨日や一昨日はこっちに合わせてずっと室内にいたもん。
「うーん……」
ルビーにスライムか何かを召喚してもらって訓練も良いかな、と思ったけど講義って言っていたから頼めない。フジタカは朝からどこかに出掛けたみたいだし、カルディナさんとトーロはもう私達の教育係からも外されている。……外された、というよりは自然消滅みたいなものだ。責任追及もうやむやになってついでに私達への指導も。結局、カルディナさんから直接魔力や召喚術については教えてもらえなかった。個人的に会って頼めばソニアさんみたいに教えてくれるかな。
「アラサーテ様!いらっしゃいますか!」
ソニアさんの事を考えていると部屋の外から聞こえたのがちょうど彼女のインヴィタドの声だった。私とレブは顔を見合わせる。レブは苦い顔をして首を横に振ったけどこの位置だ、竜人ならば集中すれば私の心臓の鼓動だって聞こえていると思う。
「お嬢様!おはようございます!」
扉を開けるとティラドルさんが私を見下ろしにこやかに笑う。今日もきっちり服を着こんで身なりも笑顔も完璧。レブを見下ろし、ティラドルさんを見上げるのを繰り返すと首が痛い。
「お、おはよう……。……どうぞ?」
「これは!失礼します!」
廊下に響くんだよね、ティラドルさんの声って……。すぐに私は部屋の中へと入れてあげる。レブは椅子に腰掛け既にティラドルさんを睨んでいる。
「アラサーテ様!おは……」
「用件を言って消えろ」
「あうん……!」
レブからの接し方は変わらない。ティラドルさんがレブへ行う反応の方が過剰になってきている気がする。どこか女々しいというか……冷たくされる事への興奮の仕方が激しく大袈裟に見えた。癖になっているのかな。
「そんな事を仰らずに。挨拶は大事ですぞ」
「……うん。レブ、あんまり挨拶してくれないよね」
「………」
試しにティラドルさんの話に乗ってみる。私も薄々感じていた部分だったし。……たまぁにだったらやってくれるんだけどね。
「それではアラサーテ様もご一緒に!おはようございます!」
「おはよう、レブ!」
「ふん」
あぁ、今日は駄目だ。絶対にやらないつもりだ。自発的に言うのを根気良く待たないと絶対に返事をしない。挨拶って何気なく出るから人に言わせるって難しいよね。
「……ティラ」
「はっ」
横顔をこちらに向けていたレブの目だけがティラドルさんを射貫く。
「私に同じ言葉を言わせるなよ……!」
「う、あ……はい……」
しかも殺気立ってる。ティラドルさんが何かしたわけでもないのに。はたから見ると自分よりも小さな竜が一回り以上大きな竜を気圧している。妙な絵面だが二人には絶対的な力関係になっていた。
「し、強いて申し上げるならこの数日、御身を拝見する機会が無く……」
「安い言葉で修飾するな。用も無いのに顔を見に来ただけとは情けない」




